第32話 わたしがいなければ

 寂しかった。

 みんながそばにいるけれど、本当は独りぼっちな気がしていた。

「……ユーティア?」

 自分のせいで不幸になる人たちがいるという事実が、何故かひどく怖かった。その矛先を誰に向ければいいか分からなくて、心がもやもやする。

「大丈夫か、ユーティア」

 悲しかった。

 いつも部屋に一人きり、笑顔で過ごしていれば許される毎日。求めたくて伸ばす手を、勇気が無くておさえ込む。

「ユーティア、聞こえてるんだろう?」

 哀しかった。

 すべての人を許せない自分が情けなくて。その上で幸せに暮らす毎日の、いつか切れてしまう時が、ひどく怖い。

「おい、ユーティア」

 ギュスターに肩をつかまれて、ユーティアははっとした。見るとすでに朝食の支度が済んでいた。

「……何」

「何度呼んでも返事をしないから……また何か、考えてたんだろう?」

 呆れた風にそうたずねる彼を、ユーティアはただぼーっと見ていた。

 彼にすら、見放されてしまうのではないかという不安がどこからともなくわいてくる。そんなわけないと自分を押し殺し、ユーティアは立ち上がった。

「そうね、うん」

 朝食の席へと向かう彼女をギュスターはいぶかしげに見つめた。今日はいつにも増して元気がなく、顔色もよくない。

 すでに待機していたシルフが椅子を引いてやると、ユーティアはまたはっとして動きを止めた。

 メイリアスが首をかしげて彼女を見つめ、シルフもその様子を怪しむ。

「……わたし、わたし」

 つぶやく声が震えていた。

 やがてユーティアはがたがたと震えだし、その場にくず折れてしまう。

「ユーティア!?」

 シルフは慌てて彼女のそばに膝をつく。

「わたし、わたし何もしてない……何も、してないのにっ」

 シルフがその肩に手を触れると、ユーティアはぴしゃりとそれを拒絶した。

 思いがけないことに驚いて、シルフは怯んでしまう。

「わたし、だって、ただここに……こんなところ……何で、わたしばっか、何も」

 ユーティアは取り乱していた。これまで溜め込んでいたストレスが限界を超えていた。

 ギュスターは彼女をどうやって落ち着かせればいいか思考するが、彼女から目を離すことが出来なくてもやもやする。

「わたし、何もしてないのよ。それなのに、どうして彼らは、わたしのせいで……わたしのせい? わたしは何もしてないのに?」

 その視線は遠くをさまよっていた。気分が悪そうに苦しい呼吸を続け、ユーティアは喘ぐように同じ言葉を繰り返す。

 そしてユーティアはひとつの結論を導き出した。

「わたし……女神なんて信じない。誰も助けてくれないなら、信じないっ」

 普段なら絶対に言わないような言葉が彼女の口から出た。

 メイリアスはひとまず彼女を落ち着かせなければならないと、華奢な身体に手を伸ばす。

「いやっ」

 と、シルフ同様拒絶されてしまい、メイリアスはすぐに手を引いた。

「ノーアを呼んでくる」

 無理矢理にでも彼女を落ち着かせようと考えてギュスターがそう言うと、ユーティアの震えがぴたりと止んだ。歩き始めたギュスターの耳に、不吉な言葉が響く。

「そうだわ、わたしがいなければ彼らも不幸にならないで済む」

 はっとしてそちらを見ると、ユーティアは二人を振り切って立ち上がっていた。

 すぐさま扉へ向かって駆けだしす彼女の腕を、ギュスターはとっさにつかんで引き留める。

「馬鹿な真似はよせ!」

「やめて、わたしさえいなければ世界は平和なのっ」

 ギュスターは逃れようとしてもがく彼女を取り押さえたが、彼女は抵抗を止めなかった。

「きっとみんなが迷惑してる。わたしがいなくなれば、すべて片付くのよ」

 どこか冷静な口調でそう言った彼女はギュスターの腕から抜け出し、再び前へ顔を向けてしまう。

「そうじゃないだろ! お前は……」

 と、ギュスターはうしろからその華奢な身体を抱きすくめた。彼女の足は動きを止めず、顔もそちらへ向いたままだった。

「お前がいるから、俺はここにいるんだ。他の奴らだって、みんなお前のことを迷惑だとは思っていない、あいつらだってそうだ」

「じゃあ、どうしてギュスターはわたしを愛してくれないの――?」

 腕に込めた力が一瞬だけ抜けた。その隙に彼女が扉を開けて廊下へと消えて行く。

「っ、馬鹿!! 俺が彼女を追うから、お前はノーアたちにこのことを早く!」

 シルフとメイリアスが部屋を出て行く姿を見送って、ギュスターは呆然とうなずいた。

「……ああ」

 彼女に嫌われたなんて考えたくなかった。しかし、ありえない話ではないと思ってしまう自分がいるのも――残念ながら事実であった。


 神様なんていない。わたしはわたし。女神なんて作り物。わたしは普通の人間。わたしはわたし。

 床を駆ける、足音が響く。世界ってこんなに広かったんだ。知らなかった。誰かの声、通り抜ける風。階段を蹴る足は軽い。

 太陽がまぶしく顔を照らす。心地いい。ああ、このままどこかへ飛んで行けそう――。

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