破門者の名前の後ろに、こう続く。


『理由を問わず、この者との縁組・交遊・客分・商談・使用・拾い上げを固くお断り致します』


つまり、黒破門と違い、赤破門は実質的な追放に近い。

極道は縦社会だ。

義理と仁義を重んじる世界ではよほどの馬鹿でない限り赤破門のついた者など使わない。赤破門は文字通りの刻印(レッドカード)でもある。


「まあ、印刷が間に合い次第、そっち含め方々へ送るけど、あちら様には現物付きでいち早く、ね」

「ハンコは好き放題押していいわけ?」

「んー」


ハンコというのは俺と雅義の中だけの隠語で殴打跡のことだ。


「ある程度ないと、緊急お届けものだってわかってもらえないだろ?…たださ」

「ん?」

「…殺すなよ?つまんねえから」


そう言うと。

雅義はスマホの向こうで笑いだす。


「何だよ」

「いや、今の龍哉の顔見てみたいな~と思って。きっと獰猛どうもうな良い顔してる」

「…もったいないから見せてやんねー。写メ動画も無し」

「ちぇー、つまんねぇの。でもさ、破門状出るくらいじゃ、黒橋さん、滅茶苦茶怒ってたでしょ」

「…ああ。かなり、ね」


俺が自室に引き上げたのを確認した途端。

引き据えられた男の肩口を渾身の力で蹴りあげ、仰向けに蹴り倒し、


「ぐぅぅぅっ!」


肩を押さえて転げ回る男をもう一度うつ伏せに引き据えさせてから、上から思い切り踏みつけ、膝を男の肩に叩きつけるように落として。


「ぐわあっ!」

「…若を“売る”電話を持ったのはこの腕ですね?それじゃ、こんな腕、いらないでしょう? まあ、骨の一本くらいは今ので折れたでしょうがまだまだ甘い。お前たち、容赦は要りません。若の言った通り、【足腰立たぬように】してやりなさい?

くれぐれもやり過ぎないように。仕上げは常磐の坊っちゃんがされますからね」


そう言うと花がほころぶような笑みを浮かべたらしい。


見ていた幹部が知らせてくれた話だ。


「うわぁ…」

「そのあとは手を出さずに部屋の隅のソファーに座って最後まで見ていたらしいけど」

「さりげに黒橋さんって美形だもんね。いつも真顔のクールビューティの花のような笑顔。…怖くって鳥肌たつわ」


「部屋を退室するときのセリフが『私は着替えてきます。…汚らわしい』だったって」

「スッゲェ、黒橋さんっ。女王様?」

「…絶対、本人には聞くな?…良いお友達をお持ちですね、龍哉さん(冷笑)?って〆められるのは俺だから」

「それも楽しそう」

「お前なあ…」


他人事だと思って。


でも、俺の部屋にきた黒橋は態度こそ平静に戻していたが、その眼は激情を宿した獣のような色を残したままで。久しぶりに背中がゾクゾクした。


「おい、黒橋。『眼』、ケダモノのまんまだぞ」


言葉を飾らず言ってやると。

黒橋は唇の端だけを上げた酷薄な笑みを浮かべる。


「【親】に後ろ足で砂かけられて放っておけるほど、心が広い【子】ではないんですよ、私は」

「…【子】かあ。随分獰猛な子供だねぇ」

「それはお互い様です」

「分かるけど。本気は後に取っとけよ」

「それはそれでまた出しますよ。…井上ですが、高橋達の粛正に怖じ気を震ったようです。暫く前に阪口組からは声をかけられていた、と」

「一つ腐った林檎が箱ん中に見つかると次々だねぇ。ま、この際、うみは出しきったほうが良いけどな」


俺が若頭になって四年余り。組の本家の屋台骨は安定そのもの。

組長とは別に居を構える若頭は年若い。別段若頭の力量を示せるような抗争もないとくれば、俺を心中馬鹿にするものもいて当然かもしれない。


「地道な努力はこの道にも必要なんだがな」


下には下の。上には上の。

カタギさんから見てやくざな道でも。


「若。私は貴方から盃をもらった身です。半端な奴は許して置けない」

「…わかってるさ」


黒橋は俺が別に居を構えると知ったとき、俺と親子の盃を交わした。四年前。

当時二十歳の俺と二十七歳の黒橋の親子の盃は異例。だが親父は笑って許してくれた。


『こんなんが【親】じゃ、苦労かけるがよろしくな。黒橋、やんちゃな“猛犬いぬ”の手綱たづなは短く持てよ?』

『はい』


俺と黒橋の親子盃は二分八。同じ陶製の盃に酒を満たし、俺が八分目まで飲み、後の二分を黒橋が飲んだ。

多く飲んだほうが“親(兄)”、少ないほうが“子(弟)”となる。

俺が桐生へ来た十五の時には、黒橋は若いながら親父に限りなく目をかけられた精鋭で、それから五年たった四年前には年長の周りさえ一目置く出世頭となっていた。

だが、黒橋はそのエリートとして築いた地位を惜し気もなく捨てて俺の【子分】に降りた。そして。

盃事のその時、黒橋は飲み干した盃を未練の欠片もなく床に叩きつけて割ったのだ。

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