8

 

自室に近づく静かな足音で、俺は見入っていたノートPCから顔を上げた。

すぐに密やかなノックの音がする。

───深夜。


「若、お休みのところ申し訳ございません」

「…どうした、入れ」


入ってきた黒橋はどことなく、浮かない顔だ。


「珍しい、こんな時間に」

「…明日にしようかとは思ったのですが」

「寝てはいなかったから、別にいいぜ?…どうせ俺もお前も頭の中にあるのは同じだろうからな」

「…若」


俺は少し身体をずらし、向かっていた机の上のPCの画面上を示してやる。ゴシップ雑誌のネットサイトだ。



【S埠頭で謎の変死体──捜査難航か】


{──…日未明、発見された変死体……。……両手首から先が無く、全身に殴打痕が見られ……、頭部は判別不能}


「性別は、男」


{…怨恨か、集団リンチの果てか──。しかし男のズボンのポケットの中からは特殊加工されたと見られる薔薇の花片が見つかったという情報を本誌は極秘に入手しており、そこに何らかのメッセージ性があるのではと本誌は考え……}


「特殊加工された薔薇の花片、ね。えぐいことしやがるなあ、俺が言えた義理じゃないが」

「《彼》の性格上、撒き餌に食いつくのは予想がつきますが、相変わらず…」

「斜め上に変態的だよ、あの男は」


精神崩壊した中条を送った病院ですぐに彼の姿が消えた事は既に俺と黒橋の耳に入っていた。


「どんな風に見せつけてくんのかとワクワクしてりゃ。俺だけにわかりゃいいってか?…気持ち悪い」

「龍哉さん」

「プリザープド・フラワーっていうのか?生花みたいだけど枯れねぇやつ」

「……ええ」

「したんだろうな、あれをプリザープドとやらに」

「そうでしょうね。あの人ならば」


俺と黒橋の眉間に知らず知らず、同じように皺が寄る。


「相変わらず、安定ど真ん中!の気色悪さオブ・ザ・イヤーだな、あいつ」

「情報が不正確ですよ、龍哉さん。あの人の気色悪さは殿堂入りです」

「お前も言うね」

「…私は一度、あの人に痛い目にあわされてますからね」

「…そうだったな」




あの、食事会から一ヶ月程が経っていた。

俺と黒橋の関係性は端から見れば元通り、俺からすれば更なるスパルタ増加、そして、遠慮会釈無しというところに落ち着いていた。


氷見は現在、黙々と黒橋の下で動いている。

というよりも黒橋のほうであまり氷見を側から離したがらない。自分の目の届く所で共に動くようにスケジュールをくみ、そうでなければ宮瀬か新庄を傍に置いて一人にはしないようにしている。周囲から見れば他組からの引き抜きだ。上への挨拶済みとはいえ、用心しての監視だとも見えるだろう。が、内実は違う。

氷見は因幡に存在を知られている可能性がある。

どうせあの阪口の馬鹿組長と側近とは名ばかりの愛人は氷見について、ろくな事を因幡に告げてはいないだろうが。

関係ないのだ。

桐生龍哉という男が崩壊する阪口組の中で唯一人手元に無事に生かして残し、神龍へ引き上げた、その【事実】が因幡一冬という男を動かす。今は動いていなくとも必ず動く。

それは俺達にとって予感ではなく、

氷見が有能であればあるほど、因幡は妬むのだ。

それもあいつの場合、かなり特殊な方向に。

俺が関心を持つ者、愛情をかけて側におく者はその才能ごと葬り去ろうとする。──純粋な、生命の危険。

自分にない能力、ない知識を極端に嫌悪し。顕示されれば潰してしまう。一欠片の罪悪感すら持たずに。


俺の何処に奴を惹き付ける力があるのか未だに解らないし、分かりたくもないが、俗に言う、『想わぬ人に想われて』というやつなのか。


思えば、忌々しいが──。

高校時代からの悪因縁。

奴が後輩として編入してきてから何度か煮え湯を呑むような思いをさせられた。社会に出ても、それは変わらず。

黒橋の言う『痛い思い』、文親が因幡を毛嫌いする理由もそこに起因する。


「あいつと会うのはなるべく先延ばしにしたいんだがな」

「同感です。あの人に会うと、貴方のアフターケアが面倒になりますから」

「そうそう、…って、面倒臭がんなよっ(泣)。ツンデレさんめっ!」

「…若、あまり夜更かしはいけませんよ。こんな時間にお訪ねしておいて言えた義理では無いですが。まあ、意識共有が出来ている事が確認できてこちらは幸いですが」

「お前は?まだ、寝ないのか?」

「明日、津島さんのご長男の婚約内祝いがございますでしょう。そちらの手配と段取りを組んでいたら遅くなりまして」

「お前も充分ワーカホリックじゃねえか(笑)」

「今回は若を名代としてのあちら様からの義理かけ(極道の世界に共通する、襲名披露、冠婚葬祭、出所祝(放免祝)などの諸行事。招いたほうは招くほうに祝儀不祝儀関わらず義理(負担)をかけるのでこう言われる。義理ごとと言う場合もある)ですから」

「そうか。…明日は氷見は連れていくんだろ?」

「はい」

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