その声を出す龍哉さんが一番怖い、と黒橋が言う声を。


「嫉妬心だけが一人前で、気が効かず、腰は重い癖に口は軽い。自分の改善点には目を向けず、陰でこそこそ新入りを苛める。俺が側に置く理由が見事に無いな」


俺は彼らの前で目を細める。


「それでもマサは俺に何も言わなかったぜ。ちなみにお前らが何をしてたかは逐一俺の方へ報告が上がってきてたんだよ。でも先刻さっきまでは叱るぐらいでいいかと思ってた。ここまでクズだと思ってなかったからな。だけど手加減の必要はないようだ。公平、不公平か。利口なやつはあんまり持ち出さないハナシだな。……黒橋っ」


俺が振り向かずに声を発すると。


「はい、【若】」


聞き慣れた低い声が答えを返す。

引き戸の陰から突然現れた黒橋に高橋達は茫然としている。


「こいつら、とりあえず、父さんの所の松下の叔父貴に預けるわ。話は通したろ?」

「…ご報告致しました。舎弟頭からは、坊んの頼みならなんでも、との返事を頂きました」


松下、というのは父隆正の腹心だ。俺は親父とは今は別に住んでいる。防犯対策もかねて。

ちなみに、叔父貴といっても血縁じゃない。松下さんは親父の所の舎弟頭だ。誤解が多いが【舎弟】というのは他の構成員と違い、兄弟盃を親父と交わした弟分になるから、俺からの呼び方は『叔父貴』になる。中でも松下さんは舎弟頭、舎弟の中でも一番の実力者だ。


「なっ…なんでですかっ、ま、松下さんて、あの」

「あの?…ああ、そう言えば二つ名があったな。“神龍の不動明王”だったっけ?黒橋?」

「ええ。でも不動明王は伊達だて酔狂すいきょうで恐ろしい顔をしているのではなく、太陽の化身である大日如来(如来の最高位)を守るため、悪鬼や邪神を近づけない為にああした形で現されてるんですよ。…お前達もここから離れて一から性根しょうねを叩き治して頂きましょう。親も同然の若頭に向かって道理の通らぬ不満不平は了見違いもはなはだしい。思い知りなさい」


イヤに丁寧な黒橋の口調。

彼が【下】に向かってこうした口をきく時は、不機嫌極まりない時だ。

怒れば怒るほど冷静になる。

俺と黒橋、主従して面倒な性格だがこればかりは仕方ない。


「…連れていきなさい」

「た、助けてっ…あんな人の所行かされたら死んじまうっ」


悲鳴のような声をあげてへなへなと高橋達数名が床に座り込む。


「おれの親父の懐刀ふところがたなに随分な言いざまだなぁ。黒橋の言うとおり、根性入れ直して貰え?なんたってあそこは組員が猛者もさ揃いだからな」

「ひいっ!」

「ほら、若のご命令ですよ。こいつらを連れて、あちらへ」

「はいっ!」


黒橋が合図するとどこからともなく組員が現れ、奴等を引きずりながら消えていく。


「それでは」

「また明日な、お休み、黒橋」

「…お休みなさい」


そして洗濯室には俺とマサの二人だけが残る。


「若」

「怖かったか?」

「いえ…でも、あの…」

「あいつらの事か?心配すんな?性根叩き直されるのはキツいだろうが遅かれ早かれダメなヤツは潰れるのがこの世界のことわりだ」


そう言って、俺はマサの肩を軽く叩く。


「とりあえずはまた、次回の外出の時はよろしく頼むわ。もう行きな」

「はいっ!」


奴を送り出してからおれも自室に向かう。

部屋に入りベッドに腰かけてからスマホを取り出す。

かけたのは勿論、文親の番号。


「……はい、もしもし、龍哉?…どうした?」


穏やかで優しい文親の声に艶を感じるのは、まだ昼間の熱が残っているからなのか。


「いや。…ちょっと声が聞きたくなって」

「嘘」

「…嘘じゃないよ」

「なら、それでもいい」


電話越しに聴こえてくる、吐息。

前から考えていたとはいえ、組員の粛正は生半可な気持ちでは出来ず、なおかつ上の立場の人間は動揺の欠片もみせてはならない。組を統率し、維持していく為には仕方のない事だ。

文親ならばどうしたろうか?そう思った時に知らず知らず彼の番号へかけていた。


「龍哉?」

「何?」

「…いや、もう眠い?」

「まだ」


年上の恋人は恐ろしくさとい。


「…眠くなるまで話そうか?」


宥めるような優しい響きが俺の心をいやす。


「ああ」


眠れるかどうかは別にして。

心遣いが胸をあたたかくした──。

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