倉庫街の一番奥まった場所に、N運輸の九番倉庫はある。


俺が一人でその倉庫の一番奥の部屋に足を踏み入れた時、聞こえてきたのは甲高い、男の怒声だった。


「ふざけんなよ、クソがっ!縄を解けよっ、英五さんまで縛りやがって!」

「…だから、その人の拘束もあなたのそれも、解く事は出来ないと、連れてきた最初から言っているでしょう?あなたには愛しい愛しい組長様でも、こちらにとっては、人の口車に乗り、身の程知らずにもろくに知りもしない畑違いの我々に泥を引っ掛けてきた排泄物以下なんですから」


聞き慣れた冷たい冷たい声がする。

あいつの機嫌が最低ラインのその下に至った時にだけ出す、氷のような酷薄さを孕む声。

丁寧な敬語口調。

あいつは本当に怒ったら決して敬語口調を崩さない。例外はあるが、慇懃無礼いんぎんぶれいに人を斬って捨てる。


「おーい、黒橋。せっかくご招待申し上げたのに、小鳥ちゃんがチビッちゃうぜ?そんな怖い声出したら」

「ようやくのお出ましですか?待ちくたびれて寝そうになりましたよ、…若頭」

「嘘つきだなぁ~。爪とぎに余念がなかった癖に、若頭補佐?」


部屋の中央に、背中合わせの形で椅子ごと縛られている、中条と成瀬。

俺と黒橋の会話を聞くと、二人とも顔を上げて、こちらを凝視してくる。


「はじめまして?阪口組の中条組長?」

「…あんたが…、桐生龍哉か…?」

「ああ。金掴まされた素人女に、なまくらナイフでたま狙われた、間抜けな中途採用の『元』堅気、神龍の桐生龍哉だ。確かそこの綺麗な顔した兄ちゃんが、そう触れ回ってくれてたよな?最近まで?」

「……っ」

「でも、今やあんたらも有名だぜ。組のもん放り出してモグラよろしく穴掘って逃げ回り雲隠れ。おかげで残された組とやらは蜂の巣つついたみてぇな大騒ぎ。あぶり出されたやつから俺たちに取っ捕まってズタボロだ」

「…ひ、卑怯者…っ、そういう風に仕向けた癖にっ…!」


黙り込んだ中条の代わりに、部屋に響く聞き苦しい成瀬の声。

そこに間髪入れず、


「あぁ?卑怯者が誰だって?…聞こえませんでしたよ?」


俺の横をするりと抜けて。

黒橋が成瀬に近づいて平手で容赦なく頬を張る。


「…がっ…!」

「自分の義理の姉をホスト地獄にめて、貢ぐ金欲しさに、阪口の系列の裏金融でズブズブに借金させて、猫なで声で彼女の実家との繋がりを強要し、脅かしつけるのは、卑怯じゃあないんですか?自分の母親の命まで盾にとり、代議士やその上とのパイプ作りに利用して?…おっと。にらまないで下さいよ?…確かに、同じ極道の世界、他人に似たような事をやった事が無いかと聞かれれば、答えはノーだ。ただね、成瀬さん?」


黒橋はゆっくりと口角を上げて笑む。


「信じて死んでいった母親とそれを間近で看て心弱くなった義姉。血縁でも義理でも身内を食い荒らす、白蟻のような人間は俺は個人的に好きじゃないんです。あんたのやり方は薄汚れ過ぎている」

「…う…うるせぇよ…っ!お袋はな、俺が親父に似てるからって置いていったんだよっ!自分に似た平々凡々とした兄貴は連れていったくせに、何でも出来て上手く立ち回れる頭の良い俺を置いていった…っ!」


黒橋に言い返す成瀬の表情は歪んでいる。


「死ぬから?それがどうした?消えてなくなるなら役に立ってもらって何が悪い?ありがとうありがとうって俺の手握って、笑いながら死ねたんだから幸せだろ?義姉さんだって、俺の口車に乗って、ダンナより優しい格好いい男に優しくしてもらったんだ。ちょっとばかり金はかかるけどな。…働くしか能の無い、馬鹿みてえに善良な兄貴にどっか不満があったから、引っ掛かったんだよっ。見返りもらって何が悪いんだ」

「……どんなに高度医療を受けられても、病人をみるのは骨が折れるもの。子供だって目も手も離せない。そんな介護疲れの女の耳に、巧みに遠回しに兄貴の悪口と、現状への不満を抱くように誘導したんでしょう?……ゲスですね。お母様に置いていかれたのは、おさなかろうとごまかしようの無いあなたのこずるさと、そのゲスな考えを持て余されたからでしょうに。あなたごときを【頭が良い】とは言わないんですよ。世の中、上には上がいるんです」

「黒橋ぃ~。はっきり言い過ぎだぞ~?」


俺は黒橋に声をかける。

こっ恥ずかしいわ、後半俺を見て言いやがって。


「お言葉ですが、こんなゲスにかける情けはありません。気色が悪い」

「まあ、そうなんだけどよ?でもさあ、良かった良かった。成瀬クンがこういう典型的な利口馬鹿ならこっちだって罪悪感少なくなるじゃんか」

「龍哉さん」

「まさか、自分たちがこのまま助かるなんて思わねえよな?中条さんよ?」

「…俺は…っ、鬼頭の指示で動いただけだ…っ」

「…で?無様に捕まって、年下の畑違いの若頭に私刑リンチされてるわけだ、情けねぇなあ?鬼頭はどうした?助けにも来やしねえだろ、今頃布団にくるまってガクブルしてんだろ、あの年だけ食ったもやし野郎は」

「……っ」

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