───── 閑話休題 ──〔序〕───







その青年の指先は、血にまみれていた。

眼前の床に伏している、息をしているだけの『人間』の横腹を蹴り続けているスラックスの膝部分にも、ブランドシャツの裾にも、真紅のそれは点々と染みを作っている。


青年の指先に握られているのは一本の薔薇。



「絶望的な愛─と、戦い」


赤と白斑の薔薇。それは生花というよりも。

完璧に処理されたプリザープド・フラワー。


しかし、青年の持つその薔薇の茎からはとげが完全に除去されていて。彼の病的に白い指先をとがめる筈もなく。

とするならばやはり青年の指先を濡らした血は眼下の男のものなのだろう。


─暫く前には中条英五という名前だった、この、息をする肉塊の。


「本当に…壊れちゃった、つまんない。──片付けて」


と呟けば。部屋の暗がりに潜んでいた者達が目障りなモノを運び出してゆく。


栢山かやま

「はい、御側に」


男にしては少し甘く高い中音域の声で青年は背後で控えていた男を呼び。答える男の声は静かに、低い。


「あの、騒がしかった『鳥』の行方は?」

「『手紙』が兄に郵送されたようです。“…ささやかな団欒だんらんを、有難う。兄さん。姉さん、心配かけたし、ままを言ってごめんなさい。僕は消えますが後の処理は知人がやります。ご心配なく。さようなら”、大まかにはそんな内容だったそうで。そして本人の行方は杳として知れず。こちらで義姉に負わせていた借金は完済、ホストが一人消えて。警察は指一つ動かさない、完璧な失踪です」

「……相変わらず、容赦の無い。…うっとりするほど冷酷なやり口だ。──先輩」



因幡いなば一冬かずと

つい先日まで世俗とは切り離された《場所》にいた筈の彼の髪は腰まで届くほど、長い。

黒髪と、白すぎる肌。

紅を塗ったような赤い唇。


薔薇に頬擦りするように顔を寄せながら呟くその顔は日本人形のように整ってはいるけれど。


細くすがめられた眼の奥には蛇のような妄執の光が湛えられ、正常な思考の持ち主のようには見えない。だが、それは腹心の中でも最も重用されている三十代半ばの男と二人だけにならなければ見せない表情かお


「今度はどうやって遊ぼうか…?鬼ごっこ?…かくれんぼ?」

「…一冬様、お花をこちらに」


背後から差し出された手に薔薇の花をそっとのせる、白い指先。


【西】の極道の中でさえ、密かに『吸血人形』と恐れられる因幡一冬の視線は今、夢幻を捉えているかのように頼りない。

先程まで狂ったように血をむさぼっていた同じ人物では無いかのように。


「…栢山、もう寝る」


男が薔薇の代わりに差し出したタオルで指先の血をすっかりと拭い、それを一冬は事も無げに床に捨てる。

そして、自分よりも頭一つ分以上も身長の高い男を見上げて。ゆっくりと眼を細めて口を開く。


「お風呂、入りたい。…それから、寝室」


男の肩に手をかけてうながすように甘えてみせる。


「連れていって」

「…お供致します、一冬様」


男の鍛えられた太い腕は簡単に主を抱き上げる。

その首に手を回し、たくましい胸に頬を寄せながら一冬は呟く。


「早く僕を殺しにきて───龍哉さん」



       ──閑話休題・〔序〕〜了〜

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