黒橋の頷きはさりげない。
「初回の義理かけの場が若頭、ご舎弟、上席幹部の揃いの場というのもかなりのプレッシャーでしょうがね。氷見なら、大丈夫でしょう」
「まあ、こじんまりとやりたいそうだから、舎弟といっても津島の叔父貴と親しいのが四~五人、上席幹部も一部ってとこだろ。…顔を売っておくのは悪くない。何が起こるかわかりゃしないからな、この先は。味方は増やしておいたほうが得策だ」
「御意」
「しかしまあ、祝い事で名代ともなると俺はあれか?一応、羽織袴か?用意してんのか?」
その俺の質問を黒橋はバッサリと切り捨てる。
「用意してません。洋装で大丈夫ですよ。向こうからもそう言われてますから。まあ、今時、婚約内祝いをきちんとするのも稀ですから古い義理事のイメージで想像されるのは当然ですが。若、この際言っておきます」
「…なんだよ」
「貴方はね、きっちり極道の正式和装をすると目立ち過ぎるんです」
「へ?」
「いいですか?明日の主役は津島さんのご長男と婚約者のお嬢様なんですよ?洋装でも目立つでしょうが、和装よりはマシです。あんまりキラキラされて
ちょっ、黒橋?何を言っているのか。うちの若頭補佐。
「明日の内祝いには婚約者のご家族、極々親しいご友人がいらっしゃいます。そして、舎弟の皆様方はご夫妻だけでなくお嬢様も参加が許されています。…意味はわかりますよね?」
「…分かりたくない」
「それは分かりますが」
うんざりする俺の肩にそっと手を置く、黒橋。
「ご婚約のお嬢様の周囲はともかく、目的違いで貴方を狙ってくるだろうお嬢様方に余計な煽り要因追加はできません」
「…一体誰が娘の参加まで許した…」
「お嬢様方の
「悪意の間違いだろ」
「ですから、いつもよりは派手目になりますが洋装でいきます」
「…俺には文親がいるっつうの」
「それは『裏の不文律(ルール)』で皆様ご承知かと」
俺と文親の仲は判っていても口には出さない(出せない?)周知の事実になろうとしている。清瀧も何も言わず神龍も沈黙を守る。
親父やお袋は俺に嫁とりなんざ望んではいない。基本、若頭に血脈は関係ない。器さえあればいい。
「それでも、若頭の隣の地位を狙う女性は少なくないのですよ。舎弟の娘だろうが傘下の娘だろうが。例えお飾りの妻に過ぎなくとも、【神龍若頭の妻】という名誉と旨味は手に入るのでは、と考えても不思議ではありません」
「たとえ、一生寝室が別々で、指先一本手も出されず、ニコニコ笑うのは人前だけ。週に何回も男と会うためにホテルに泊まる旦那を笑って送り出すって?」
俺が女だったら…。絶対嫌だ。
「そこまで考えていらっしゃるかどうかは…女の思惑など、どうでもいい事なんで想像していませんでした」
「…確かに、下らねえ。だが…わかった。格好についてはお前に任せる」
「はい」
「とりあえず、祝い式の時は眼の届く所、歓談が始まったらお前以外は半径五メートル以内。あとの奴は常に俺のアンテナに掛かる所にいろ」
「承知。すぐに他の者に知らせます」
「高央さんの婚約はめでたいが、疲れそうだな」
「多少睨みは聞かせますが、こちらとしての思惑も色々とありますので出来うる限りのご堪忍を」
「わかった」
うざい。はっきり言ってうざい。
恩がある津島の叔父貴や高央さんは祝ってやりたいが、ここ一、二年、祝い事があると、やれ行事の手伝いにと娘をよこしてきたり、歓談の席に公然と寄越したり。
実は密かな悩みの種だ。
俺が文親以外に目を向けるか。
二人の仲にカムフラージュなんて必要ない。
仕事以外で女に目が向くことは基本、無いし。
下衆な企みには反吐が出るが、そのまま顔に出せないのが辛いところだ。
それでなくても考える事は多いってのに。些末な事まで考えなくちゃならないとは。出るのはため息ばかり。
「とにかく、もうお休み下さい。明日を乗り切るためにも」
「おう。…お前もちゃんと休めよ、黒橋」
「はい」
そして───翌日。
婚約内祝いの式自体はなんの滞りもなく終わった。
俺が出席しているという事で高央さんは緊張を隠せないようだったし、出席している舎弟達といえば式よりも氷見を観察するのに忙しいようだったがそれは織り込み済み。
婚約者は津島の叔父貴の組の上席幹部の娘さんとやらで、麻紗美ちゃんとも仲が良いらしい。きちんとした娘さんなのはすぐに知れた。親子共々ビックリするくらい恐縮してくれて、こちらが困るくらいだった。
「龍哉さん、あとは歓談で二、三時間。ここを耐えれば『苦行』は終了です。頑張りましょう」
控え室での時間待ち。
黒橋の
だがここから先は。
式には遠慮するように言われていた他の女性陣が加わった歓談とやらが始まるのだ。
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