第8話
目の前の男は全くの見知らぬ人物だ。関わった記憶は皆無だ。
頭の中は大きな疑問符で埋め尽くされている。見れば見るほど男の怪しさは色濃くなっていく。
(逃げなければ)
頭の中で警鐘が鳴り響く。しかし、離れようと一歩踏み出すと同時に頭を掴まれる。思い切り引き寄せられて相手の繰り出した膝が顔面に直撃した。掛けていた眼鏡が蹴られた衝撃で吹っ飛んだ。
あまりの激痛に彼は蹲ったまま悶絶している。地面に鼻血が滴り落ちた。
そんな彼に相手は容赦なく腹部に蹴りを入れていく。
「がっ、あ゛あ゛……」
その蹴りは強過ぎるほどの威力があり、胃液が上がり地面に吐き零してしまった。消化しきれていないおにぎりの
「汚ねえな」
頭上から己を蔑む低い声が聞こえた。
暗闇と○・三の裸眼視力で顔はよく見えないが、自分より高い背丈から年上だと推測出来る。
(なんだよ……俺あんたに何かしたか?)
そう尋ねたいが、むせている今は上手く声が出せない。
身の危険を感じ、出ない力を振り絞って男から逃れようと這いつくばる。
(とりあえず、交番……)
「おい、逃げるなよ」
「ぐ、あああっ」
逃がさないと言わんばかりに、背中を踏みつけられる。
「おれ、が……なにしたんだよ……」
「あの子に接触を図ろうとしたよなァ?」
「あのこ……」
「とぼけるなよ。このメモお前が書いたんだろ」
男は背中を踏みつけた足を離すと、傍に近寄り彼の前髪を引っ掴んだ。そして、小さなメモの切れ端を突き付けた。
その紙は、先日密かに彼女のリュックサックに忍ばせたものと同一だった。
(なんであんたが持っているんだ? あの子の彼氏か? や、やばい……)
目の前の男は独占欲が強いだけでは片付けられない得体の知れない憎悪を漂わせている。尋常ではない恐怖が彼に襲いかかる。
男は人間の皮を被った悪鬼だ。
「だから、なんだよ……」
怯える彼に男は嘲り嗤う
「もう二度とあの子に近寄るなよ。また接触を図ったら、今度は社会的に抹消してやるよ」
男にそれを実行出来る権力を持ち合わせているか、その真偽は不明だ。しかし、彼は確信した。
この男は言ったことを必ず実行に移すに違いない……と。
「とりあえず今日は、お前が犯した罪の重さを教えてやるよ」
サンドバッグのように殴られ蹴られ、彼がボロボロに朽ちるまでそれは続いた。
意識を手放す寸前。
己を見据えていたアンバーの瞳が一瞬だけ見えた。その瞳は暗く淀んでおり、殺意を静かに滾らせていた。
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