そして案の定。

朝帰りして、マサは黒橋にねぎらわれるのに、俺は怒られるという理不尽を味わった、翌日の夕方。

俺は久しぶりに本家に顔を出した。

勿論、黒橋とそして、氷見も一緒に。


氷見はまだ正式には俺の別邸には迎え入れていないから、本当にこれが初めての桐生本家への顔だしとなる。

氷見の表情は読めない。

玄関を上がって組長おやじの部屋へ向かう、長い廊下を歩いている間、ひそひそと囁かれる中傷、冷たい視線を背で受けながら無表情を通すその気骨は充分評価に値するのだが。


ここには色々な人間がいる。

味方、日和見、そして、敵愾心(てきがいしん)丸出しのやつら。


「よお、龍哉坊っちゃん、そいつが例の【畑違い】かい?」

「これはこれは…碓井うすいの叔父貴。お久しぶりです。ええ、そうですよ。新しく俺の配下に入った氷見です」


廊下の物陰から不意に出てきた三十代後半の男。

碓井うすいみやこ

親父の舎弟の、末席に連なっている奴。

顔はまあまあだが、親父の目の離れた所では、妙に崩れた感じのある男。そして奴が俺とどういう関係にあるかは。


「碓井さん、久しぶりにまた、お目を汚しまして、誠に申し訳ございません」

「よお、黒橋、久しぶりだな」

「……」


九十度に折った一礼。

それを顎を上げて斜めから見下ろす碓井。

下の構成員から見ればへりくだって礼をしているようにしか、見えないが。

黒橋の丁寧すぎる礼は、威嚇準備だ。

つまり、

“気軽に声をかけるな、この末席が。喧嘩売るなら買ってあげますよ?”という内心があるからこその行動なのだ。

黒橋はこいつが大嫌い。

だけどさ、淳騎。…オーラが怖えよ。


「龍哉坊っちゃんも物好きだなぁ。何も自分のたま取ろうとした格下の、畑違いの、生き残りなんざ、配下とやらに入れなくても良かろうに」

「………っ」


わざわざ、俺の背後を覗き込んで、氷見に嫌味を言ってくる。しかし氷見は瞬間、息は飲んだが反応はしない。

これは後で褒めるべき言動だ。


俺はニッコリと笑ってやる。

組の若頭、総指揮権の長を【坊っちゃん】としか呼ばない、慇懃尾籠いんぎんびろう(丁寧な態度や物言いをしながら、内心は相手を見下しているたとえ)な、舎弟の皮を一応かぶった、馬鹿に。


「…ええ。物好きなんですよ。好奇心が人一倍強くてね。俺は若造で見識(物の見方や知識)が浅くて、間が抜けてますから、格下で、畑違いで、命取られかけた組の生き残りでも『能力が高ければ』関係ない、とか思ってしまって。組を束ねてゆくべき若頭がこれでは示しがつかないでしょうが、申し訳ありません。…おい、氷見。ご挨拶しろ、組長オヤジの舎弟、碓井の叔父貴だ」

「……氷見清嵩と申します。初めてお目文字致します。私のような立場の者がご本家に伺うなど、皆々様のお目汚しとは思いましたが、私を御子息のお側へ寄せる事を御許し下さった大恩ある組長様への初の目見得めみえのご挨拶、ご遠慮する事など出来ず。

ご挨拶さえ無事に終えましたら、別邸にすみやかに退かせて頂きまして、皆々様のお気障りとならぬよう努めますのでどうかご容赦下さいませ」


氷見が顔を少しうつむけ、目を伏せながら碓井にした【挨拶】は、ある意味完璧だった。


「!」

「………」

「………♪」


碓井は言葉を無くし、黒橋は礼の態勢を続行し、下に向けたままの顔に明らかな冷笑を碓井には見せぬように浮かばせ。俺は内心でガッツポーズをとる。



「畑違いの割には…まともな挨拶だな」


碓井がなんとか絞り出した言葉には、悔し紛れがにじんで見える。


「…叔父貴。そういや思い出しましたが、俺も【畑違い】ですよ?古参の生え抜きの方々からすれば、ね。…若頭なんて持ち上げられてはいても、所詮は間抜けですからね」


俺は笑顔をいつもの三倍増しにして碓井に笑いかけてやる。なんせ恋人との逢瀬で充電(?)してきた後だから、俺は元気だ。


「いや、そんな事は…。坊っちゃんも意地が悪いな~?俺は純粋に心配して声をかけたんだぜ?」


嘘つきやがれ。

お前にそんな殊勝な根性があるもんか。


「それは…わざわざこんな人目の有るところで【ご心配】頂きまして、有難うございます」


ほら、みろ。

普段は最大限の本人の努力で封印してる黒橋の【山猫スイッチ】入っちまったよ。

慇懃尾籠には慇懃尾籠で返す。全力でな。


「面と向かってコナかけてくる度胸もないのに、陰口叩くのだけは百人前、な方々から比べれば、身を削ってご自分が悪人と思われるのも構わずに忠言して頂ける。私ども、感謝の極みでございます」

「……っ」


黒橋はゆっくりと身を起こし、顔を上げる。

その黒く炯々けいけいと光る目に宿る、侮蔑と酷薄。

ぞっとするほど綺麗な、俺の『子供』。


「よせ、黒橋。親父との約束は十七時だ。時間がない」

「ですが、若」

「…三分だ」

「有難うございます、さて」


黒橋は俺達の前に凍ったかのように突っ立つ碓井に向かって一歩、ずい、と踏み出し。俺は逆に一歩退いて氷見と横並びになる。氷見は一瞬、良いのか、という風に俺に視線を流してきたが、俺は、大丈夫、と声に出さず唇の形だけで伝える。


「氷見の件ですが、既に会長、組長、舎弟頭、その他上席には話を通してあり、私共での配下組み込みの手続きも終了。本日は若頭が組長に筋を通す為のご挨拶です。御舎弟の皆さま方のご心配は分かりますが、組には組の【序列・・】というものがございます」

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