彼は俺に色々な事を教えた。文親とはまた、異なる意味で。だからこそ、俺もまた、西荻櫻という男に頭が上がらないのだ。
笑顔は仮面になる便利な“道具”である事を俺は西荻先輩から教わった。まとわりついてくる
「面の皮一枚で人は騙されるんだよ?龍哉?」
俺の唇の端をそっと撫でた魔性の指先。
文親は居なかった。
卒業式まであと一週間を控えた、高校の生徒会室の
引き継ぎを終えて身軽になった、ふらりと現れて西荻先輩はそう言い、入れ替わりに部屋を出ていこうとする俺を引き止めた。
「お前は俺と《同類》のようだから、最後に教えてあげる」
「…同類?」
彼の言っている意味が一瞬分からずに聞き返すと。
「言っておくけど色恋や
「!」
弾かれたように顔を上げて、思わず西荻先輩を見る。
彼はもう笑ってはいなかった。
「…何を…」
「ソレを飼い慣らすには、しかめ面より笑顔のほうが効く。どうせお互い、もうソレとは長い付き合いだろ?解き放つ事も消滅させる事も出来ないなら、飼い慣らすしかない」
いっそ涼やかな程に冷酷なアルカイック・スマイル。
「…いつからですか」
「お前に最初にあって眼を見た時からかな?」
音もなく猫の様に近づいてきて、白い指先で俺の頬に触れ、指先がたどるように下りて、唇の端に触れる。
「透き通って冷たい、諦めを知っているこの《眼》…。お前みたいな眼をした十五、六のガキなんてそういない」
「…あんたみたいな眼をした十七、八も居ませんよ」
「ほら、そうやってすぐ打てば返す。本当に可愛いよ、お前は」
「…嬉しくありませんよ」
美しく、人当たりよく同級生にも後輩にも慕われ、教師の信頼も厚い。けれどどんな賛美や慕情もこの男の感情にさざ波すら立てられはしない。美しいが常闇のように底知れぬ人間。
だからこそ、近づきたくはなかった。文親の事がなければ。
自分にも嫉妬という人間めいた感情があるのだと、初めて知った。とうの昔に感情は凍っていた筈なのに、文親を知って彼へと解け始めた想いは別の情すら連れてくる。
「お前はそのままでいいよ。生徒会も文親も任せて大丈夫そうだしな」
俺は文親の傍にいるために、一年前期に優秀な成績を叩きだし、後期には生徒会役員に食い込んでいた。
元々嫌いではない勉学だったし、教師を手玉に取るのは得意だったから。
「あんたに任された覚えはありませんよ」
「…言うねぇ。楽しいよ」
「俺は楽しくない」
「丁寧な物言いをするくせに、けして俺に媚びない。下げるのは頭だけだって、その眼に書いてあるよ。紫藤は良い子を見つけたねぇ」
「……」
「じゃあ、帰るかな。言いたい事も言ったしね。…あ、もう一つ」
西荻先輩は俺に背を向け、ひらひらと手を振りながら出口に向かおうとしていたのを一瞬止めて振り返る。
「あれは存外オクテだからね?押すなら
「…っ!」
「
口元に人の悪い笑みを薄く浮かべながら、それでも彼なりに文親を案じているのだろう物言い。
それでいて俺にさっさと食っちまえ、と
「どうも…。ご忠告有難く受け取っておきます」
わざと慇懃無礼に聞こえるように言ってやると、西荻先輩は声をたてて笑った。
「帰ろうかな」
「帰って下さい」
「おー、怖」
「西荻先輩ほどじゃありませんよ」
今度こそ扉の外へ消えてゆく後ろ姿に舌打ちしながら、自分の幼さと未熟さに歯噛みした日はもう遠いけれど。
「……龍哉?」
知らぬ間に俺は考えに沈んでいたらしい。
気遣うような文親の声に、ハッとする。
「…あ、ごめん、文親さん」
「どうした?」
「いや…ちょっと、ね。色々思い出してて…」
「?」
不思議そうな文親に俺は敢えてそう返し。
西荻先輩をちらりと見ると、何かを察したように先輩は薄く笑んでいて。…ったく。
やっぱり喰えない人だ。
「話の途中でしたね。 …まさか俺と、あの、天下の《Paradiesvogel》(極楽鳥花)のオーナーが先輩後輩の間柄なんて向こうは予想もしてなかったでしょうから、慌ててるでしょうね」
「早ければ明日中、遅くても数日中には今日の事が業界中に広まるよ。あの西荻櫻が後輩の為に我が身を
雅義がハーディをちびちび舐めながら口を挟んでくる。
「すっげえ
「常磐?」
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