第37話 残酷な事実

「お邪魔するわよ、シルフィネス」

 久しぶりに訪ねたその部屋は薄暗かった。

「シルフィネス、いるんでしょう?」

 侍女に車椅子を押されながら、ミシュガーナは室内のどこかにいるであろう人物を目で探す。

「……眠ってるの?」

 寝巻きでも普段着でもなく仕事用の軍服のまま、彼はベッドに倒れていた。

「下がってちょうだい」

 と、ミシュガーナは侍女を部屋から出して、自分と彼の二人きりにさせた。

 シルフがわずかに身体を動かし、ミシュガーナは近くへと進む。

「何があったの? シルフィネス」

 表情は見えなかった。

「あなたが仕事を休むなんて珍しいじゃない。何か理由があるんでしょう?」

「……放っておいてくれ」

 抑揚のない声がそう答え、ミシュガーナは眉をひそめた。

「他の人には何て言ってきたの? きっとみんな心配してるわよ」

「……」

「シルフィネス、何か言いなさいよ」

「……分からないんだ」

「何が?」

「……どうしたらいいのか、彼女のために出来ること、それが分からない」

 まったく意味が理解できず、ミシュガーナは車椅子の方向を変えて窓へ寄った。閉ざされたカーテンを開き、彼の方を振り返る。

「……っ」

 シルフはまぶしそうに顔を背けた。

 ミシュガーナがまたそちらへ進もうとした時、脳裏にある映像が映った。

「シルフィネス、あなた……あの子のこと」

 はっとしてミシュガーナは目をそらす。だらしない軍服姿の彼の背に、隠された本音が見えていた。

「……」

「……」

 重たい沈黙だった。ミシュガーナの車椅子が不快な音を鳴らし、シルフは死んだように倒れたまま動こうとしない。

 やがてミシュガーナは扉の前まで来ると、彼へ言った。

「最高神と宿り主に関する情報を一から見直しなさい。その途中で大事なことに気づくはずだわ」

 太陽光が照らすばかりの室内を、扉の閉まる音だけが支配していった。


「結局、今日もまた来ませんでした」

「……無断欠勤ですね」

「どうするんですか、ノーア。これから先も彼が来ないつもりなら」

 深夜の本部は呆れたため息であふれていた。

「一度、様子を見に行くしかないでしょう。ミス・オードからは、彼がずっと部屋に閉じこもっているとの話ですし」

 と、ノーアは椅子の背にもたれた。

「今日はギュスターとオレが護衛だったから、明日はノーアとオレだろ。したら、空いてるのはギュスターだけですが……」

「いえ、その役はダリウスに任せます。ギュスターには悪いのですが、明日の午前中だけ護衛についてくれますか? その間にダリウスはシルフの様子を見てきてください。午後はギュスターと交代して、護衛に」

 異論はなかった。シルフを訪ねに行くのなら、ギュスターよりもダリウスの方が最適だった。


 目を覚ました太陽が少し高さを上げた頃、ダリウスはオード邸を訪ねていた。飽くまでも友人の一人としてやってきた彼は、軍服ではなく私服を着用している。

 使用人に案内されて目的の部屋まで来ると、ダリウスは扉を叩いた。

「シルフィネス、ダリウスだ。入ってもいいか?」

 返答はなかった。ダリウスは構わずに扉を開けて中へ入る。

「うわ……」

 部屋の中は無残に散らかっていた。侍女が綺麗に掃除してくれるはずなのに、それを無理にでも散らかしたらしい。

「シルフ?」

 その人物は窓際にいた。だらしない私服姿の彼へ向かっていくと、ダリウスは彼が半ば放心状態になっていることに気がつく。

「今日はいい天気だな、風が吹いてる」

 シルフは答えなかった。

 少しだけ開いた窓の隙間から風が入り込んで来て、部屋をさらに散らかす。

「みんな、お前を心配してるよ。何があったのかなんて分かんないけどさ、とりあえず無断欠勤はやめようぜ?」

 数日見ない間に髪の毛が伸びたのではないかと思うほど、彼の頭は乱れていた。

「そろそろノーアが怒り出しそうで怖いんだよ。どうせとばっちりに遭うのはオレだろうし」

 静か過ぎた。いつもの彼らしくないその姿に、ダリウスは内心戸惑っていた。

「ユーティアだって、お前のこと――」

「やめてくれ」

 ふいにシルフが声を発し、ダリウスはきょとんとしてしまう。

「は?」

「やめてくれ、何も言うな」

「……そうか」

 ダリウスは口を閉じた。

 そしておもむろにシルフが床へうずくまる。

「何泣いてるんだよ、お前」

 無意識に放った言葉はどこか冷たく、シルフは耳を塞ぐように頭を抱えて嗚咽するだけだった。――どうやら原因は、彼女にあるらしい。

 ダリウスは再び窓外に目を向けてしばらく考えると、苦しむ彼に残酷な事実を突きつけた。

「ついこの前、ギュスターが彼女に求婚したよ。二人はもう婚約者同士だ」

 シルフがさらに身を縮めた。まるで聞きたくないとでも言うような……否、分かっていると言った風に見えた。

「もうあきらめるしかないな。ってゆーか、最初からあきらめるしかなかったんじゃないか?」

「……っ」

「お前が誰に好意を抱こうが構わないけど、仕事はちゃんとやったほうがいい。公私の区別はきっちりつけなければいけない、って前にノーアも言ってたよ。まあ、そう言うノーアが一番出来てないと思うけどな」

 やはりシルフの返答はなかった。

 これ以上は何も得られそうにないと判断したダリウスは、自分に出来る最大の励ましを送る。

「むしゃくしゃするなら、自分の好きなことに没頭すればいい。それで少しは心が楽になるし、そんな気持ちだって少しは忘れられるよ」

 そして背を向け、歩き始める。

 シルフがわずかに頭を上げると、ダリウスは「そうだ」と、立ち止まった。

「前向きになることも大事だぜ。ほら、ユーティアもよく言ってるだろ? 前向きに考える、って」

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