電話の向こうの男がにやけたであろうことは承知の上だ。こいつはめげないから。
「…それからさぁ。後だしになって悪いんだけど。後一時間位したら、そっちに“荷物”届くからさあ、好きにハンコ押して転送しといてくんない?」
「?」
「恥ずかしいんだけど。タイミング良すぎだったろ?襲われんの。俺とお前があの店使うの初めてなのに。おかしいなって思ったらさぁ」
昨日。
女を連れてきて、尋問が始まった時。
自室にいた俺のところに何故かマサが来た。
どうしたのかと尋ねると、同室に様子のおかしい組員がいるという。
それまでは普通の態度だったのに、俺が帰ったと分かった途端に態度が変わった。顔色が真っ青になり、目が泳いでそわそわし始めた。何かあると思い、同じ部屋の仲の良い別の組員にそっと見張りを頼んでから知らせに来たのだと。
「名前は分かるか」
「…井上さんです」
「…井上…」
言われて、顔を思い出そうとして、ハッとする。
「あいつか…。分かった、マサ。ありがとう。部屋に帰って逃げないようにみててくれるか?」
「はい」
「あと、黒橋を呼んでくれ」
「分かりました」
そして。すぐに来た黒橋に確認すると。
「やっぱり、か。…確保しろ、黒橋」
「はい」
五分後。
女とは別の部屋に井上を連れて来させた。
恐怖でぶるぶると震えながら俺の前に引き据えられたのは。朝飯を運んで来た男だった。
「…単刀直入に聞く」
俺は言葉に感情を入れずに尋ねる。
「“売った”な。…誰にだ?」
「……」
男は答えない。
周りを取り囲んだ組員から、
「この野郎、若のご質問だっ、答えろっ!」
と恫喝されても下を向いたまま、震えているだけで口は開かない。
「…もう一度、聞く。誰に、“俺を”売った?」
静かに訪ねても返事は返らない。
俺はため息をついた。
…仕方ない。
「黒橋」
「…はい」
「話は、女から聞け。女の方が条件次第ですぐに吐く。こいつは、…好きにしろ」
「わかりました、若」
その会話で男が弾かれたように顔を挙げる。
「もう、言わなくていいぞ?俺は二度聞いた。それで言わないという事は、お前が義理を立て、礼儀を尽くす相手は俺ではなくなったという事だ」
「!」
「礼儀や恩義を忘れた奴にはそれなりの罰が必要だ。仕置きもできなきゃ、常磐への義理と仁義が
俺はゆっくりと冷たく男に言い
黒橋は黙って、男を睨みすえている。
「やり方は問わねえが。足腰立たないくらいにしたら、もう一度報告に来い、黒橋」
「はっ」
「あんまり見た目キズはつけるな。正式なヤキは常磐に回す。…まあ、それさえ守りゃ、あとは……好きにやれ」
俺はもう井上など見もせずに、感じなくてもいい責任を感じているだろう黒橋の肩をぐっと引き寄せる。
「大丈夫。…黒橋、俺は無事だったんだから」
「若…」
「こいつに思い知らせるのはお前の
「…足腰立たぬくらいなど……
「まあ、そう言うな。死ぬよりもキツいかもしれないぜ。お前の仕置きは」
「…そう、ですね。あとでご報告に伺います。お目の汚れですから、ご退室願います、若」
「ああ」
そしてきっちり三十分後。
黒橋はスーツを真新しいものに替えて俺の自室に訪れた。
「ご命令通りにして、今は地下室に放り込んであります。途中でドロ吐きました(自白する事)が、女の発言と似たり寄ったりで。分かったのは阪口組の小野原って奴が二人の裏にいるってことですね」
「そっちは文親さんのほうに聞いてみる」
「それがよろしいですね」
で。文親との会話になったわけだ。
組員の背信についてはあえて言わなかった。
言えなかった。個人の問題でなく神龍組の威信に関わる事だから。オチをつける迄は言える筈もない。
「でね?まだ、新入りの組員ちゃんとかには刺激強すぎだから引っ込めてあげて、雅義? 一応目に見えるキズは少な目にっていったんだけど」
「あらら」
「多分、黒橋から山科さんに連絡したとは思うけど」
「何かさっきから家の奥のほうが騒がしいんだけど。それかな」
「かも。あ、ヤツのポケットに破門状入れといたから、それも忘れずにくっつけて届けてな」
「破門状…」
「一応親父に聞いたらオッケー出た。真っ赤なほう」
「“赤破門”か!」
「うん、当然。奴がした事は例え電話一本のチクリでも下手すりゃ二つの組の若頭の
破門。絶縁よりは軽いが、極道が恐れる処分。
その破門状には二種類ある。組や幹部に対しての造反、抵抗、掟破り等に対して出される文書で、破門回状と呼ばれ、他の組にも広く通知が出される。
『うちの組ではこの男を破門しました』と黒い字で印刷されたものが黒破門。
こちらは何らかの状況により復帰可能だが。
赤破門の場合は『破門状』の字が赤く刷られて。
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