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一週間ほど後のある日の午後。
俺は早奈英ママからの呼び出しで銀座のとあるレストランの個室にいた。
「それで、麻乃ちゃんの仕上がりはどう?」
「一昨日、最終チェック終了で、何の問題もないって事で近いうちに店だししようかと…」
「それは良かった。連絡してくれたら、『会社』名義で花届くからよろしく」
「はいはい♪」
あれからすぐに黒橋が抜かりなく事を進め、麻乃は早奈英ママ預りとなって、問題なく【coda di gatto】に移り、“研修”に入っていた。
いくら彼女が元の店では格段にずば抜けていても、キャバクラとクラブでは微妙に業務形態が違うし、客層も年齢やら地位やら色々違うから、こちらが教えなければいけない事、彼女が学ばなければならない事は限りない。
普通は一週間などで店には出さないのだが…。
「…逃した魚は大きいってところかしらね、あちらのオーナーさんも」
俺の贈ったショ○ールの指輪が輝く指を
「…その『上』もね」
「さすがにそれは私は口に出来ないけど(笑)」
「政財界のお歴々を指先一つで転がす女傑が何を言っているんだか(笑)」
「その指先を顔色も変えずに飾ってくれる男が何を言っているんだか(笑)」
二人共が笑顔で交わすやり取りは充分和んだものだと思うんだが、よく店でこういう会話をしていると、雅義が怖いものでも観るような眼で俺達を見て、
「女の子達怖がるからやめたほうがいいよ、その“鬼のやりとり”」
とか、余分な口を訊いてくる。
まあ、雅義相手ならば二人とも、基本スルーだから問題はないが。
別に雅義から真性ドS二人っ!とか罵りを受けたところで痛くも痒くもない。
それに店の女の子は慣れたものだ。
怖がる雅義を尻目にみんなニコニコ対応してくれる。
「もう、龍哉さんたらまたママと遊んでる~。紫藤の若様におしおきされますよ~♪」
「文親さんにおしおき?されたいね~、是非♪」
「ご馳走様です♪」
何事にも動じず、どんな『事情』でも軽く受け、その場かぎり流す。
まあ、そのぐらいの度量がないと、うちの抱えるクラブの中でも一、二を争う店でクラブホステスを張っていく事など不可能だ。
「麻乃ちゃんなら難なく馴染めるでしょ。まあ、仕上げは追々ね。久しぶりに育てがいのある娘だわ」
「…悪いな、余分な仕事を増やして。誰に預けようか考えた瞬間に浮かんだのが早奈英さんだった」
「光栄だこと」
「そこらの極道より肝据わってるからな、貴女は。…ワケありの時ばかり頼んで悪いとは思ってるけど」
「いーえ。こういうのは相見互いだし。お互いの利害が噛み合うその時点時点で対等に付き合っていこうって、私に最初に言ったのは貴方よ、龍哉さん?」
「言ったけど…よく覚えてるね、早奈英さん」
「覚えてるもなにも、そんな事言ってきたのは貴方が最初で最後よ」
早奈英ママは以前、宝石をプレゼントした際に俺を“人たらし”と言ったが、早奈英さんだって本当は俺以上に人たらしの筈だ。
微笑み一つでその日席についた上客の政治家達の運命が左右される、なんて物騒な噂さえ実はもっているこの女(ひと)がまだまだ若輩者の俺についてくれているのが実に不思議だったりするのだ。
「そうそう、今日来て貰ったのはね、麻乃ちゃんの源氏名をね、考えて貰いたいのが一つ」
「…あー」
そりゃ、そうか。
麻乃は前の店の客もしがらみも全部切って、新しく始める訳だから前の店の源氏名など使える筈がない。
「…んー、『遥香』は?」
少し考え、紙製のコースターの裏に漢字を書いて、早奈英さんの目の前に滑らせる。
「良い、名前ね。ゲンも良さそうだし、お店の他の子の名前と被りもないし、うちのお店の格とお客様の世代にもあってる。さすがはオーナー。これにしましょ」
「それは良かった。…ところで、もう一つは?」
「……」
「名付けより、そっちがメインの呼び出しでしょ?」
「…ええ」
早奈英さんの眉が微かにひそめられる。
「三日前、うちのホームページにメールが一通来たの」
「…なんて?」
「たった一行、【Un voleur(ヴォルール)】」
「へぇ」
わざわざフランス語で、ねぇ。
「“泥棒”」
「ええ」
「ふぅん」
逃した魚は大きい、どころじゃなかったって事か。
でも氷見の指図じゃ、無いだろう。
あいつは俺や黒橋や文親さんを直接見ている。
それでこんな嫌がらせともつかない神経に触る事をしてくるほど馬鹿な奴には到底思えない。
「そっか。報告ありがとう、早奈英さん。一応今は俺の胸一つにおさめるわ。早奈英さんは店の事に安心して集中して?」
「はい」
実は今日は黒橋には別件で用事を頼んでいて、一緒に来てはいない。その事に少し、ほっとする。
早奈英さんが俺より先に席をたった後。
俺はスーツのポケットからスマホを出して、一番かけたくない相手に電話をかける。
すると、ワンコール鳴るかならないかで、
全く、うざいことこの上ない。
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