こいつのこういうところが気に入って、そばに置いてるんだが。
「まあ、いいや。帰るぞ」
マサを連れて廊下へ出ると。
篠崎さんと若い奴等が隣室から出るところに行き合う。
「さっきはどうも」
「こちらこそ」
短いやり取りだが、それで通じる。
「神龍の若頭」
すれ違いざまに声をかけられる。
「はい?」
「うちの若からまた連絡行きますから、その時は…よろしくお願い致します」
「…はーい♪…それじゃ」
軽く会釈して、振り返らずエレベーターに向かう。若干引きつってたのバレたかな。
「…おっかねぇ」
やっぱり、ド迫力。あの人に向かってため口なんてきける気がしない。少なくとも、【今は】。
帰りの車内で。
俺は先程まで腕の中にいた恋人を思い返す。
別れ間際、あらかじめ用意して来たらしい新しいシャツに腕を通しながら、俺のほうにも新しいシャツを投げてよこした。
「下はともかく、上くらい、これ着て帰れ」
毎度の事だが。
「ありがと♪いつもながら、サイズぴったり(笑)」
「当たり前だろ」
文親は心なしかぶっきらぼうに言い、横を向く。
照れている時の文親の癖だ。
「抱きしめてくる男のシャツのサイズくらい、…嫌でも覚える」
全く。
もう一度抱きしめずにはいられない可愛さだった。
「…若、若?」
「あ、どうした?」
そんな俺を呼び戻したのはマサの声。
「あの…昼飯のお釣り、お返ししたいんですが」
「あ、やるよ。…律儀なやつだなぁ」
「でも」
マサは口ごもる。
マサが何故ためらうのか、俺は知っている。
俺が側につけているせいで、マサより少し年長の兄貴分の何人かに嫌がらせされているのだ。
「タカられちまうのが嫌なのか?」
「!」
運転席のマサが息を呑むのが分かる。
「若、知って…」
「ああ。お前見てりゃな」
マサにはいつも金を渡してる訳じゃないが今日のように昼飯代で渡すとき、いちいち釣りなんか貰わない。
初めてこづかいをやった時、これはとって置いて実家の仕送りのたしにするんだと笑っていた。堅気じゃないから表だっては送れないが、マサの下の小さな弟妹をシングルで育てる母親への足しになれば、と。
実際、俺はマサから銀行通帳を預かっている。
そして入金用のカードは黒橋が持っている。暫く前に気づいてから、黒橋に管理させる事にした。
マサは余計な事を言う男ではないから口止め料(笑)も必要ないが、
だから自然と側に置くようになったのだが。
気も効かず、言われなくては動けない奴等に限って、裏に回れば姑息な事をする。
俺と出かける時のスーツは黒橋が管理して無事だが、靴を隠されたり、数の少ない私服を破られたり、食事をかすめ取られたり。
全部俺に報告が上がってるのは知らないんだろう。
「誰が何してんのかも知ってんぜ。全く、下衆どもが」
「若」
「…お前が弱音吐かないからな、少しほっといたが」
当事者間で解決出来そうなところは多分過ぎている。
「まあ、いいや。お前は知らんぷりしとけ。下の『教育』は上のつとめだ」
そう言うと、バックミラーの中でマサは泣きそうな顔をする。
「それより、軽くなんか食っていくか?言っとくけど遠慮はすんな?昼飯と違って今度は俺がいるからな、旨い飯食わすぞ(笑)」
「はいっ!」
「帰ったぞ」
玄関の引き戸を開けると、そばにいた何人かがすぐ飛んで出てくる。
「お帰りなさい、若!」
「ただいま。…黒橋は?」
「黒橋の兄貴ですか、呼んできますっ」
「いや、いい。部屋にいるからと伝えろ」
そう若い者に言って、俺は玄関床へと上がる。
そして後ろにいるマサにだけ聞こえる声で、
「心配すんな」
と告げ、自室に向かう。
黒橋は直ぐに来た。
「お帰りなさい、若頭」
「ごめんな、遅くなって」
「いえ、いつもの事ですし」
顔色一つ変えずに黒橋は言う。
「清瀧の坊っちゃんはお元気でしたか?」
「元気、元気♪今日もアンアン言わせてきた(笑)」
「…。龍哉さん、そんな事、篠崎さんに聞かれたら消されますよ」
俺より七つ上の黒橋が、必要以上に老成しているのは、間違いなく俺のせいだろう。
「げっ!おっかねぇ。でもその前に“黒橋さんの前で何言ってんだ、このうすらボケ!”って絶対手加減無しで文親さんに後頭部はたかれるな。そのほうが怖い」
「…清瀧の坊んのご苦労が忍ばれますね。きちんとして頂かないと、下の人間に示しがつきませんよ」
「示し、ねぇ。その事なんだがな、黒橋、ちょっと耳を貸せ」
俺はソファに座ったまま、側に立つ黒橋を手招きする。
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