ましてや手に取って間近に触れること等、こうした機会がない限り無理だ。


「私…成人式でさえ振り袖着てないので、勿体ないです…」


改めて席についた遥香の声は微かに震えている。


「大丈夫だよ、全然着物負けしてないから。この席にいるのは全員【飲食店】関係者で、早奈英さんはこの際抜くとしても、俺や先輩達も経営者だからね。無駄なお世辞は抜きで似合ってるから平気」

「振り袖着なかったの?なんで?」

「両親は記念だから着ろと言ってくれたんですが、父親のバーもその時、はっきり言って経営がかつかつでしたし、同年代の子が着るような派手で現代的な今風の振り袖に興味がなかったんです。…何か違う気がして。だから当時の自分の小遣いで買える一番上等なスーツを買ってそれを着て成人式には出ました」

「へぇ…」

「…龍哉、本当にこの子はいい拾い物かもしれないよ」

「ですね」


あの【blue fairy】の中で只一人、状況にも俺達にも怯えなかったこの娘の胆力は確かに買える。

だからこそ横槍は迷惑でしかない。



「あ、そうだ。早奈英さん、二番と五番のお客様に俺からだと言ってblue moonをお出しして」

「あら…はい。分かりました。…じゃ、ちょっと行ってくるからここお願いね、遥香ちゃん?」

「…はい」


早奈英さんが席を立ってゆくと。


「ねぇ、遥香ちゃん、“それ”あげるから、仕事用でもプライベートでもいいから自由に使いなさい」

「!」


すぐに、


「そんな、このような高価なものっ…」

「君は頭の良い子だね?龍哉の『客が』君の初の顔見世に来て、ポンと家一軒買える酒を頼み、事も無げに一点 あつらえの振り袖を与える事に意味を見いださないほど愚かじゃないね?それを着て、君が夜の街で泳ぐことに大きな意味があるんだよ」


冷酷に聞こえるほど冷静な西荻先輩の、声。


「《paradiesvogel》代表、西荻櫻として、正式にお願いする。振り袖を受け取って頂きたい」


一番奥の席から、俺達の前を通り、通路側に座る遥香の前にわざわざ移動して。流れるような動作で片膝を床につく。


ざわざわ、ざわざわと。

さざ波が拡がる様に客の囁きが増してゆく。


やっぱりこういう時は超絶美形ってのは得だ。

三流ホストがやればギャグ物の仕草でも先輩がやりゃ、王子様にしか見えない。

また、よく通るいい声出すんだよな、こういう時。

そう言えば高校時代、生徒会長だった時も自分の魅力、使い放題だったもんな。


「はい」

「ありがとう。…俺の名と顔は知っていた?」

「いえ…ご高名は存じ上げていましたが、お顔までは…」

「ふぅん…」

「お連れ様のお名前をお聞きして、お二人の接され方から推察させて頂きました。申し訳ありません。改めて、お振り袖、有り難く頂戴させて頂きます。お腰をお上げくださいませ、いつまでも楽園をべる主をひざまずかせたままでは私を引き立ててくださるオーナーの名折れとなりますわ」


遥香の答えに西荻先輩はいたく満足したように微笑む。


「…二百点満点の答えだ」


そう言ってもといた席に戻る。


「だから、“blue moon”なんだろう?龍哉?」

「意味がわかる洒落者が何人いるかの話ですけど」


しかし馬鹿の中にも利口者はいたらしい。

席を立って、入り口へと焦った様に消えてゆく男達。

巣へと急がせる車の中でさぞやトチ狂った報告を上へ上げる事だろう。

まあ良い。


「“出来ない相談”…。でしたっけ?」


隆聖が静かに呟く。


「…ぴったりだろう?」

「ええ」

「そろそろ、引っ込むか?…頃合いだ」

「ええ。遥香、どうもありがとう。…早奈英さん、ラストまで遥香を頼む。俺達はそろそろ、個室へ移る」

「はい。それでは西荻様、失礼致します」

「本日は本当にありがとうございました、失礼させて頂きます」




そして。

男ばかりに戻ったところで、さりげなく店のBGMが変わり。俺達は席を立つ。

囁き声は止む様子を見せていなかったが、当面の目的は果たせたようなので気にしないことにする。

個室の前まで来ると。

中から、相手に心底うんざりしたと言わんばかりの、聞いた事のある呆れた声音が聞こえてきて、思わず笑う。


中に入ると。


「ちょっと、おっそーいっ!」


耳に飛び込んで来た文句にはマジで泣きモードが入っている。


「こんな人の相手、三十分も一時間もさせないでよっ!面倒くさいったらありゃしない!」

「ごめん、雅義!悪かった!」


そう。

俺と文親さんの顔を見て安心したのか、ぷーっとふくれてみせるのは、常磐雅義。

本当は席に呼んでやるつもりだった。

いい加減“場”に関わらせてやらないと拗ねる。一応当事者なんだし。だが、思わぬ飛び入りが来たせいで。


「本当に悪かった。恨むなら三條先輩を構わないから思いきり恨め」

「…おい!」

「遥香は後日、貸し切りでお前の側につかせるから、それで許せ。俺も来てやるから」

「………本当?」

「ごめんね、雅義。うんざりしたろ?…俺の傍においで?」

「紫藤先輩~」

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