誓さんは氷見に声をかける。


「どうだった?黒橋くん」

「よくおやすみでしたので、駐車場で待機して頂いている国東さんにお電話させて頂き、もう一台、車と人を若の別邸から出して頂けるよう手配してからこちらへ参りました」

「…氷見」

「国東さんが運転される一台は別邸へ、もう一台は国東さんに教えて頂いた都内のホテルに予約を取りました」

「へえ…。それはどうして?あ、氷見ちゃん、座りな。ここね。これ、簡単なもんだけど食いな?」

「ありがとうございます。遠慮なく戴かせて頂きます」


氷見は一礼して俺の横に腰を下ろすと。


「若にはこのまま帰って頂いて、私が補佐とホテルに参ります。着けばそのまま部屋に上がれるそうなので」


意識を無くした男と、独特の雰囲気を持つ黒服の男が顔パスで通れる、そんなホテルは。

あそこしか、ないだろうな。


「ご挨拶を終えた後です。物を知らぬ私に神龍で若頭のお側につく心得を教えるため、という名目を立てれば補佐が帰らなくても言い訳はつきます。…今の状態で帰られては、もしもまだ不逞の輩が別邸内にもいる場合、下衆な勘繰りと口実を与え、組の士気も下がる。敵の思う壺でしょうから。見たところ、残るようなものでもなさそうなので回復され次第、二人で帰邸して私が皆様に頭をお下げすればそれですみますから。…すみません、パスタ、頂きます」


フォークを手に取って、パスタを口に運び始める氷見を見ながら。


「ほら、見てみろ?優秀じゃねえか。…っていうか、氷見ちゃんの場合、優秀の上に『とんでもなく』って形容詞がつきそうだがな」

「………」


俺も驚いていた。


「ほれ、お前さんもさっさと食え。麺がのびる」


そう言われてがっつきながら。


「まあ、今日のうちは起きないと思うぜ?普段のうちでの黒橋くんの飲みっぷり、考えにいれて配合したからね、酒」


恐いよ。このオジサン。

神龍の若頭補佐を酒で寝オチさせようって根性と度胸、それを可能にする『腕』。

つくづくこういう時に思う。このひとが《敵》 ではなくて良かったと。


「ごちそうさま」

「ごちそうさまでした」


誓さんの特製パスタを堪能しながら無事完食して。


「それじゃ、誓さん、俺、帰るわ。今日は…すみませんでした」

「いやいや。俺も龍坊の頭、叩いちまったし。雇われマスターとしてはオーナーに分を越えた発言した自覚はあるしな」

「それは…」

「大事な黒橋くん、酔い潰しちまったしな。だから、まあ、おあいこだ。悪いと思ってくれるなら、ゴタゴタ片付いたら仲間誘って笑顔で飲みに来てくれや」

「…はい。それじゃあ、氷見。悪いが、黒橋を頼む」


そう言って席を立って、ふと。


「別邸から車を出すって、運転は?」

「菱谷君だそうですが。ホテルへの道、宿泊手順を知っているからと」


マサ、…すまん。


「補佐の事はお任せください。明朝、無事に別邸までお連れいたします」

「…うちに来た早々、こんな事で情けないが。この礼は必ずする」

「…礼などは無用ですよ。若頭。私はようやく自分が仕えるべき主を見つけたのですから。お気になさらず、存分にお使い下さい」


氷見の静かな落ち着いた声が俺の心を潤して。


「……。分かった」


俺はスーツの内ポケットから財布を出し、札を十枚抜くとカウンターに置く。


「誓さん、今日の飲み代は別邸にきっちり請求して。それからこれは、『迷惑料込み、息抜き飲料サポート代金』。取っといてくれ。じゃあ、おやすみ」

「龍坊、お休み。…ありがとな」



そして後を振り向かず、裏口から、出る。

車に近づくと、国東がすぐ扉を開けてくれて、俺は車内へ身体を滑り込ませる。


「帰る」

「はい」


静かに車が動きだす。


「…少し、寝る。着いたら、起こせ」

「承知しました」


瞼をそっと閉じる。

今、眼を閉じた所で平穏な眠りなど望めようはずもなかったけれど───。

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