第16話 吟遊詩人

 やがて始まったサロンは美しい音楽にあふれていた。余興で数人の楽士たちが演奏をし、場内は一気に盛り上がる。

「今日のメインはこれからだよー。吟遊詩人のミスター・マーニって人」

 と、ふいにクランベリーがユーティアに話しかけた。

「ぼくにはよく分からないんだけど、女の人がみんな惚れちゃうくらいカッコイイって言われてるの。ま、見てみれば分かるよー」

 そして周囲がざわざわし始めると、くすんだ色合いの青でまとめた、いかにも旅芸人風の衣装を着た青年が舞台へ立った。整った顔に切れ長の目が魅力的で、長く伸ばした金髪はゆるくうしろでひとつ結びにされている。

 その手には弦楽器のリュートがあり、彼は仰々しくお辞儀をしてみせた。

「……すごい人気ですね」

 先ほどまでは静かだった女性たちが、きゃあきゃあと声を上げていた。吟遊詩人のマーニはそんな黄色い歓声を身振りで制し、おもむろにリュートを奏で出す。

 ――混沌の中心に泉があった――泉から水があふれ出て、空気に触れて大地が出来た――泉は拡大し海を成し、大地と溶け合った瞬間に巨人が生まれ出た――。

「いつ聞いても素晴らしい声だわ、うっとりしちゃう」

 ある女性のつぶやく声が聞こえると、クランベリーはむっとした。

「声なら、ノーアの方が絶対に綺麗なのに」

 ――彼の血が土と混ざると黒い赤ん坊が、彼の血が風と混ざると白い赤ん坊が生まれた――白い方は大地で最も高いところに居を構え、黒い方は最も低いところに家を作った――やがて白い方は光の王国を築き、黒い方は闇の王国を築く――。

 誰もがマーニの歌に聞き惚れていた。優しくつむがれていく声と弦の音色が、聞く者の心をつかんで離さない。

 やがて歌が終わると、マーニは再び大げさな礼をした。歓声が上がり拍手が沸き起こる。

 この場に慣れてきたユーティアも、いつの間にか彼の歌に心を躍らせていた。

「ありがとうございます、ご婦人、そして紳士の方々。今回は要望にお応えしてもう一曲、披露させていただきます」

 と、マーニがまたリュートを構える。そして場が静まる直前、マーニはユーティアの方を見た。

 思わずドキッとしたユーティアに、彼は艶っぽく微笑むと口を開いた。

「お聞きください……ミーミル・ノート――」

 その刹那、室内にいた人々が次々に気を失って倒れだした。はっとしてユーティアは隣にいたクランベリーへ目をやるが、彼女もまた同じように意識を失っていた。

「う、うそ……っ」

 会場にいたユーティア以外の全員が床へ伏せてしまっていた。――闇魔法だ。

 鋭い目つきを尖らせて、リュートを捨てたマーニがこちらへ寄ってくる。

「さあ、証拠を見せていただきましょうか。神の宿り主さん」

 数分前にはなかった邪悪な顔がユーティアへ近づいてくる。

「いや、誰かっ……シルフさん!」

 怖くなって叫び声を上げるが、すぐそばに立っていたはずの彼すらも……否、彼の姿が見えなくなっていた。状況を理解できなくて頭の中がぐちゃぐちゃになり、視界がぼやける。

 恐怖で固まるユーティアへ近づき、マーニはその場にひざまずいた。骨ばった手がスカートの中に入ってきて、背筋が震える。

「いや、やだっ……やめてっ」

 マーニがにたりと嫌な笑みを浮かべる。まくり上げられたスカートはすでにその証をさらしていた。

「何故、城に入れた?」

 ふいにマーニの動きが止まり、見るとシルフがその後頭部にナイフを突きつけていた。

「さすがは魔法使いといったところですか。人の目をごまかすのは簡単なことです。時間をかけて作り上げた名声があれば、なおさら」

 と、マーニがゆっくりと立ち上がった。

 シルフは何も言わず、ただ相手の様子をうかがっていた。

 マーニもまたシルフの顔を見て、慎重にユーティアの背後へと回りこむ。

「残念ですが、彼女はいただきますよ」

 おびえて涙を流すしかないユーティアへ、シルフが小さく言った。

「大丈夫だ、大人しくしてろ」

「え――?」

 その意味を問う前にマーニが低くうめいた。そして床へどさりと倒れこむ音がし、ユーティアは呆然とする。

「早かったな、ダリウス。急所は狙ってないだろうな?」

 ナイフをジャケットへしまいながらシルフが言い、聞き覚えのある声が返事をする。

「ああ、大丈夫だよ。状況を理解せずに毒矢打っちゃったけど、一日もあれば起きるから安心して」

 そしてシルフの隣へ並んだダリウスを見て、ユーティアは救われたことを知った。途端にユーティアの涙がついと止まる。

「あ、証拠のあざ、初めて見た」

 と、ダリウスがユーティアを見て言う。

 しかしユーティアはまだ気が動転しており、上手く反応できない。

 心配したシルフが優しく声をかけてきた。

「大丈夫か、ユーティア。もう敵はいないから安心しろ」

「は、はい……」

 ユーティアは呆然とした顔で小さくうなずいた。

 シルフはスカートをちゃんと下ろしてやり、脚を隠す。

「他の二人には、サロンで吟遊詩人が誘拐未遂を起こしたと伝えてくれ。俺は先に彼女を部屋まで連れて行くから、詳しい話は後でする」

 そう言ってかがむとユーティアを横向きにして抱き上げた。はっとしたユーティアは何か言おうとするが、言葉が出てこない。

「了解。わざわざこんな時に事起こさなくたっていいのになぁ」

 ダリウスのつぶやきを背にしてシルフは広間を出た。

 ようやく気分が落ち着いてきたユーティアは、だんだんと申し訳ない気持ちになって彼を見た。

「あ、あの、ごめんなさい……」

 シルフはこちらを一瞥いちべつし、素っ気無くも優しい言葉をくれた。

「気にするな。突然のことで驚いただろ? あとは俺たちに任せておけ」

「っ……」

 もう怖いものはなくなったのに涙が落ちる。ユーティアは小さく嗚咽しながら、ぎゅっとしがみついた。

「ギュスターに見られたらまずいな」

 と、シルフは半ば冗談めかして言うのだった。

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