俺の前に置いてある盃をスッと持ち上げて雅義は盃の中味を干す。


「お前と先輩が終わるなんて事は無いから、俺は黙ってこれからも多分薔薇を見上げながら、ウツボカズラの中で溶かされ続ける、かな。それが“友人”って事だろ?」

「……、分かったような分かんねぇような事言いやがって」


嘘。本当は分かってる。

けど、それは言わない。


「飲むか?」

「…飲む」


俺の誘いに、雅義は立って、また卓の向こうに座り直し徳利を持ち上げて俺と自分の盃に酒を満たす。


「とりあえずはお互いの無事に」

「乾杯」



そして。

料亭からの帰りの車内。

俺は雅義の言葉を心の中で反芻していた。


「…ウツボカズラ、か」


小さな呟き。

だが隣に座る黒橋は聞き逃さなかった。


「なんですか?」


聞き返してくる彼に雅義の言葉を説明すると。

一瞬黙った後、黒橋はクックッとおかしそうに笑い始める。


「なんだよ」

「雅義さん…少し、見直しました。…他の幹部にも教えてやりたい」


笑いを止めないまま、黒橋は続ける。


「やめろよ、絶対」

「…上手い形容詞だ。それでいうなら、貴方の周りには“溶かされた”人間しかいない事になる」

「…恥ずかしい事、言うな」

「紫藤の坊っちゃんにも聞いてご覧なさい」

「絶対、やだ」


何か今頃恥ずかしくなってきた。

やっぱり雅義は“苦手”だ。




「それで、結局は小鳥ちゃんとやらに襲撃を命じた組は分かったの?」

「ああ」


その日の夜遅く、結局俺は文親に電話した。


「結構野心家で昔やんちゃして、一回お勤め(服役)してたお姉ちゃんでね、勤めてたキャバクラに来た阪口組の小野原って奴に成功したら、組の持ってるクラブのママにしてやる、とか言われたらしいよ。まあ、テンプレ」

「…阪口組の小野原?」

「知ってる?」

「阪口…ね?…確か、古い組じゃなく、ここ二、三年位で台頭してきた新興勢力だった、気がする。あ、思い出した。バックが鬼頭きとう組だよ」

「鬼頭組?」

「うん」


鬼頭って確か。神龍とは敵対してたけど親父とは手打ち(一応の和解)してたとこじゃ…なかったか。

なんでそこが。


「そういえば、息子が若頭継いで、組の幹部の勢力が総入れ替えになったとか、少し前に篠崎が言ってたな」

「相変わらず安定の情報網だね、文親さん」

「まあね」

「…ご挨拶って奴かな?その鬼頭って奴?が指示したか、阪口組の先走りかは知らんけど」

「どうするの?」

「ん~。まあ、一応は静観?」


言葉を濁して俺は文親に答える。

俺は常磐に無理を言って女を連れ帰り、女は身柄の安全と少なくない借金の肩代わりをちらつかせたら、面白いように話した。失敗して向こうへ帰れば命はないぐらいは覚悟していただろうから、無事?で済むなら越した事はないと思ったんだろう。

彼女は話の裏が取れ、ある程度の調べがつくまでは監視付きで神龍の管理下に置く事にした。



「それが利口だね」

「…文親さん?」

「ん?」

「俺さ、大丈夫だからね」

「…何が?」


付き合いが長いせいか、恋人だからか。恐らくは両方か。

電話の向こうの文親の声がゆっくりと甘めになっていくと同時に俺の背筋が冷えていく。

文親が情事の時以外でこの“声”を出すときはかなりヤバいのだ。かなり怒っている。それも静かに。


「別に何もしないよ?…今はね?」

「文親さ~ん」

「俺の居ないところで、俺の恋人と後輩に舐めた真似させた落とし前、どこでつけさせようかな、なんて考えてないよ、絶対」

「文親さーん、やめて。怖くて腰抜ける。だけどさ、言わなくて、後でバレたら」

「…お仕置きだね」


なんて楽しそうに、お仕置きって言葉を舌に乗せるのか。


「だから、話しただけだから。何もしないでよ。…自分の尻は自分で拭くし」

「はいはい」

「ひーん、怖いよ~」

「なんで龍哉が怖がるの?」


なんでって。

それは。

この甘い声で俺を惑わす一つ歳上の美しい恋人は。

心底怒らせると。

外面げめんにょ菩薩ぼさつ内面ないめんにょ夜叉やしゃ』(顔は美しく菩薩のようだが内心は鬼神のようだ) ということわざを地でいくからだ。

怒れば怒るほど静かに、声は甘くなる。平常は優しいだけに際立つ恐ろしさ。俺は高校時代から知っている。そしてそれ込みでベタ惚れなのだ。……やり過ぎさえなきゃね。


「あ、そう言えば」

「何?」

「…明日、常磐に電話してあげよっと」

「なんでっ?!」

「…いやぁ、傷心かなって。せっかく有る限りの勇気を振り絞って龍哉と食事会♪って時に邪魔が入ってさ。可哀想だろ?」

「だめだめっ!文親さんは俺にだけ優しくしてれば良いのっ!生意気だよ、雅義のくせにっ」


思わずスマホに向かって叫んでしまう。


「耳、痛い。声大きいよ、龍哉」

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