俺の肩に額をつけたまま、文親が低くつぶやく言葉に胸をかれる。


「いっぱしに大人ぶって、痛くない振りして…っ。今のお前のどこが“大人”だよ?」

「……っ」


俺の首筋から後頭部にかけて辿るように這い上がる、文親の細く長い、指。

その優しさとは裏腹に、硝子に爪を立てて思うさま掻きむしられたように軋む感情きもちを暴かれて酷く動揺する、俺の心。


「…文っ…んっ…っ」


言葉を紡ごうとした俺の唇を文親の暖かい唇がそっとふさぐ。


「何も言わなくて、いい。…お前は理性より、本能のほうが…正直だ」


束の間のキスの後に、文親が笑みを浮かべて呟く。


「なあ、独りぼっちのばかオオカミ?」

「…っ」


俺の髪の中に指を遊ばせたまま、わしゃわしゃと掻き回して。気持ち良さそうに半眼になる文親。

触られてるのは俺なのになあ。

…どうしてだろう。

なぜ、この人の言葉だけが、俺の心の『底』に届く。

淳騎(黒橋)の言葉でさえ、俺の気持ちの核には届いても、底までたどり着くのは稀だ。

まあ、淳騎の場合はそれ以上は入らないでくれている、というのが正しいのかも知れないが。


「…ずるいよ…」

「龍哉」


腕の中の文親を抱きしめたいのに。

今、自分の気持ちの中にある強さのまま抱きしめたら、この、唯一無二の存在を壊してしまいそうで。

震える指で頬を撫でて。


「文親さんは、狡い …」

「…そりゃ、狡いだろ?お前よりか一つ歳食ってる訳だ し?…意地だって悪い」


文親は撫でている俺の指に頬を擦り付けるようにしながらまた目を細める。


「だから…っ、追い出せよ、その胸ん中のモノを」


見返せば、今度は見たこともないようないろを孕んだ文親の瞳が俺を見返してくる。


「前に言ったろ?俺はお前だから許している事も、お前にしか赦さないこともある」

「…っ」

「だから俺は赦さない。俺とベッドで二人でいる時に他の事を考えるな。…息をするように俺の事だけを考えていればいいんだ…忘れろって言ったら忘れるんだよ」

「…文親っ…」


絡みあった視線が、甘く、熱い。

近頃滅多に見ることのなかった、文親の瞳の中に陽炎(かげろう)のように揺らめき立つ、静かで硬質な怒りの焔。


「【ソレ】を追い出せないなら、今日はもうおしまい」


お互いにそんな状態にないのは承知の上で恋人が浮かべる不敵な笑みは、俺を捉えて離れる術さえ持たせない。


「…了解。その代わり…後悔するなよ?先輩?」

「ああ、…満足させろよ?…後輩」






「や…っっ…あああっ……!」

「…っっ…!」


それから。

何度お互いの中の欲情を吐き出し、果てたのか。

気がつけば重なりあって荒い息をつき、もう指一本動かしたくないほどの疲労にベッドに沈んで。

そっと文親から体を外すと、抜くその一瞬だけ名残惜しそうな顔をしながら抗わずに、けれど身体を離しがたそうに擦り寄せてくる文親に愛しさがこみ上げる。


「文親さん」

「ん…」

「満足しました?」

「うるさい。…お前はどうなんだよ」

「…しましたよ」


俺は隣の文親の顎を指先でそっと持ち上げて眼を覗き込みながら微笑んでやる。


「文親さんにあんなにあからさまに妬かれながら抱き合うなんて滅多にないシチュエーション、燃えないわけがない。近年まれにみる満足度♪」

「……っ」

「あれ、どうした?…文親さん?耳が赤いよ?」


行為を直接的な言葉でなく、“抱き合う”という婉曲的な言葉で現すほうが文親には効果があるとわかっていてわざと使う。

…だいぶ、復活してきたな、俺。

文親の『躾』の効果か?


「…いてない…っ」

「ん?」

「妬いてない…っ!ただよそ見は失礼だと教えてやっただけだっ!」

「ふぅん」


にやにやしながら俺は続ける。


「そういう事にしといてあげてもいいですけどね」

「…ったくお前は…根性も悪いがタチも悪い」


激しい情事に少なからず痛む身体をゆっくりとベッドの上で起こしながら、恋人は呟く。


「“彼”と話した後お前はずっと瞳の奥底が昏いままだった。暫く考えて…思い出した」

「なにを?」

「…九年前の春、初めて会ったときのお前の『眼』。あの瞳の中に漂っていたものと同じだった」

「!」



九年前。

高校の入学式の数日後。

俺は一年先輩にあたる野本孝晴という男に連れられて生徒会室に行き、初めて文親に逢った。

野本は神龍と行き交いのある野本組の息子で生徒会役員でもあり、文親とは同級生でもあった。

俺が高校に入るにあたり、きちんと『挨拶』はしておいたほうが良いと顔合わせを図ってくれたのだ。


「組の大きさからいってもあちらは段違いで接点はないかもしれないけど挨拶は大事だからねぇ」

「…はい」


そりゃそうだ。名前だけなら、一般の会社員の息子だった俺でも“清瀧”の名は知っていた。

関東随一の旧さと威勢を今も脈々と裏社会に誇る、いわゆるラスボス的な存在だったから。


「先輩は副生徒会長と親しいんですか?」

「まさか」

「?」

「あっちは雲の上の人もいいところで、こっちは[地上の蟻]だよ」

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