黒橋がスッと俺に身を寄せる。


「何ですか?」

「実はな…」

「はい、…ああ、その話ですか」


彼の眉間に陰が差す。


「暫く前から露骨になってきたと気にしてはいたんですが」


黒橋の表情が固くなる。


貴方あなたがマサを側につけるのは必要性があるからなのに」

依怙贔屓えこひいきだって思ってるんだろーな」

「馬鹿な、貴方に限ってはそれはない」


こうした考え方が俺と黒橋は似ている。

少し嬉しくなる。この男の全幅の信頼が。

普段は口うるさいが俺がきちんと考えて【動く】時にはそこに否やはない。


「申し訳ありません、私の監督不行き届きです、若」


頭を下げる黒橋の言葉を聞いて俺は首を振る。


「いや、きっちり監督していても、不行き届きなヤツは出てくるさ。性根が腐ってればな。で、父さんと爺ちゃんにちょっと話通しといてくれるか」

「…はい」


父さん、桐生きりゅう隆正たかまさは、母の兄。本来なら伯父にあたる。

俺は十五の時、実家の籍を抜けて桐生の家の養子になった。

神龍の後継になるために。

伯父夫婦には夫婦仲 むつまじいにも関わらず子供が居らず、会長職へと完全に退く決意をした祖父から正式に組を継ぐ代替わりに当たり、俺が十四、中二になった年の半ば、妹である母のところへ“話”が来た。

勿論、父は大反対。父が大好きな俺の弟は共に嫌がり、なにも知らぬ小さな妹は一変した家の中の空気に怯えていた。


だが。


『一度、見学に行かせて下さい』


俺はそう言った。

そして初めて母方の親族に会った時、俺は直ぐに伯父に言った。


「名前が変わるのは、高校からでいいですか?」


と。自分の家族の誰にも聞かず、その場で、一人で決めた。伯父夫婦は大喜びで、高校は私立の、あまりうるさくない(つまり、親の業種がヤクザでも平気な)高校へ行かせてくれると約束してくれた。


母親は何も言わなかった。

父や父方の親族などは一年近くかけて説得しようとしてきたが、俺は揺るがなかった。


「“今までの俺”をここまで育ててくれてありがとう。でも、…ごめん。もう、決めたんだ」


俺に何も言わないあのひとが昔決めたように。

父や弟妹が眼を泣き腫らして、俺を引き止めた時も、悲しいというより単純に参った。

もう決めたことを自分は決してくつがえさない。それが分かっていたから。


母親は“血”から逃れる道を選んだ。

でも、俺は初めて桐生の家の門をまたぎ、祖父や伯父と触れ合った時に分かってしまった。

自分が今まで生きにくかった理由を。ずっと感じていた違和感を。

俺は桐生の親族に容姿がよく似ていた。

鋭い眼光、力強い眉。

そして外見だけではないものも、引き継いでいたのだと、後に知る。

俺は“血”にかえる事を望んだのだ。

あのときに。

そして今俺は俺の生きるべき所でその血の命じるままに生きている。

他人の是非に惑わされる事なく。まあまあ自由に。



そして住み込みの組員の夕飯が終わってそろそろ落ち着き始める夜九時頃。

そっと俺は自室を出る。

黒橋の手配りか、周りは声をかけて来ない。


廊下を曲がり、夜になるとあまり人が出入りしない構成員専用の洗濯室まで行くと、中から数人の声がする。


「お前、生意気なんだよ!今日もまた若と出掛けやがって!」


おいおい、マサはそれが“仕事”なんだよ。


「どうせまたび売ってこづかい貰ったんだろ?はやく出せよ!」

「違います!…それにもうアニさん達には渡さないって決めたんです」

「なんだと?生意気言うな、下っ端の癖に」

「やめて下さい!」

「一人だけ特別扱いされてる癖に。ふざけんな!」


凛としたマサの声とは裏腹に、苛立ったような声と突き飛ばすような音。


「おい、ケガさせんならあんまり目立たない所をやれよ」

「はい、高橋さん!」


俺はため息をつく。…本っ当、クズだねぇ。

ため息がてら俺は洗濯室の扉をガラッと開ける。


「おい、なにやってる?」


声をかけると一斉にマサを取り囲んでいた奴等が振り向く。


「!」


凍りつく、一同。


「…つーか、何してたかは知ってるけどな、今、聞いてたし」

「わ…若、これは、あの…」

「なんか言い訳あるか?」


俺は固まっている奴等の真ん中を突っ切ってマサに手を貸して立ち上がらせる。


「大丈夫だったか」

「…はいっ」


すると、奴等の中の一人がやけになったかのように口を開く。


「どうして若はそんなヤツを贔屓ひいきするんですかっ。連れて出かけるなら他の奴でも良いのにっ。服買ったり、こづかいやったり、不公平っすよ!」

「…ものの見事にクズの考え方だなぁ。高橋」


ちなみにマサの夕食をかすめ取ってた奴だったりする。


「…こうは考えないか?何故自分達が選ばれないのか」

「え?」

「頭が悪いな」


俺は低い静かな声を出す。

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