自分の喉、そしてシャツに包まれた腹をゆっくりと指で辿ってみせる。俺はそれを目を逸らさずに眺める。


「その覚悟があればこそ、氷見にも会いに行ってきたんですよ?貴方のために」

「…お前は死なねえよ、淳騎。俺がゆるさないからな。他の奴等と違ってお前の生殺与奪の権利だけは、あの時から俺だけの物だ」


いつの間にか、二人とも笑っていた。酷く性悪な表情かおで。

でもさあ。コレって、何気なく文親さんに聞かれたら嫉妬どころの騒ぎじゃねえよなあ…。内緒にしなきゃ。



「それよりも、清瀧の若の事は大丈夫なんですか?あれからお電話して謝り倒したんでしょう?」

「…ん~」


痛い所を突いてくんな~。


「でもなあ、謝罪は受け入れてくれたけど、やっぱり機嫌は最低ライン。っつうか、心閉ざされてるっぽい。何せ、本来は若様命!の篠崎さんが、珍しく俺の肩を持ったもんだから」

「それは…珍しい」

「“神龍の若の賢明なご判断です。貴方が先に因幡の事を耳にしていたら何が起こっていたか…。この度ばかりは常磐の若の情報力の速さに後手に回ったのは幸いです”って、言われたってさ。…電話の最後もこれまた珍しく篠崎さんが代わって」

「それは更に珍しい」

「“若の事はお任せを。清瀧の若の補佐としては厚く御礼を申し上げます。ただ、あの方のご心配もどうか…ご理解下さい”って」


それから何日たったか。今も俺は文親さんに連絡できないままだ。


「それは。早く、少しでも結果を出してそれを手土産に若を清瀧の若に会わせて差し上げなければ。【西】をどうするかは先の話でも、この阪口の件が一応終息すれば、清瀧の若に会う口実にはなります。若、愛しい愛しい年上の恋女房への土下座は直接会ってがやっぱり一番ですよ?」

「……っ。お前はやっぱり、意地が悪い。淳騎」

「意地悪上等ですよ。サクサク進めましょう。本来は阪口ごとき雑魚ざこ、貴方にお出張り頂くのは不本意なんですがね。…仕方ない」

「ジョーカーの使いみちを間違えず」

「地獄へ送ってやりましょう。自分達が誰に喧嘩を売ってしまったのかを足りないおツムでも分かるように懇切丁寧に思い知らせながら、ね」






そして。

翌々日の夜。

都内某所の倉庫街。その外れに停めた車の中で。


「久しぶりだな、氷見ちゃん?」

「…お久しぶりです。神龍の若」

「髪切ったんだな、サッパリして」

「…はい」


後部座席に座る氷見清嵩の肩まであった黒髪は耳の下で揃えられ、見た目涼しい短髪になっている。

顔色は、少しあおい。


「いい心がけだ。古巣を捨てて、新しい巣に移るにゃ、『形』が必要な事もある」

「…私のような者がお誘いを受けても良いのかと、随分…悩みましたが…」

「…びっくりしたろ?」

「はい」

「黒橋は怖いからな」

「……」

「でもな。あれには、悪い癖があって。気に入った子は苛めるタイプなんだ」

「?」

「そんな所ばっかり【親】の俺に似てなあ。…多分、店に行った時、氷見清嵩という男に目をつけたんだろう。…もっとも、それは俺も同じだけど」


含み笑いで言えば、戸惑った声が返る。


「何故…。あの時が初めてで、しかもあんな短時間…」

「分かるんだよ、俺たちには。『同類』が。それも並外れた器なのもすぐにな。…急場で店を任されたんだろうに、俺と黒橋、しかも清瀧の若頭にまで普通は対応出来ねえよ。あれくらいの狼狽うろたえで建て直しが利くっつうのは実は凄い事だ。…しかしまあ、阪口の【上】っていうのは百円の立ち飲み屋でバカラのグラスを出すような勿体ない真似するもんだ、とは実は思ったけどな。今だからいうけど」

「…勿体ないお言葉です」

「“【上】は、馬鹿だと【下】が苦労する。余り利口でも下が苦労する。どっちの苦労もしたくはないが、後者のほうがやりがいはある。この世界はたま懸けたやり合いだ。一つきりしか無い命の捨てがいのないかしらなんざに仕えるのは、大事な時間の無駄遣いだ”…そう、伝えてくれとよ。黒橋が」

「……肝に命じます。…黒橋さんは先に?」

「ああ。哀れな操り人形とそのおまけと一緒に俺たちが来るのを待ってるぜ。…マサ、車を出せ」

「はい、若頭」


今まで俺の横の運転席で話の邪魔をしないよう、息を殺していたらしいマサが短く答える。


「さて、行くか──。…しかし、うちの山猫ちゃん、ちゃんと『待て』が出来てるといいんだが。元が猫だからたがが外れたら若いもんじゃ止められない」

「……!」

「でも、平気か?俺、言っといたから」

「……何を…?」

「“おい、ベテラン、新しい【臣下】の初陣ういじん手柄てがらかすめとるような真似すんなよ”ってな」

「!」


俺の言葉に見開かれる氷見の眼。

だが、数瞬後。それは覚悟を決めた男の眼に変わる。


「…参りましょう、若。見事【初陣】、飾って見せます」

「ああ。行こうか、──氷見」


俺は前を向く。氷見も《前》を見ているだろう。

今までとはガラリと変わる、将来まえを──。

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