狂人は無垢な白百合を手折る

上弦の月が小さく浮かび上がる夜更け。

辿り着いた先は、日本家屋の威厳と歴史を感じさせる屋敷だった。


ここは実家とは違う、悠の父方の祖父母が住まう本宅だ。

悠は小学校を卒業するまでは半分以上はここで過ごしていた。

吉川家で暮らすようになってからは、実家に帰ったことはないが、年始の三が日が過ぎてから立ち寄ることはあった。


その屋敷の前に長い髪を二つに結わえた小柄な少女――――綾瀬由加が佇んでいた。


由加は悠を見るなり、眉をひそめ、げんなりとした顔付きになった。


「やっぱり……メッセージを送ったのあんただったんだ。響はどうしたの?」

「俺の家で寝ているけど。ちょっと無茶させちゃったからね」


最後までは致していないが、匂わせた物言いをすると、由加はぎりりと悔しそうに歯を噛み締めていた。


その悔しそうな顔は、愉快な気分にさせてくれる。

だが、すぐに憎悪が顔を覗いた。


「ここじゃなんだから入って」


門をくぐり抜け、だだっ広いを敷地内を歩き続けると、隅にある朽ち果てそうな古い平屋の木造の建物が一軒があった。

外部を覗く手段は、高い位置にある窓が一つだけで、木製の柵がかかっている。

何故か解体されることなく残っている。


「何ここ……暗くて気味が悪い」

「俺もそう思うよ。だってここは座敷牢だったから」


歴史のあるこの家で、戦後までは精神に異常をきたした何人かの先祖は、座敷牢だった場所に閉じ込められて生涯を終えたらしい。

病院に入れなかったのは、お金を費やしたくなかったのか、世間から隠匿いんとくしたかったのか。


ふと、悠はゆっくりと振り向いた。そして、由加の持ち上がった右手首を強く掴んだ。

由加が手にしていたのはスタンガン。悠は由加の腕を捻り上げるとそれは彼女の手から落ちていった。


「痛っ……」

「お前の行動はお見通しなんだよ」


自分より三十センチ近く低い由加の抵抗するさまを嘲り笑う。


“ゆたか”と“ゆか”

名前が二文字も被っている事実も気に食わなかった。


「ほんっと、うっぜえな……あと少しで響をあんたから引き離せたのに」


由加はお嬢様らしからぬ汚らしい言葉遣いで吐き捨てた。


「あれだけ別れた方がいいって言ったのになあ……」

「お前、死にたいの?」


据わった眼差しを向けると、由加の陶器のような肌から血の気が引いた。


「女のあたしに暴力振るうの? じゃあ、響に教えなきゃ。DV気質の最低野郎だって」

「俺は、響に恋愛感情を抱く虫は女だろうと容赦しないよ」

「……!」

「姉御肌で世話焼きの振りして、ずっと響のことが好きだったんだろ?」


勝ち気そうな顔から感情が消え去り、瞳が限界まで見開かれた。


当初悠は、響といる時の由加の距離の近さに苛立ちはしていたものの、始めは排除するつもりはなかった。

しかし、あるきっかけが起こり、悠の気が変わったのだ。


これは響が知らない事実だった。

中学二年の夏季休暇中の頃、響の自宅に泊まりに来た由加は、無防備に眠る響の頬を恍惚とした表情で撫でて、そこに口付けしたのだ。

それを遠くから盗み見ていた悠は確信した。


綾瀬由加は、女でありながら同性の響に好意を密かに抱いていると。

その感情は、悠が響に抱くものと同じものである。

自分を差し置いて響に口付けをするなんて……思い出しただけで虫唾が走り、はらわたが煮えくり返る。


「ばらすの? 構わないよ。ご自由にどうぞ」


口では強気だが、赤味がかった瞳は不安げに揺れている。


「あたしの気持ちなんていいの。前の響、前向きで朗らかで天真爛漫な響に戻って欲しいだけ。今のあんたに盲目になっている響は、自分の意思なんてない、まるで操り人形みたいだ」

「俺は強制したことはないよ。全部、響が選択したことだよ」

「誘導させといて何いってんだか。響を孤立させたのもあんたでしょ」


(ああ、やかましい)


暦はまだ春だと言うのに、由加の声は、夏に盛んに鳴く蝉のように喧しい。

悠は煩わしいと言わんばかりに顔をしかめた。


「本当に後悔したよ……あたしが、響を信じてあげられれば、突き放さなければ、響はあんたの手中に収まることはなかった……! ねえ、響と別れて! 解放してあげてよ!」

「煩い、黙れよ」


悠は容赦なく由加の頬を引っぱたいた。由加はよろめいて転んだ。

胸倉を掴み、半身を起こすと、由加の頬は赤く腫れている。


「へえ、こうやって、暴力振るってきたんだ……気が狂ってる……かっ、はぁ!」


悠は何往復も由加の両方の頬を平手で打っていく。


「その内っ、思い通りにならなかったら、響に振るうんだ……あんたが一番響に相応しくな――――」


悠は由加の胸倉を離すと、怒りに任せて小さな頭を踏み躙った。


「あああああっ!」


かつて仲が良かった頃に響が綺麗だと褒めたと言う、由加の枝毛のない艶やかな長い髪が、ぐしゃぐしゃに乱れていく。


(こんな髪より、響の髪の方がずっとずっと綺麗だ)


何度撫でても、梳いても、口付けしても飽きることはない、綺麗な濡れ羽色。


(このクソ女を始末して、響の所へ帰ろう)


「本当にクズ……狂人だよ。お前なんかに響は渡さな……ぐ、あああ!」


頭を踏み躙っていた足で、今度は転がすように由加の小さな体を蹴飛ばした。

ぐったりとうつ伏せになって横たわる由加の髪を引っ掴んで強引に上げさせると、西洋人形のように整った顔は赤く腫れていた。更には口が切れて血が垂れている。

それでも、由加は屈服する素振りを見せることなく、思い切り悠に目掛けて唾を吐き捨てた。


由加の唾液が悠の頬にかかり、滴り落ちる。


「いつ、響がお前のものになった?」

「あんたのものでも――――いやあああああっ!」


甲高い絶叫が耳をつんざく。

由加の反論を遮るように、掴んだ髪をいきなり離し、右手首を踏み付けたからだ。


(確実に折れたな)


悠は他人事のように痛みに悶絶する由加を冷めた目で眺めていた。


「物騒なものを持っているね」


転がったスタンガンを拾い、由加の上に馬乗りになる。


「離せって!」


手足をじたばたと動かし、抵抗を続けているが、所詮は小柄で脆弱な女。


(今までの奴らよりは骨のある害虫かもしれない。煩わしいことに変わりはないけれど……)


「試してみてもいい? お前の体で」

「い、いやだ……やめ、」


琥珀色の目を愉快そうに細め、残忍に口角を上げた。

由加は涙を滲ませ顔面蒼白になっている。響じゃない女の涙目は何一つ心を動かされることはない。





「俺に刃向かったこと、後悔しな」


悠は、容赦なくスタンガンを振り下ろした――――








「――――ありがとうございました」


マニュアル通りの店員の声を背に、駅前のコンビニエンスストアを後にする。


(あの女にスタンガンを何度も当てて、それから――――)


生かしてはいるが、子細を口にするにはおぞましい仕打ちを由加にしてやった。

画像に収めていることを念に押せば、精神が壊れてしまった。


(早く帰ろう)


害虫駆除による穢れを払って浄めて、深い眠りに就く響を抱き締めていたい。

そんな思いが、悠を急ぎ足にさせる。


マンションに到着し、施錠を解いて玄関のドアを開けると、聞こえるはずのない足音が聞こえた。


「悠、くん……っ」


響は悠の姿を見るなり、足早に向かった。


「響、今起きたの?」


(思ったより睡眠薬の効果が持たなかったのかな)


響は返事をするより先に悠に抱き着いた。


「さっき、起きたら悠くんがいないから……戻って来なかったらって怖くなっちゃって……」


誤解は解けたとはいえ、悠の浮気疑惑は響の心を不安定にさせた。


(もっと上手く立ち回れると思っていたのに、間抜けにも程がある)


そんな己が情けなくて、悠は嘆息が洩れそうになった。


「俺が響を置いていなくなるわけないでしょ。卵がなかったからコンビニに寄ったんだ。見つからなくてはしごしていたんだ」

「そうなんだ……」


真実に嘘を混ぜた訳を言うと、寄ったコンビニエンストアの袋を響に見せる。

袋の中身は卵と牛乳……そして、避妊具。


響の様子を見ては虎視眈々と窺ってはいたが、まさか、最後まで手を出さない自分に不安になっていたとは夢にも思わなかった。悩みを打ち明ける友人がおらず、その不安はSNSの裏アカウントにも書かれていないので知るまで時間がかかった。


“こ、壊してもいいから……環お姉さまにしたこと、私にも、して……?”


響の言葉を思い出すだけで、今にも全身の血が滾ってしまうが、悠は響に悟られないように柔和に微笑んでみせた。


「朝ごはんにフレンチトースト作るよ。響、好きだよね?」

「うん、好きだよっ」


響は猫目を細めて破顔させた。


(死ぬまで、俺だけに笑っていて)


「今からお風呂沸かすね……一緒に入ろう」

「えっ、」

「順番こだと遅くなるからね」

「……っ」


真っ赤なまま固まる響の頭頂部に口付けを落とし、お風呂の準備をしに浴室へ足を運んだ。


入浴は響が先に入り、声がかかってから入る形になった。

浴室に足を踏み入れると、響は入浴剤の入った乳白色の湯舟に顎先が水面に触れるまで浸かっていた。

初々しい響を微笑ましげに一瞥すると、害虫もとい由加の始末で穢れた体を洗い始めた。


髪と体を洗い終えると、二人は背中合わせになって湯舟に浸かっていた。


「響?」

「なあに?」

「ありえない話だけど、仮に俺が浮気していたら響は別れるつもりだった?」

「……お別れなんて選択肢はないよ」


背中に響の重みを感じた。


「二番目でもいいから、傍にいさせてってお願いするつもりだったの」


(そこまでして離れたくないんだ……俺の洗脳きょういくが効いたみたいだね)


悠は背を向けているのをいいことにほくそ笑んだ。


「俺には響しかいないよ」

「こんな私でいいの?」


後ろから聞こえた声は、弱々しくて自信がなさげだった。

相変わらず響は自己評価が低い。悠がそうなるように仕向けたせいだ。


「響以外の子は要らない」


悠は強引に響を振り向かせた。

湯舟に隠れた響の体が晒されて、見える肌がすぐに赤く染まった。


「こういうことがしたいのは響だけだよ?」


顎を上げさせ、柔らかい薄紅の唇を重ね合わせた。

舌を入れて絡めとる。響の口内の熱と舌の柔らかさは夢中にさせた。


「んっ、あ」


唇を離すと、舌を出したままとろけた表情を見せる響。


「ひあっ」


首筋に舌を這わせると、ぴくりと響の腰が揺れた。潤んだ瞳が酷く扇情的で、その場でめちゃくちゃにしたい衝動に駆られてしまう。


(流石にここでするのは……)


響は浴室に反響する声に気付くと、恥ずかしそうに悠の首元に顔を埋めた。


「お、お風呂は、恥ずかしいよ……」

「お風呂じゃなかったらいいの?」


顔を赤らめて拗ねた表情になるのだろうか。


しかし、予想とは違い響は埋めていた顔を上げると、こくり、とゆっくりと躊躇いがちに頷いた。





お風呂から上がり、濡れた髪をそのままに寝室へ向かう。


響は悠のTシャツを着ただけの格好をしている。

丈が長めのものを選んだので、女子の平均より背が高めの響が着ても短いワンピース状になっている。

裾から覗く細く伸びた脚が艶かしい。


一緒にベッドに上がると、響は酷く緊張した様子で、正座をして改まっていた。


「本当にいい?」

「うん、辞めないで……」


(そこまで言うなら、途中気が変わっても辞めてあげないよ)


悠は緊張で固まっている響をそっと押し倒し、血色のいい唇を食んだ。

何度も啄むような口付けを繰り返していく内に、だんだん深いものに変わり、お互い求め合うように舌を絡ませ合った。

手を伸ばして響に触れると、薄紅色の唇からあえやかな声が零れ落ちた。


「響の声、可愛い」


どこに触れても響はぴくぴくと震えて悩ましげで甲高い声を零す。

大きな猫目を潤ませて、吐息を洩らす姿を目にした途端、もっと壊して、狂わせてしまいたい欲が悠の脳内を占めた。


邪魔くさくなったTシャツを脱がし、響を一糸まとわぬ姿にさせる。

キメの細かい白磁の肌には、所々に赤い花弁が広がっている。その艶めかしい肢体に思わず溜め息が洩れた。


「響、綺麗だよ。誰にも触れさせたくない。俺だけのものだよ」


複数ある弱い場所を同時に責める真似は、響にはまだ強過ぎる刺激だ。それでも悠は容赦なく与え続けた。咽び泣いても延々と繰り返してやった。


「そろそろいい?」

「……う、ん」


響が恥ずかしげに頷くと、悠はヘッドボードに置いてある小さな箱を手に取り、包装されたものを一つ取り出す。

緊張で強ばる響の瞳を覗き込むよう見つめ、宣言するように囁いた。


「俺を最初で最後の男にさせて」


幾度も幾度も夢想した時が、現実のものとなる――――




時間を掛けて響を征服した。あまりにも「痛い」とぼろぼろと泣くものだから中断して欲しかったかもしれない。

本当にそうだとしても悠は辞める気は毛頭なかった。


(やっと、響を……)


荒い呼吸を繰り返しながら、涙をぽろぽろと流す響を見つめる。

夢にまで見たこの時を迎えた瞬間、悠は感慨無量の境地に至っていた。


「悠、くん……」


響にぎゅっと抱き締められた。

その仕草に、ぞくりと背中に快楽が走った。

華奢な体躯をきつく抱き締めて、響の熱と鼓動を感じる。


「響、ごめん……痛かったよね」

「痛かった……でも、わたし、悠くんのものになれて、嬉しいよ……」


涙に濡れた星空の瞳はどんなきらびやかな宝石よりも、美しく澄んでいていた。


「響の大事なもの、俺にくれてありがとう」


壊れ物に触れるように、額に口付けを落とした。


このまま結合双生児のように死ぬまで響と繋がっていたい。

悠は内心乞い願っていた。


「悠くん」

「ん?」

「えっと、大好きだよ」


響は涙を浮かべたまま、目を細めて悠にふわりと微笑みかけた。


「俺は響を愛してる……」


息を荒らげながら耳元で囁くと、響は目元を染めて恥じらいを見せた。


(もう無理、余裕がない)


なけなしの理性が塵から“無”になった瞬間、悠は響を掻き抱いた。





無我夢中だった。


ずっと響は泣きじゃくっていた。悠がしつこく求めるせいで、響は何も悪いことをしていないのに「ごめんなさい」「ゆるして」と何度も謝る始末だ。


悠の気が済む頃になると、空が白け始めていた。いつの間にか響は気絶したかのように深い眠りに就いていた。


響は、先程魅せた艶やかな表情とは裏腹にあどけない穏やかな寝顔をしている。可愛くてスマートフォンで響の寝顔を連写してやった。


このまま響が目覚めるまで見つめていたいが、流石の悠も睡魔に抗えなくなっていた。


(もっと俺に堕ちて)


悠は心の中で語り掛けると、眠る響を優しく抱き締めて、瞼を閉ざした。


依存させたいと乞い願うが、悠もまた響に深く依存していた。

例え外野がその愛し方が間違っていると反論を掲げようが、聞く耳を持つ気はない。


戻れなくなるまで、共に堕ちてしまえばいいだけの話だ。

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