そのせいで、朝食の盆がカタカタ震えている。

うちの組員まで怯えさせやがって。

あ、怯えさせてんのは、俺か。

なんだか妙におどおどしてるが。

でも原因はアイツだろう。


「とにかく、朝飯食って午後に備えなきゃな」





そして、午後四時。

黒橋に連れていかれたのはいかにもこんな会合に使われそうな割りに洒落た料亭の離れ。俺を案内すると同じ離れに部屋が押さえてあるらしく、


「いいですか、若、くれぐれも短気は駄目ですよ」


と黒橋は釘をさして消えて行く。

俺はため息をつき、平常心、平常心と唱えてから部屋の扉を開ける。


「よお!」


俺の目に飛び込んできたのはいつもながら悪びれない悪友の笑顔。

座卓の前で胡座あぐらをかき、片手を上げて上機嫌に声をかけてくる雅義の表情には罪悪感など欠片もない。

だから、こちらの不機嫌がよく分かるように、後ろ手でふすまを乱暴にめ、わざと音をたてながら雅義の前に座る。


「あれ?機嫌わるい?」

「俺がお前と会うとき、上機嫌だった事があったか?…毎度毎度姑息な手を使いやがって」

「だぁって。前に黒橋ちゃんのスマホに直接かけたら、物凄く冷たい声で断られたし、なおかつ番号どうやって調べたか詰問されて怖かったから組のなら大丈夫だと思ったんだもん」


のんびり答える雅義に殺意がわく。


「…うちの補佐をちゃん付けするな。そんな恐ろしい事俺でも出来ん」

「えー?じゃあ、俺、勇者?」

「お前のはただの無鉄砲だ。俺があの後どれくらい黒橋に嫌味を言われたか。“お友達をきちんとしつけて下さい”ってな。多分、親父周辺辺りをそのネコ皮三百枚くらいかぶった笑顔で懐柔したんだろうが」


「…それは秘密」


雅義は自分の唇に人差し指をあてるようにしてシーっとしてみせる。


「二十四にもなる野郎のシーっなんて、可愛くもなんとも無いわ。やめろ」

「…龍哉ちゃん、冷たい」

「いっぺん、死んでみるか。お前の母ちゃんに理由話して相談したら多分賛成してくれるっつーか、あの母ちゃんなら、俺に手は汚させねーな」

「やめて。多分骨も残らない」


ぶるぶると雅義は震えてみせる。

常磐組の一番の“おとこ”は雅義の母、貴代たかよさんだってのは周知の事実だからな。


「組に電話して、下の者がお前の頼みを断れないのは承知の上でかけてきたんだろう。悪知恵ばっかり発達しやがって。バカのくせに」


どうもこいつ相手だと容赦が無くなるな。

でも打たれ強いんだよな、こいつ。


「ますますSっ気増してて良い男になってんじゃん。あ、今殺すのはやめて?今、仲居さん達が料理運んでくるから。せめて食べてから」

「…罪の無い仲居さん達を驚かせるのも気の毒だ。釈明は食いながら聞いてやる」

「サンキュ」


十五分後。

座卓の上には冷酒徳利が七、八本。

料理の進行度の倍、酒が進んでいる。

しかし、二人ともザルだから酔い潰れるような気配もなく、杯は進んでいるのだが。


「だいたい、龍哉ちゃんは、薄情だよな~」

「何が」

先輩孝行せんぱいこうこうはする癖に俺孝行はさっぱりしてくんない」

「するか、バカ野郎。お前孝行なんざして俺に何の得がある。孝行っつうのは目上の人にうやまい持ってするもんだ。それに、文親さんと自分を同列に並べるな。図々しい」


つまみの卵焼きを口に運びながら俺は言い捨てる。


「けど、これは結構美味い。さすが高級店はこういうちょっとしたものも旨いな」


今度文親さん連れてこようかな。


「あっ、今、先輩連れてこようかなとか思ったろ?」

「くだらないお前に罪はあっても、店とつまみに罪はないからな」


“文親さんは洋酒は強いが結構日本酒弱いからな。耳まで真っ赤になった所とか見てみたい”。


俺の考えていた事は雅義にはすぐに分かったらしい。


「俺がセッティングした店で俺と飲みながら、他の男の事考えんなよ~」


ぶつぶつ文句をいう。


「考えるに決まってんだろ。うまい物を食えば食べさせたいと思うし、良い酒がありゃ飲ませたいと思う。…お前と同じだろ」


そう。

俺が極力こいつと関わりたくない理由は。

高校時代から何度断ってもこいつが俺に「惚れてる、付き合って」と言い続けてるからだ。

何度突き放しても諦めない。

今では文親さえ妬かないほどにしつこく。

付き合い始めは妬かれたことも有るが、俺が全く相手にしない事が分かるに従って文親は妬かなくなった。


「なあ、なんで駄目?親同士も仲良くなってるし、障害無いじゃん」

「お前、俺には文親さんがいるの」

「先輩は先輩、俺は俺じゃあ駄目?」


ここ二、三年は沈静化してたのに、先頃親父同士の組の協力関係が潤滑になり始めてからまたモーションが激しくなった。


「無い、無い。全く、ほんとうに無いわ。お前と俺との間には南極の氷の割れ目より深ぁーーい裂け目があんの。絶対に無いわ」

「酷い」


すするように盃をめながら、雅義は情けない声を出す。

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