黒橋のやつ、こちらを見もしない。

意識だけは俺にぴったりと張りつかせているくせに。

…やり方が陰険なんだよ。絶対口に出せないけど。

その代わり。

氷見やマサに何くれとなく話しかけていた文親がふと俺のほうを見る。心配げな目線で。

俺は視線を合わせていられなくて、眼を反らす。

すると。


「龍哉、ちょっと一緒に席、外せる?…大将、すみません、すぐに戻ります」

「どうぞ」


俺は席を立ち、文親と一緒に外に出る。

と、すぐに店を囲むように巡らされた生け垣の暗がりに誘われる。

文親の両手が俺の頬を包んで、顔が寄せられる。


「何、やった?」

「………」

「…龍哉。俺、あんな黒橋さん、見たことないぞ。言えよ」

「…氷見の事で挨拶に行った時、組にいるマウンティング馬鹿にコナかけられた」


俺は観念して、告白する。


「それで?」

「……勿論、黒橋が言い返した。だけど、結局は悔し紛れのそいつが、俺だけに『鬼っ子の【子】はやはり鬼か?…そいつも…喰ってるのか、色狂いの若頭』…って」


俺は声を落とし、文親の耳にだけ届くように呟く。

黒橋には聞かれたくない。例え奴がもう何か察しているのだとしても。


「…酷いね」


俺に応えを返す文親の声も普通より低く、小さい。

最小限の返答で最大限を理解して。言葉少なに返してくる。


「酷いのは俺だ。後から聞かれて、後半部分だけは絶対に言いたくなくて。あいつが馬鹿と喧嘩しに行きゃ、絶対に知られる。だから、【親】持ち出して押さえつけた」

「…龍哉」

「八つ当たりもした。あの羽虫の事を考えていたいなら考えていれば良い。……勝手にしろ、って。

【親子】になって、四年間。一度も勝手にしろだなんてあいつには冗談にでも言わなかったのに。でも、分かったよ。あいつが俺に黙って髪を切って俺に気持ちを見せないだけでこんなに動揺する。…文親、俺は馬鹿だな」

「ああ、馬鹿だ。大馬鹿だよ。黒橋さんはお前の大事な大事な、側付きだろうに。俺や篠崎だって、それを【分かってる】くらい」

「……うん」

「こんなに素で自己嫌悪まみれの…落ち込んだお前、初めて見るよ。…少しだけ、悔しい」

「…文親」

「俺の前で【自己嫌悪する時】は多少格好つけるのに」

「…そりゃあね」

「まあ、…でもお前には必要な痛みだよな?子も増えた事だし?」

「文親」

「…どうせ、そのうち、【子】にするだろうが」

「…望めば」

「望まないと思うのか?」

「………意地悪」

「知ってると思ってたけど?」


文親は俺の髪をくしゃくしゃと撫でる。


「文親」

「子供の反抗期に嘆く親、かあ。っていうか。たまには反抗してみた良い子の逆襲

…あっちが随分歳上だけど」

「ごめん、せっかくの食事会…」

「いや、逆に俺は楽しいよ?」

「?」

「…マサくんも可愛いし。氷見くんは想像以上にお利口。おまけに桐生主従はお互いに認めないだろうけど、親子喧嘩中。滅多に見れないし、参加出来ないイベントだ」


そんな風にさらりと流してくれる文親が有難い。


「ん、まあ、分かったから。そろそろ、龍哉は戻って。…黒橋くん呼んでくれる?」

「…俺が?」

「龍哉が」

「…分かった」


何をするのかは怖くて聞けないが。今の状況は打開したい。

俺は素直に店内に戻る。


「お帰り~」


雅義の明るい声。

それに少し救われながら俺は黒橋に声をかける。


「おい」

「…何でしょう」


何の感情も乗せない黒橋の声。


「呼んでる、文親が」

「私を、ですか?」

「ああ、お前を」

「分かりました、行って参ります」


黒橋は椅子から立ち上がり、店外に出てゆく。代わりに俺は席に戻る。


「すみません、大将。中座して」

「いえいえ、何か差し上げましょうか?」

「コハダ二貫、と。イカを」

「かしこまりました」

「内緒話終わったの?」

「ああ」

「そっか。…龍哉、さっきと全然表情違うから、少しは気が晴れたみたいだね」


ほっとしたような雅義の声。


「コハダ二貫、イカです」

「有難う」


皿を受け取って、鮨を口に運ぶ。

さっきまでも旨かったが、ようやく普通に喉に通るような感じがして。

柄にもなく雅義に礼を言いたいような気持ちになったその時。

文親と黒橋が戻ってきた。文親は満面の笑みを浮かべている。


「すみません、大将、職人の皆さん、少しだけこの場を外して頂けますか?」


そう、大将に声をかけると。


「分かりました、ご用がお済みになりましたら、お呼び下さい。おい、お前達、行くぞ」

「はい!」


大将は文親を見てにっこり笑い、職人を連れて奥へ下がってゆく。

そして俺達だけになると。


「ほら、黒橋さん」


すうっと、薄皮一枚、文親の表情が変わって。

背後に控えるようにして立つ黒橋を振り返り、何かを促すように黒橋の肩に手をかける。

その黒橋の顔に何故か浮かぶ戸惑いと躊躇。

けれど。


「後の補償は俺がする。さぁ」


有無を言わせぬ口調で文親は黒橋を再度促し。

黒橋はその言葉で躊躇いを捨てた表情かおで俺をみる。


「分かりました」


そして文親は俺を見て。


「悪いけど、龍哉、ちょっと立って?」

「…分かった」


俺は立ち上がり、二人の正面に体を向けて立つ。

次の一瞬。

大きく振りかぶった黒橋の掌が小気味良い音をたてて俺の頬を打ち、口内に拡がる、微かな血の味。


「……っ」

「!!」

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