第3話 ジャックと豆の木?

 むかしむかし、あるところに、ジャックという男の子がいました。ジャックはお母さんとふたりで暮らしていましたが、生活は苦しく、日々の食べ物にも困る有様でした。


 ある日、ジャックの家は、明日のパンはおろか、どこをひっくり返しても小銭一枚出てこないところまで追い詰められました。手元に残っているもので価値がありそうなのは、痩せた牝牛だけです。畑を耕したり、荷物を運んだり、生活に欠かせない牛ですが、これを売ってお金にするしかありません。


「ジャック、市場に行って牛を売ってきておくれ。」


 お母さんは疲れ果てたた顔でジャックに言いました。ジャックは首を傾げます。


「食っちまったほうが、良んじゃないの。こんなお婆ちゃん牛、大したお金にならないよ。」


 ジャックに指摘されて、お母さんも考え込みました。確かに、乳は出ず、馬力も無い貧相な牛です。将来性もありません。そんな牛に、目の肥えた市場の商人がどれほどのお金を払うでしょうか。よしんば商人が買ってくれたところで、食肉にされるのがオチでしょう。であれば、商人に中間搾取されるより、自分たちで食べる方がマシというものです。


「あんたの言うとおりだ。ありがたく命を頂戴しよう。」


 お母さんとジャックは、長く連れ添った牝牛を手に掛け、お肉にしました。悲しいけれど、久しぶりのお肉にジャックは心躍ります。お母さんはまず血と内臓の処理をし、ジャックは牛骨でスープを煮出すことにしました。


 ジャックがお鍋を火にかけていると、慌てた様子の老人がやってきました。


「すみません、おたくから牝牛を売ってもらおうと思っていたのですが。」

「うちのはたった今潰しちゃったよ。生きた牛が欲しけりゃ市場に行ってよ。」

「えー、話が違う…」


 知らんがな、とジャックは呟きます。牝牛を売ろうとしていたのはお母さんとジャックしか知らないはずです。きっとこの老人の勘違いか認知症でしょう。しかし、老人は懸命な様子で訴えました。


「では、骨でも何でもいいから、売ってください。」

「骨は使うから、ダメだよ。血と内臓はお母さんがソーセージにしてるし。余ったお肉は干し肉にするし。皮は処理して売るんだし。売るようなものは何も残らないよ。」

「じゃあ、匂いだけでも…」

「変なこと言ってら。じいさん気持ち悪いから、どっか行ってよ。」


 ジャックは子どもらしい率直な物言いでお爺さんを追い払おうとしました。しかし、老人は思いもよらない素早い身のこなしでジャックに飛び掛かると、ジャックが持っていたおたまを取り上げ、鍋のスープをすくって一口飲んでしまいました。


「何してんだよ、まだ途中なのに!」

「いえ、御馳走様でした。これで、牝牛の対価を払うことができます。お金では何なので、この魔法の豆を…」

「何言ってんだよ、何も要らないよ。まだ煮始めたばかりだから、こんなのただの生臭いぬるま湯だろ。うちがいくら貧しくても、曲がったことをしちゃいけないって母ちゃんに言われてんだから。」

「いえ、そういうわけにもいかなくて、何としてもこれを…」

「要らないって言ってんだろ!」


 やいのやいのとふたりで騒いでいると、ずしんずしんと足音が聞こえました。ジャックのお母さんです。手や服のそこかしこが血や組織片で汚れています。


「うちの子に何してくれてんだい!今すぐ出てお行き。さもなきゃお前の骨を粉にしてパンにしてやるよ!」


 お母さんは鬼の形相で、血まみれの包丁を振り回します。老人は真っ蒼になって、震え出しました。


「ひええ、巨人が現れた!」

「誰が巨人だい!」

「お許しを、お許しをー…!」


 老人はこけつまろびつジャックの家から出て行きました。


 ジャックがふと床を見ると、そら豆くらいの大きさの豆が一粒落ちていました。老人が落としていったのでしょうか。返したいけれど、老人はどこにとんずらしたやら、もう影も形も見えません。


「気味が悪いや。捨てちまおう。」


 ジャックは窓から豆を外に放り投げてしまいました。


 翌朝ジャックが目覚めると、窓の外に巨大な植物がそそり立っていました。どこまで伸びているのやら、雲を突き抜け空の彼方までずっと続いています。


「うわあ、もしかして、昨日の豆の木か?」


 ジャックは驚いて、開いた口がふさがりません。


「馬鹿だね。豆は木にならないでしょ。豆は草。」


 ジャックの隣で植物を眺めていたお母さんが言いました。


「じゃ、これは何?」

「知らないよ。日当たり悪くなるし、切っちまいたいけど、斧は売っ払っちまったからねえ。」

「僕、上に登ってみようか?」

「おやめ。谷川岳だって、雲の上までは断崖が続いていやしないのに人がコロコロ落ちて死ぬんだよ。こんなの、てっぺんまで行けるわけないだろ。」


 それもそうだな、とジャックは納得しました。ジャックは木登りが得意なわけではありませんし、この植物には確固たる足場もありません。怖いではありませんか。冷静に考えたら、雲の上まで何千メートルも垂直登攀なんてまっぴらごめんです。


「豆なら、冬になりゃ枯れるだろ。それまで我慢するしかないね。」


 そんなことより、とお母さんは続けました。昨日作ったソーセージとスープを市場へ売りに行くので、ジャックもお手伝いをしなければいけないのです。ジャックはお隣から台車を借りて、せっせと準備を整えます。


 するとそこへ、昨日の老人がそっと忍び寄りました。


「もし」

「うわあ…何だ、昨日のじいさんか。帰ってよ、気味悪い。」

「いえ、耳寄りな情報があるので、それをお伝えに来た次第で。」


 ジャックはまともに取り合うつもりはありません。が、老人はまめまめしく働くジャックにくっついて回って、ひそひそと囁き続けます。


「この豆の木の上には御殿があって」

「豆は木じゃないよ。」

「その御殿には美しい歌を歌う竪琴や、金の卵を産むめんどりがいるのです。それを手に入れてくれば、大金持ちですよ。」

「いい歳して、そんなこと信じてるの?人生に一発逆転なんかないんだよ。第一、それがあるとしたって、誰かの持ち物だろ。盗むなんてとんでもないよ。」

「いや、でも、黄金の卵ですよ。パンだって牝牛だって、いくらでも買える。」

「じいさん、悪銭身に付かずって、知ってるかい?僕はお母さんに教えてもらったよ。」


 ジャックがそう言ったとき、奥からお母さんの足音と鼻歌が聞こえてきました。


「ふぃい、ふぁい、ふぉう、ふぁむ!」

「ひええ、また巨人だあ!」


 お母さんが姿を現す前に、老人はあっという間に姿を消してしまいました。


 ジャックは老人については何も言わず、お母さんと一緒に市場へ仕事に出掛けました。お母さんのソーセージとスープは大好評で、飛ぶように売れました。お母さんはそれを元手にソーセージの材料を仕入れ、またソーセージを作って売り、それを繰り返していくうちにジャックの家は食べ物には困らないくらいに立ち直ることができました。やはり、堅実に働くのが一番ですね。労働ばんざい。


 そうそう、庭に生えてしまった巨大植物は、やはり冬には立ち枯れました。この大量の枯れ草のおかげで、ジャックの家は焚き付けに困ることが無く、温かい冬を過ごすことができました。この時ばかりはジャックも例の老人をちらりと思い出し、ほんの少しだけ感謝したのでした。めでたしめでたし。

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