優しい優しい声を出す文親さんに駆け寄って頭を撫でてもらう雅義にちょっとだけ嫉妬心が沸くが、この場合は仕方ないとそれを心から追い払う。


「楓?可愛い後輩に迷惑をかけて、俺の顔に泥を塗る気?」


俺の後ろから室内の三條先輩にかけられた、真冬の北海道に吹きすさぶ地吹雪でもこれほどに凍えないんじゃないかと思わせる、低い、感情のない、冷たい西荻先輩の声が俺の荒れそうになった気持ちをしずめたせいもある。


「…大体、呼んでないよね?お前の事だから、俺の傍には自分が…とか下らない台詞を並べて接待を強要して。俺が来る前にも、文親や龍哉に迷惑かけたんだろ?…で挙げ句の果てに相手してくれた雅義をこんなに疲れさせて。…お前に文句を述べる権限は一切与えない。好きなように後輩にののしりを受けろ」


部屋にスタスタと入って、三條先輩から最も遠い位置の席に腰を降ろす、西荻先輩。その両脇には隆聖と琉音が俺達には見せない無表情で座る。


「西荻先輩、凄い。何でわかったんですか」

「龍哉、お前は上手く隠してたけど。文親が妙に疲れてたからね」

「それにしたって…」


やっぱり盗聴器…。


「…酷ぇ。俺じゃなくて、そのガキ共の味方かよ。大体、俺、何にもしてねぇよ」

「嘘だよっ!俺が来た時、ついてたお姉さん達、眉間のシワがマリワナ海溝みたいになってたもん。そんな顔一切人に見せない高級クラブのホステスさん達がだよ?だから、下がって貰っちゃったんだよ。飲み物追加の時は呼びますからって」

「…それは…、雅義、よくやった」


思わず。

余りの不憫ふびんさに、文親の隣に座る雅義の頭を立ったままくしゃくしゃと撫でてやる。

雅義は俺を見上げて、目を見張っている。


「先輩、俺は“大人しく”待っててくださいって言いましたよね?愛佳と絵美里はうちの稼ぎ頭ですよ?リスト回してうちの飲食店系列全部、出禁にしましょうか?…せっかく西荻先輩が協力して下さって上手く物事が運んだってのに。モチベーションが駄々下がりですよ?」


ニッコリと笑いながら、一区切りごとに疑問型でゆっくりと。

楓先輩には不機嫌に脅すよりも。満面の俺の笑顔のほうがダメージ強な事を長い付き合いでもう知っている。


「…怖ぇよ…櫻、止めてよ」

「…罵りを受けろと言ったろ、名前で呼ぶな。示しがつかない」


西荻先輩もにべもない。


「西荻先輩~。すみません、挨拶遅れて…。お久しぶりです~」

「よしよし、可哀想に、雅義」


三條先輩に見せる酷薄な表情が嘘のように甘く西荻先輩は雅義に微笑む。


「隆聖君と琉音ちゃんも、でかくなったなぁ。お久しぶり」

「お久しぶりです、常磐様」

「お久しぶりです、雅義さん」


隆聖や琉音も雅義には優しい表情を見せる。

彼らが十代の頃から俺達三人は知っているから。


「ちょっと待ってろ、雅義。フロアでさっき西荻先輩達と飲んでたハーディ持ってこさせるから」


俺は席を立ち、内線でマネージャーに指示を出す。


「ハーディ…?…え?」

「…西荻先輩、凄いだろ?見つけた隆聖も目利きだけど。割り方、何にする?」

「ロック!余計な水分要らない!」


目がキラキラしてるよ、雅義。

そりゃそうだろ?一本三千万する酒が対価だと思えば疲れも吹っ飛ぶ。


「…楓?当然お前にはないよ?」

「…うぅっ…冷酷過ぎるよ~皆ぁ~」

「先輩にはラフロイグがあるでしょ?」

「あ、あれね、お姉さん達に持っていって貰った。お姉さん達を困らせた報いは受けるべきだし、俺、薬臭いの、嫌だったから」

「雅義」

「代わりに、ここで一番手頃な値段のウイスキー頼んだよ。で、ブーブー言われてた所」

「雅義、今日は本当に良い子だな。…三條先輩ならバックヤードの水道水でも良かったぐらいだけどね」

「違い無いけど。そこは龍哉の店の売上げに貢献ってことで。…でもさ、みんなにこうして良い子、良い子して貰えるなら、たまには楓先輩の相手も悪くないか」


俺と文親に両方から挟まれる形で座っている雅義は幸せそうだ。


「でも、上手くいったなら、本当に良かったね」

「ああ」


俺は三條先輩がへこむのを見届けたところで、改めて西荻先輩に向き直る。


「…今日は有難うございました、西荻先輩。急なお願いだったのに…」

「大丈夫。たまに後輩に頼られると嬉しいもんだよ。…龍哉が俺に頼ってくれるなんて貴重な経験が出来て喜んでるし」



“あんたになんか、頼るもんか…っ! 俺の事、馬鹿にしてるくせに…っ!”


遠い日に西荻先輩にぶつけた、幼い、怒り。

やっと見つけた【宝物】を取られまいと。立てられるだけの爪を立てて威嚇した、獅子の前の子猫。

あのときも西荻先輩は変わらずに微笑みを浮かべていた。


「可愛いね、龍哉。心配しなくても紫藤はとらないよ?安心しな」


俺は何故か初対面から龍哉と名前で呼ばれて。

それが子供扱いされ、馬鹿にされている様で。

本当に…子供だった。彼が俺より大人なのも、考えの深さも、その後の付き合いで知れた。

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