第28話 ヴァナ・ド・ハティ

 メイリアスは走りながら予定が狂ったことを苦く思っていた。本来なら上の階へ移動するはずだったが、これでは自分の体力がそこまで持ってくれないだろう。――それならせめて、窓のあるところまで……!

「あっ」

 足がもつれた。床へ転んだメイリアスの手から、ペンダントがすり抜ける。見ると後方に彼らが迫ってきていた。

「――ハティ! ヴァナ・ド・ハティ!」

 とっさにメイリアスが声を上げると、数メートル先にあった窓ガラスが派手な音を立てて割れた。

「君にしては上出来だ。どうせ成功などしないと思っていた」

 先を行っていたノーアが立ち止まり、追いついたユーティアも足を止めてその姿を確認する。

 月光に照らされて白々と輝く翼が見えた。白い服に白い肌、白い靴と白銀の長髪――そして異様な眼力を持つ黒い瞳。

「っ……!」

 目が合った途端に息が苦しくなった。くず折れたユーティアを横目に、ノーアは言う。

「彼女は渡しませんよ」

 ノーアは身構えた。

 翼を持つ人間は禁忌を犯した証。女神の封印した悪の魔法を、何らかの方法でよみがえらせたことを意味している。闇に身を売ったも同じだ。

 挑戦的な声が辺りに響き渡る。

「夜は闇の味方をする。いくら天才と呼ばれた君でも、この僕に勝てるとは思えないね」

 にらみ合う二人の尋常でない空気を感じたメイリアスは、ただ廊下の隅へと後ずさった。

「グレイプニル・ノート」

 先に攻撃を仕掛けたのはハティだった。細く透明な紐が散らばるガラス片を宙に浮かせ、ノーア目掛けて投げ飛ばす。

「ウル・カノ」

 灼熱の壁がそれらを一瞬で溶かし、二人の視線が交差した。

「ラティ・ノート」

「ギューフ・リントヴルム」

 細かい石は赤い召喚竜に食いちぎられて姿を消すが、ハティに隙は出来なかった。

「ハガル! ギューフ・フギン・ノート」

 高速の鷹が背後からユーティアを狙う。

「ギューフ・ニーズホッグ」

 緑の蛇が鷹を追い払い――ベルカナ・エーギル・ノート――黒い洪水が、ノーアを遠くへ吹き飛ばす。

 体勢を立て直し、ノーアはすぐに顔をそちらへ向けて魔法を唱えた。

「ベルカナ・ロギ」

「エオー・ノート」

 しかし火の粉は風にかき消されてしまった。――魔法の出現速度がまったく違う、やはり夜は闇の味方か。

「だから言ったでしょう? 君じゃあ僕には勝てない」

 と、ハティが倒れているユーティアへ近づく。

「ギューフ・フェンリル」

 阻止しようとして召喚した幻獣も――ハガル――再びハティはかき消した。

 どんな抵抗も無駄のようだ。ノーアは冷静に思考しようと両目をつむる。

 ハティが床へひざまずき、ユーティアの頬へうやうやしく触れた。

「ウル・レーヴァ」

 光をまとった剣が目標を定め、ハティは岩で押し留めようとした。

「ウル・スヴィティ」

 前方をふさがれた剣は壊れ、その反動で岩も砕ける。二つの魔力が消える直前に、ノーアは叫んだ。

「ギューフ・ウンディーネ!」

 直後、水の上級精霊ウンディーネが現れた。散り散りになる白と黒の中を、美しい水の軌跡を描いてハティへ向かう。

 再び同じことをしようとしたハティだったが、近づいてくる足音に気をとられた。

「ラーグ」

「ガンダールヴ・パース」

 シルフの水滴がノーアの魔法を増幅させ、それがハティの身体を捕まえるのと同時に、ギュスターの美しい斬撃がその白い翼を切り落とす。

 かろうじて身は守られたハティだが、右の翼が半分の大きさになっていた。

「ギューフ・フギン・ノート、ゲルギ――」

 二つ目の呪文を言い終わる前にギュスターは剣を振り上げ、ユーティアをさらおうとする鷹をシルフが「ハガル」と、かき消す。

 遅れてやってきたダリウスが、逃げ出そうとするハティに向かって矢を放ち、ハティはギリギリで避けた。

「イス・ノート」

 わずかにできた余裕で回復魔法を唱え、切られた翼を再生させた。

 その光景に驚きながらも戦闘をやめない四人を、メイリアスはただ見ていた。――きっとこの戦いが終わったら、裏切り者と呼ばれるんだわ。ユーティアにも嫌われて、誰もがあたしを置いて行ってしまう……。

 強力な魔法を使ったせいで力をなくしたノーアは援護に回り、ギュスターとダリウスが次々に攻撃を仕掛け、ユーティアの前に立ったシルフが隙を見て魔法を唱える。さすがのハティも相手の人数が増えてしまうと、先ほどまでの勢いをなくしたようだった。

 しかし、それすらも予定のうちだったのか、ハティが唐突に強力な魔法を唱えた。

「ベルカナ・ゲルギヤ・ノート!」

 濃い闇の気配が辺りを包み、無数の黒い鎖がノーアを襲い、ギュスターに向かい、シルフを狙って、ダリウスの身体を傷つける。

 気づくと、廊下が赤い液体で汚れていた。メイリアスは目の前で起こっている事態の深刻さに気づいて震えた。

 ダリウスが床に両手をついて起き上がろうとする。――信じていると言ってくれた彼さえも裏切って、あたしはいったい、何をしているの?

 恐ろしさの反動で足が勝手に床を蹴った。落ちていた弓を拾い、彼の肩に触れる。

「大丈夫? これくらいでやられてちゃ、軍人失格よ」

 顔を上げたダリウスは驚いた。

「メイリアス……?」

 彼女の両目には涙があふれていた。

「ほら、しっかりしなさいよ。あなた、男でしょ?」

 と、メイリアスは泣き笑いの顔になる。

 うなずいたダリウスは立ち上がり、弓を受け取った。

 一人で応戦していたギュスターに加勢すると、ハティがまた劣勢に追い込まれる。

「カノ、ウル・エオー」

「グローイ」

 ノーアが熱風を送り、シルフが光を付加すると、それを避けようとしたハティに隙が出来る。

 そして助走をつけることなく飛び上がったギュスターがほぼ真正面から、

「ノルズリ・パース」

 と、水の渦巻く剣で白い身体を大きく斬りつけた。バランスを崩した身体に何本もの矢が放たれ、隙だらけになったハティにシルフがとどめを刺す。

「ウル・ゲルギヤ」

 大きな鎖に動きを束縛されて、ようやくハティは大人しくなった。

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