第30話 流行り病の元凶
狭い檻の中、ハティは窮屈そうに翼を閉ざしていた。
「さっさと答えてしまえば楽になれますよ」
と、向かい合ったノーアは言う。
「それならもっと広い場所に移せ」
ハティは先ほどからずっと同じことを要求していた。その生意気な態度にノーアはすっかり呆れ果てていた。
「ではお聞きしますが、その翼はどうして手に入れたのですか?」
返事はなかった。仕方なくノーアは質問を変える。
「やめましょう。出身はどこですか?」
「……」
やはり何も答えないハティにノーアは言った。
「ヴァナ・ド・ハティという名前ですが、偽名ですよね?」
「……ギムレーだ。本名はハティ・ランドグリーズ」
ノーアは手にした用紙に筆を走らせながら、思いついたことを口にした。
「流行り病が最初に起きた場所ですね。もしや、あなたが?」
ハティは顔をそらしていた。――国内を騒がせた流行り病。それを引き起こしたのが彼であれば、翼はその代償として得たものか。
「何故、そのような真似を?」
ハティは口を閉ざしたまま、ノーアを二度と見ようとはしなかった。
こんな時でも仕事を休むつもりはなかった。一時的にでも現実から離れられるのならば、むしろそれは彼にとってありがたかった。
「ごきげんよう、プリンセス・クランベリー」
扉を開けて中へ入る。現在使われている王族の私室で最も派手なその部屋は、あいかわらず子どもっぽい活気であふれていた。
「あ、ノーア! ごきげんようー」
それまで侍女と遊んでいたクランベリーが、うれしそうにこちらへ駆け寄ってくる。そしていつものようにノーアへ抱きつくが、抱きしめ返すその両腕は、普段よりも弱々しかった。
彼の様子に気づいたクランベリーは、すぐにその顔を見上げた。
「疲れてるの?」
――他人は騙せてもプリンセスだけは騙せない。
「ええ、少しだけ。でも大丈夫ですよ、授業を始めましょう」
と、ノーアはクランベリーをうながした。透き通るような空色の瞳は、まだ心配そうに彼を見つめていた。
侍女が静かに部屋を出て行き、席に着いた彼女の隣でノーアは教科書を開く。
「えーと、この前はどこまで話しましたっけ……」
そう言って記憶を手繰る彼をクランベリーは見抜いていた。我慢できなくて、つい口を開いてしまう。
「ぼく、知ってるよ。今すごく大変なんでしょ? 変な奴が城に入ってきて、ユーティアをさらおうとしたって」
純真な瞳に見つめられ、ノーアは思わず目を丸くした。
「その取り調べが進まなくって、寝る暇もないって。無理しちゃだめだよ、ノーア」
それは彼を心から想う彼女ならではの言葉だった。
「ありがとうございます、プリンセス。ですが、その話は誰から聞いたんですか?」
「ダリウスから……」
返答を聞いて、ノーアはため息をついてしまう。いくら仲がよくても、彼女を心配にさせるようなことは、極力しないでほしかった。
「でも、ぼくがしつこく聞いたからなの。ダリウスは悪くないよ、ぼくが知りたかっただけだから」
と、必死に言い訳を始めるクランベリーが不思議と愛らしくて、仕方なくノーアは顔を上げた。
「分かりました。そういうことにしておきましょう」
そう言って呆れ混じりに微笑めば、クランベリーが不満を顔に表す。
「だって本当のことだもん、ぼくが先に聞いただけだからね!」
と、照れなのか怒りなのか、顔を赤くさせる。
「ええ、分かっていますよ」
――目の前にいる少女と共に過ごせる時間があるうちは、何だって出来る気がした。帰る場所が、受け入れてくれる人がそばに在るうちは、どんなことでも成しとげられると……。
夜、仕事を終えたダリウスは報告のために部屋を訪れた。
「ハティの奴、全然吐こうとしないぜ。ノーアが忍耐強く相手してるけど、分かったのはあいつが流行り病の元凶らしいってことだけ」
と、心なしメイリアスを避けるようにしてダリウスは寄ってくる。
「どういうことだ?」
「あくまでもノーアの推測なんだけど、ハティは流行り病を引き起こしたせいで、あの翼を手に入れたんだってさ」
寝間着に着替えるために、ユーティアとメイリアスがカーテンの向こうへと消えていった。
「なるほどな。だが、その方法で翼を手に入れたとなると、あいつはそうとう運がよかったな」
ギュスターとダリウスが首をかしげると、シルフは言った。
「禁忌を犯して得る翼は、死と引き替えだという。死ななくても、奪った命の数だけ痛みは増すと聞くし、ああして生きていることが不思議なくらいだな」
――それほどのことまでして、ハティは何をしたかったのだろうか。
「……まあ、あれだけ強力な闇魔法の使い手だ。元々、普通の人間じゃなかった可能性もある。場合によれば、翼を得るのはたやすいことだったのかもな」
と、黙り込んだ二人にシルフは言った。
メイリアスがカーテンを開け、寝間着に着替えたユーティアが出てくる。
「報告はそれだけか?」
ギュスターの問いにダリウスは「ああ」と、うなずく。
メイリアスが衣服の入ったかごを手に持った。
「そうか。じゃあ行ってこい」
と、唐突にダリウスの背を押すギュスター。びっくりしたダリウスが振り返ると、ギュスターは意地悪く言った。
「彼女、もう出てったぞ。二人きりになれるチャンスだろ?」
ダリウスは不満そうに頬を紅潮させると、助けを求めてシルフに目をやる。
「俺には助けられないぞ」
と、シルフはやや楽しそうに言った。すぐに助けてくれることを期待してユーティアを見ると、彼女も笑った。
「いってらっしゃい、ダリウスさん」
純粋なその応援にダリウスは肩を落とし、愚痴りながらもしぶしぶ扉へ向かう羽目になる。
「ノーア二号め、覚えてろよ」
そう文句して、ダリウスは部屋の外へ出た。
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