手足を奪い去ってでも、君を離さない
目を覚ますと、見知らぬ白い天井が悠の視界を占めた。
(ここは……俺は公園の近くにいたはず……)
夢か現実か分からず、頭の中が混乱していた。
まともに体を動かせず、視線を動かし当たりを見渡すと腕に繋がれた点滴に気付いた。
今いる場所が病院にいるのだと悟った。
「お、おまえ……っ」
目覚めたばかりでぼんやりとしていた意識が、男の焦りのある大きな声でクリアになっていく。
誘われるように視線を動かすと、酷く驚いている川端がいた。
川端は枕元に置いてあるナースコールで叫ぶように看護師を呼ぶ様子を、悠は他人事のように見つめていた。
医師や看護師が集まり、検査を受けている間、悠は響のことばかりを考えていた。
医師が病院に運ばれた経緯と今の自分の状態を、説明していたが、右から左へとすり抜けていく。
医師と看護師がいなくなった後、悠は川端に起こしてもらった。
「さっき、響ちゃんに連絡入れたよ」
「おれ、はどれくらい……」
掠れて、思うように声を出すことは出来なかった。
それでも、川端は悠が言おうとしたことを察してくれた。
「今日は一月二十九日だよ」
「は?」
川端の答えに、悠は絶句した。
(有り得ない。俺は呑気に三ヶ月近くも寝ていたのか? その間響は……)
響を長い間一人にさせていたと思うと、悠はぞっと血の気が引いていくのを感じた。
響に害虫の魔の手が伸びていないか気が気ではない。
「どうして、俺を叩き起してくれなかったんですか?」
口から出たのは、まるで寝坊してしまい親に八つ当たりする子どもの言い方のようだった。
「無茶言うなよ。お前、刺されて出血が酷かったんだぞ」
ほぼ聞き流していた医師の説明を思い出す。
「あの時は、痛みが引いたので、大したことはないと」
「アドレナリンが出て麻痺してたんだろ。学がある癖にそんなことも分かんねえのか。さっき医者から聞いてただろ」
川端は心底呆れ返っていた。自分に向けられている眼差しはアホの子を見ているようだ。
「響は、無事ですか?」
悠は気掛かりがあった。
(あの女なら響に危害を加えてもおかしくない。もし、何かしたら)
月見里に死ぬより辛い仕打ちをしてやらないと気が済まない。いつか響に傷を付けた女にしたお慰みなど生温い。
気が変わった体で誘えば、月見里は疑うことなく着いていくに違いない。罠にかかったあかつきには────
悠の脳内で、サイコホラーな地獄絵図が描かれていた。
「おい、戻ってこい」
映倫に引っ掛かってもおかしくない血みどろの妄想は、川端の声でかき消されて、真っ白な病室に切り替わっていった。
「……心配しなくても響ちゃんは何も巻き込まれていないよ。お前を刺した月見里は逮捕された。殺人未遂罪に切り替わったらしい」
月見里が警察に身柄を拘束されていると知り、響に被害が被ることは無いと安堵した。
「よかった……響に何かあったら、生きていけない」
すると、川端は突然ニヤニヤと怪しげな笑みを浮かべ始めた。
(急になんだよ)
悠は訝しむように見つめるが、川端はまだにやりと笑っている。
「……今の聞こえた? 響ちゃん」
不意に川端が振り向き、ドアに向かって話し掛けた。
しばらくして、十数センチほどドアが開かれる。
その隙間から、戸惑いを隠せず、おどおどと様子を窺っている響の顔が見えた。
視界に映るだけで、胸が騒ぎ出す。
「か、川端さんっ」
「入ってきな、響ちゃん」
久し振りに見る響は、制服の上にダッフルコートを羽織り、マフラーをぐるぐる巻きにしている。響はとても寒がりで通学時はこうやって防寒対策を取っていた。
「悠くん……あの……」
「おいで」
手招きをすると、響はおずおずと病室の中に足を踏み入れ、悠の元へ近付いた。
さっき泣いていたのか、目が少し赤く充血している。
川端は気を利かせてくれたのか、そっと病室を出て行って二人きりにさせてくれた。
「よかっ、た、よ……」
星空の瞳から透き通った雫がはらはらと零れ、白磁の肌を幾度も濡らしていく。
泣き過ぎて目が溶けてしまいそうだ。
「目を覚ましてくれて、良かった……」
「心配かけてごめんね?」
手を伸ばし、指で響の零れ落ちる涙を拭い取ってやる。響が泣き止むまで髪を何度も優しく撫で続けた。
「あのね、話があるの……」
「急にどうしたの?」
しばらくして泣き止んだ響は、かしこまって、固い表情をした。
口をきゅっと結んだまま無言を貫いていたが、重い口を開けた。
「私……一方的に悠くんとお別れしようとした……」
「はい?」
これまで響に不機嫌な顔を、極力見せないようにしていたが、思わず眉をひそめて鋭い眼差しを向けてしまう。
響の肩がびくりと揺れた。怯えながら窺うように悠を見つめている。
「私は、悠くんの傍からいなくなった方がいいって思って、ラインに送ったの……」
ベッドの傍にあるテーブルに置かれたスマートフォンを手に取る。誰かが充電していてくれたのか八十パーセントあった。
ラインを開くと、最後に響のメッセージがあった。
《私と別れてください。今までありがとう。悠くんといられて幸せでした。》
書かれた
(俺から離れるなんて、赦さないよ……)
目の前の響を捕らえて、逃がさないように手足の自由を奪い去ってやりたいのに、まともに動けない己の体が憎い。
「……でも」
響は真っ直ぐ双眸を悠に向けていた。じわりと大粒の涙が浮かび上がっている。
「やっぱり、まだ悠くんの彼女でいたい……お別れは、撤回してもいい?」
今にも泣きじゃくりそうな縋る瞳を向けられて、悠の機嫌は一転して良いものに変わった。
「撤回もなにも、俺は響と別れる気はないよ」
響の潤んだ瞳は、驚きで丸くなった。
「響を他の男の所へ行かせないから」
響の頬が紅潮していく。おろおろと動揺を露わにさせて。
そんな響の一挙一動が可愛くて、今いる場所が病室にも関わらず口付けをしてしまいたくなった。
「私は悠くんの傍にいてもいいの……?」
「今まで通り、響は俺の彼女だよ」
(彼女だけじゃなくて妻にもなって欲しいけど)
そんなプロポーズ紛いの本音が喉まででかかったが、ぐっと飲み込んだ。
「これからも、悠くんは、私の彼氏……?」
「そうだよ。こういうこと、響にしかしたくないから」
「あ……」
結局、悠は我慢出来ず、響の首筋に触れるだけの口付けを落とした。
別れのメッセージを目にした瞬間、悠は冷静さを失ったが、響が別れの撤回を望んでくれたお陰で、最悪の展開は免れた。
「……今まで隠してごめんね」
眉と目尻を下げで謝る姿は、いつより小さく見えてしまう。
「文化祭で桐谷さんが言ってたこと……中学の頃にしたって言ういじめは本当にしてないの。でも、仲間はずれや嫌がらせされたのは本当なの。こんな私を知って、悠くんに幻滅されるのが怖かった……」
(幻滅する訳がないのに……)
響の心身を掌握する為に、悠が仕組んだ罠と知ったら響はどう反応するだろうか。
例え、好意が消え去ろうが、どんなに怯えようが、手離す気はない。部屋に閉じ込めて枷を付けるまでだ。
仄暗い思考を響に悟られぬように、眉を下げて瞳を伏せた。
「響が人をいじめる子じゃないのは分かっている。俺こそ、学校で辛い思いをしていたことに気付かなくてごめん……俺は駄目な彼氏だね」
顔を俯かせ、手のひらで目元を覆い隠した。
まるで泣いているような素振りを見せては、自嘲気味に呟いた。
「違うよ……」
響の小さな声が耳に届いた。
「そんなこと、ないよ……悠くんは、悠くんだけは私を信じてくれた。傍にいることを許してくれた……駄目な彼氏じゃないよ」
自分を信じてくれるのは悠だけ。
響の心に深く、深く刻み付けられたことだろう。
(響を信じてあげられるのは、他でもない俺だけ)
意識を失った間、止まってしまったが、響が己に深く依存させる為の洗脳は、これからじっくり施していく所存である。
「響、この先辛いことがあったら、俺に頼って……溜め込んで壊れる方がもっと辛い。響の全部受け止めるから」
少し痩せた響を引き寄せて、壊れ物に触れるように優しく抱き締めた。
従姉妹の瑞穂と叔母夫婦が駆け付けて来るまでずっと……。
夕方、響は川端に送られて、帰って行った。
面会時間がとっくに過ぎた深夜。
川端がこっそりと再び悠の元へやって来た。
「ほら、これ返すよ」
川端から盗撮画像が入っている方のスマートフォンを受け取った。
「川端さんが持っていてくれたんですか?」
「万が一見られたら、お前、社会的に死ぬからな」
「ありがとうございます……」
受け取ったスマートフォンを操作し、ずらりと並んだ膨大な響の画像を眺める。
悠は盛大に嘆息しては、がっくしと項垂れた。
「三ヶ月分の響の画像が……」
最新の画像は、文化祭でクレープを作っている様子のもので止まっている。
意識を失っている間、響をリアルタイムで見つめることが出来なかった。
どう足掻いても過去に戻れない。
「川端さんに代わりに撮って欲しかった」
「人の彼女をストーカーする趣味も暇も俺にはねえよ。それに捕まりたくない」
(昔、警察の世話になったことがある癖に)
悠は、川端が手にメリケンサックをはめて、容赦なく相手を殴っていた当時の様子を思い起こしていた。
ついでに川端の不良時代の中二病丸出しのダサい二つ名を思い出し、吹き出しそうになった。
「何笑いを堪えてんだよ」
川端は物言いたげな眼差しを悠に向けている。
「いや、なんでもないですよ。考えていただけです。今度は響の部屋に監視カメラを……」
「まじでやめろ」
川端は悠の両頬を手加減なしで抓った。
「痛い……」
「冗談でも言うな。分かったか?」
鬼気迫る川端に逆らえず、悠はひとまず頷いて肯定を示したのだった。
「俺、明日仕入れあるし、そろそろ帰る」
「川端さん、本当にありがとうございました」
川端がいなくなり、眠りに就こうとするが、中々眠気がやって来ない。
瞼の裏に浮かんできたのは、響の顔だった。
久し振りに見た響は、少し痩せていたが、相変わらず可憐で美しかった。
それでいて、傍にいてと泣く姿は、狂おしいほどに可愛くて、気が触れてしまいそうになった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます