第34話 憧れの人

 紅茶の水面に映る自分の顔から、ユーティアは目をそらした。

「失礼ですが、以前からそのような願望はお持ちで?」

「はい、普段は前向きになろうと努力してるんですが、時々どうしようもなく怖くなって、変なことばかり考えちゃって。頑張っては、いるんですけど……」

 ノーアが小さくため息をこぼす。

「なるほど。そういう時は誰でもいいので言ってくだされば、ちゃんと話を聞きますよ」

 と、半ば呆れたようにノーアは笑った。

 ユーティアはごまかすようにカップへ口をつけ、横で聞いていたダリウスが口を挟む。

「オレだっているし、メイリアスに話してくれたっていいんだぜ?」

 その通りだとユーティアは思う。しかしうしろ向きな思考に気を取られると、そんな考えすら出来なくなるのが自分の悪い癖だった。

「とりあえず、今日は中庭にでも行きましょう。太陽の下を歩けば、気分もよくなるはずです」

 ユーティアはカップを戻し、ダリウスがノーアを見る。

「え、危険じゃないんですか? ってゆーかオレ、初耳なんですけど」

「今日は特別です。いつ何が起こるかは分かりませんけれど、だからと言って、ずっと部屋に閉じ込めておくのも心身に毒ですからね」

 ダリウスは「マジかよ」と、どっちつかずの返事を返す。

 ノーアはユーティアへ目を向けた。

「今回のことは私たちにも責任があります。今後は更なる配慮を心がけますが、辛くなったらすぐ誰かに教えてくださいね」

 おずおずとユーティアが顔を上げれば、二人の穏やかな視線に気づく。その内側には、ユーティアに対する強い決意が秘められている。

「……はい」

 ユーティアはほんの少しだけ、元気になれた気がした。


「そういえばこの前、睡眠薬には慣れているって言ってましたけど、どういう意味なんですか?」

 久しぶりに歩く中庭は涼しく、昨日よりもだいぶ元気を回復したユーティアは、ノーアへそうたずねた。

「……ああ、そのことですか」

 少し考える様子の後にノーアは答えを返す。

「私が一級魔法使いになった頃、さまざまな人たちから恨まれましてね。そういうことを、何度か経験しただけですよ」

 驚いて何も言えないユーティアに、ダリウスが補足をする。

「十年前はすごかったんだぜ、天才魔法少年って噂が流れてさ。それを喜ぶ人もいれば、負けたくないって悔しがる人もいて、あの頃は本当にやばかったよ」

「当時は騒がれすぎて、嫌でしたけどね」

 見ると珍しくノーアが視線を遠くに向けていた。

 それに気づいたのかそうでないのか、ダリウスがまた口を開いてユーティアへ言う。

「そうそう、アデュートール家の天才児が少し風邪を引いただけでも、貴族の間にはすぐ情報が入ってきてさ。愛されてるんだと思ってたけど……やっぱ、違うんですね」

 ユーティアはますます何て言えばいいのか分からなくなってしまった。

 ノーアは彼女を見てにこりと微笑む。

「ですが、それも今ではいい経験だったと思っています。あの頃がなければ、今の私はありませんからね」

「そうだったんですか、ありがとうございます」

 と、ユーティアは無難な言葉を返した。

 そして静寂を数歩進んだ時、居辛そうにしていたダリウスが唐突に言い出した。

「オレ、小さい頃から魔法使いには憧れてたんですけど、本気でなりたいって思ったのは、その頃なんですよね」

 ノーアは何も応えない。

「世の中にはこんなすごい人がいるんだって知って、義務教育を卒業したらすぐに魔法使いを目指そうって決意したんです」

 三人とも誰かと目を合わせようとはしなかった。ただ続いていく道のりに、温い風が吹き抜ける。

「だけど、どんなに頑張っても魔法使いにはなれなかった。人には才能があるんだと聞かされて、仕方なくオレはあきらめました。それでも憧れの人に会えるなら、と思って軍に入ったんです。

 同じ立場になれなくて悔しかったけど、せめて顔だけでも見たかった。でも、しばらくその人に会うことは出来なくて、ずっとオレは憧れてきました」

 ダリウスの足が止まる。

 ユーティアは立ち止まり、ノーアも少し遅れて動きを止めるとうしろを振り返った。

「それなのに、本物がこんなに嫌な奴だなんて、思いっきり期待を裏切られましたよ」

 そう言って笑ったダリウスに、ノーアはいつもの笑顔を浮かべた。

「上手い作り話ですね。ダリウスにしてはよく出来ていると思いますよ」

「ちがっ……! え、ええ、ありがとうございます」

 再び二人が歩みだし、ユーティアもその後を追って歩き出す。ノーアの表情に笑みが戻り、ダリウスも楽しそうにしていた。

「だいたいにして、魔法は元来単純なものなんですよ。ただ、小学校で教わる事をすべて根本から理解できなければ、魔法使いになるのはまったく無理なことですけどね」

「どうせオレは馬鹿ですよ。まあ、ノーアみたいに物事をいちいち難しく考えること自体、すごく面倒だと思いますしねー」

「おや、私は馬鹿だなんて言ってませんが? 少し自意識過剰になっているんじゃないですか、ダリウス」

「そういうあなたはちょっと臆病なんじゃないですか? 一級魔法使いなら魔法使いらしく、もっと堂々としていればいいのに」

「それもそうかもしれませんね。ですがその前に、自分自身を振り返ることも必要ですよ。もしかしたらメイリアスのことで舞い上がっているのかもしれませんが、一度頭を冷やしたらどうです?」

 ダリウスはぐっと押し黙り、ノーアがにやりと笑う。そんな二人を見ていたら、傍観者のユーティアまで楽しい気分になってきた。

「そ、それよりもオレは、オレは……っ」

「何ですか?」

 にらみ合う二人の様子にユーティアが思わず笑い声を漏らすと、ダリウスは叫んだ。

「ああ、もうっ! さっきの話、全部取り消し!」

 さっきというのがどこからどこまでなのかはあえて聞かないことにして、ユーティアはただ笑っていた。

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