白百合は向き合う決意をする

響視点



隠し通していた秘密を、悠に知られてしまった。


取り巻きを使って幼なじみをいじめ倒したと言うデタラメな悪事と、高校では周りに嫌われて嫌がらせを受けていると言う惨めな自分自身を。


本当はいじめは一切していないのに、周囲は信じ込んでいた。幼なじみだった由加も響を信じてくれなかった。


「ごめんなさい……っ」


悠がどう反応するかを見ることが出来ず、響はその場から逃げるように立ち去った。


ない体力を振り絞って、学校から少し離れた公園に入り、遊具の影に身を隠した。


淡い期待を抱いてしまった。

悠が自分を信じて、追いかけて探してくれるんじゃないかと……。


しかし、どれだけ待っても悠は一向に現れることはなかった。


「あはは……期待して馬鹿みたい。きっと、私の顔なんて見たくないんだ……」


響は涙で濡れた頬を拭うことなく、乾いた笑いを零し続けていた。ひとしきり笑い終えると、膝を抱えてさめざめと嗚咽を零し続けた。


ふと、響は荷物を学校に置いていたことを思い出した。

夕方の時間帯の今は、後夜祭で盛り上がっているだろう。取りに行くなら今しかない。


意を決して学校へ戻ろうと立ち上がった時だった。

ブレザーのポケットに入っているスマートフォンが振動した。


悠からだと淡い期待を抱きつつ取り出してみたが、画面に表示されたのは“お父さん”だった。


(何かあったのかな……)


内心悠ではないことを残念に思いつつも、響は父からの着信に出たのだった。


「お父さん?」

「響、今はどこにいますか?」


父は娘の響に対しても敬語を遣っていた。


「えっと、学校の近くにある公園だよ」

「すぐにその場から離れて傍のコンビニにいて下さい。迎えに行きますから」


(どうしたのかな)


父の緊迫感のある物言いに、状況は分からぬままだが従って、今いる場所から見えるコンビニへ向かった。




「響」


コンビニに入り、商品を眺めながら時間を潰していると、自分の名を呼ぶ男の声が聞こえた。

響の目の前に現れたのは、少し息を切らした父だった。


いつもは落ち着いている父の様子は、焦りが見られていつもと違う。只事じゃない何かが起こっているのだと予想した。


「お父さん……」

「響……無事で良かったです……」


父は響の手を力強く握り締めていた。


コンビニから少し離れた駐車場に移動し、父の車の助手席に乗った。

自宅へ向かいながら、父は何があったのか響に教えてくれた。


「学校から連絡があって、響がいた公園の近くで傷害事件が起こったんです」

「え……」

「詳細は分からないですが、被害者は鋭利な刃物で刺されて病院に運ばれたとか」


身近な場所でニュースになるような事件が起きていたなんて、夢にも思わなかった。


「加害者が見つからなくて、響に何かあったらと思うと生きた心地がしませんでした」

「心配かけてごめんなさい」


(刺すなら私にすれば良かったのに……私なら滅多刺しにしても構わないよ……)


娘の無事を安堵している父に対して罪悪感を抱きつつ、響は腹の中で密かに思っていた。


「しばらく休校になるので、家から出ないでくださいね」

「わ、わかった……」





休校の間、響はほとんど部屋にこもっていた。

テレビやインターネットのニュースをチェックしてみたが、父の言っていた事件は何故か一つも載っていなかった。


悠からは相変わらず音沙汰がない。

いつもの悠なら、安否を気にして会いに来てくれた。それがないと言うことは、どうでも良くなったのだと響は推測した。


悠が傍にいない今、この世界は虚無でしかない。

悠が注いでくれた愛情は枯渇し、依存症患者のように飢えに苦しみ喘いでいる。


(桐谷さんの従姉妹さんと、付き合うのかな……)


響は文化祭で見かけた、悠と月見里が言葉を交わしている様子を思い起こす。


(小柄で、可愛らしいのに、女の私が見てもドキドキするくらい色っぽい大人の魅力があったな……)


のっぽで、ひょろりと貧相な体躯の自分とは大違いである。


スマートフォンを取り出し、ラインのアプリを立ち上げる。


《私と別れてください。今までありがとう。悠くんといられて幸せでした。》


響は休校中の数日の間、悩みに悩んで意を決して悠に別れを告げることにした。


電話に出てくれないだろうと思い、別れの言葉をメッセージにしたためた。

送信を押すまで十分を要したが、意を決して送った。


そのメッセージはいつまで経っても既読すら付くことはなかった。


(もう私と関わりたくないんだね……)


目の前の視界が歪んでいく。画面に涙が落ちて、濡れた。


(私のこと幻滅したとしても、私はこれからもずっと貴方が大好きです……)


首にかかったネックレスを取り外し、それをきつく抱き締めた。




休校が解かれるようになり、数日振りに登校した。最近まで悠が一緒に付き添ってくれたので、一人で登校するのは久し振りだった。


登校すると、靴箱の中に詰め込まれたゴミを撤去することから始める。

まだゴミはマシな方で、酷い時は虫や、どこで見つけたのか蛙やトカゲの死骸が入ったことがあった。


グロテスクなものに耐性がない響は、その日は食欲がなかった。


憂鬱になりながら蓋を開けて覗き込むと、響は一点を見つめたまま首を傾げた。


「ゴミが、ない……」


靴箱の中は上履き以外何も入っていなかった。上履きも落書きがなく綺麗だ。


たまたま嫌がらせをする時間がなかっただけかもしれない。

響は考えることをやめて、上履きに履き替えると、図書室を目指した。


担任から受け取った課題をこなし、昼休みの時間帯になった。

響は飲み物を買いに購買へ向かっている途中、一人でとぼとぼと歩く桐谷を見つけた。


いつもなら大勢の友人に囲まれているが、今日はたまたまだろうか。


俯いている桐谷をこっそりと見つめていたときだった。


「笹山さんっ」


背後から声が聞こえた。

ずっと無視されていた響は、自分が呼ばれていると気付くのに十数秒かかった。

ゆっくりと振り向くと、声の主は、同じクラスの女子生徒二人組の内の一人だった。彼女達は桐谷と仲が良かった。


「はい……」


思わず身構えてしまう。

過去に桐谷と一緒に、悠との関係を根掘り葉掘り聞かされて、不安を煽ることばかり言われたことがあるからだ。


「そんなに怖がらないでよー」


(そうは言われても……)


「桐谷さんと関わらない方がいいよ」

「え、どうして……?」


仲が良かった彼女達の言葉に耳を疑った。桐谷のことを真菜まなと呼んでいたはずだ。


「桐谷さん、殺人未遂者の血縁者だからだよ」


(話が全く見えない……)


返答に窮すると、彼女達は響に笑いかけてきた。

その笑顔は友好的な印象を抱かせた。


「うちら本当は笹山さんと仲良くしたかったんだー」

「良かったら一緒にご飯食べない?」


(何この手のひら返し……前まで遠くから私を嗤っていた癖に)


長く続いた孤立した日々を終わらせることが出来るのに、響はその誘いに乗ることが出来なかった。


「ごめんなさい。しなきゃ行けない課題が残っているの」

「笹山さん?」


響は逃れるように足早にその場から立ち去った。





日は流れ、十二月の下旬。二学期終業式の日を迎えた。


嫌がらせはなくなり、接してくれるクラスメイトは少しずつ増えてきたが、響は彼らと距離を取って孤立を選んだ。

矛先が変わったに過ぎず、安易に信じることが出来なかったのだ。


明るくて可愛くて人気者の桐谷が、どうしていじめられているのか、響には未だに分からない。

桐谷はついに数日前から学校に来なくなった。


友好的に挨拶してくれるクラスメイトがいても、響は相変わらず孤独だった。


(人が怖いよ……悠くん、助けて……)


お別れを告げた今も、時折、悠に縋りたくなる自分が現れる。毎回叱咤して頭の中から悠の顔を消し去ることに骨を折ったものだ。


明日から冬季休暇に入る。クリスマスイブも同じく控えていた。


(クリスマスやお正月を一緒に過ごしたかったな……)


クリスマスにはケーキ、お正月にはおしるこを作って、悠とまったりと味わいたかった。


ぼんやりとそんなことを考えながら、一人寂しく帰路に着く途中だった。


「君は笹山響ちゃん……だよね?」


自宅の最寄り駅の改札を通り抜けた時、響の目の前に二十代半ばほどの青年が現れた。

彼は明るいミルクティーブラウンのミディアムパーマがよく似合うホストクラブにいそうな端整な容姿をしている。


「どなたでしょうか……」


(どうして私の名前を知っているの? 会ったことあったのかな)


どう声を掛ければいいか臆していると、彼はフランクな調子で響に話し掛けてきた。


「俺は川端ってもんです。北川の一応……ツレかな」

「悠くんのお友達が、私に何かご用ですか?」


悠の友人だと頭で分かっていても、異性に恐怖心を抱く響は数歩距離を置いて、慇懃無礼に接してしまう。

川端はそんな響の態度を見ても、心の中までは見えないが、不快を表に出すことはなかった。


「響ちゃんに北川の状況を伝えに来たんだ」


(新しい彼女が出来たとか……? そんなの知りたくないよっ)


「私には関係ありません……悠くんにお別れを告げましたから……」


すると、川端は目をぎょっと見張り、驚きを露わにさせた。


「響ちゃん……それマジ?」

「はい。ラインで……既読すら付いていませんが」


失礼します、と言って川端の傍を通り過ぎようとしたが、手を掴まれて立ち去ることが出来なくなってしまった。


「ちょっと、北川と別れるとか早まらないで」

「は、早まるもなにも、向こうは私のこと幻滅していますから」


(早く、私を解放してよ)


「何が起こったのかは知らないけど、あいつが響ちゃんに幻滅するなんてありえないから」

「な、何を根拠に……」

「ここじゃ話が出来ないから、俺の店に来て」

「ちょっと……」


川端は響の手を引いて、強引にどこかへ引き連れて行った。


近くの駐車場に停めてあった車に乗せられて、辿り着いたのは、小さなバーだった。店は繁華街の隅にある雑居ビルの地下にあった。


「あの、私、未成年……」

「定休日だから大丈夫だよ」


箱入り娘の響は、生まれて初めてバーの中に足を踏み入れた。


「響ちゃん、座って」


川端に促されてカウンターに座った。

しばらくして響の目の前にマグカップが置かれた。マグカップに温かいココアが注がれていて、甘い香りが鼻をくすぐる。


「ココアは好き?」

「はい、好きです」

「よかった。飲んで」

「いただきます……」


こくりと一口飲むと、程よい甘さが口の中に広がった。


「美味しいです。ありがとうございます」

「ゆっくり飲んでてよ。後で話するから」


川端は何を切り出すのだろうか。

響はこれからのことに緊張を覚え、紛らわすようにココアの甘さを味わった。


「ごちそうさまでした」


ココアが空になった。響は緊張した面持ちで川端を見つめていた。


「北川は今入院しているんだ」

「……っ!」


川端が切り出した言葉は、響に衝撃を与えた。


「悠くんに、何があったのですか?……」

「響ちゃんの学校の文化祭があった日、近くで傷害事件が起きたのは知ってる?」


川端の問いに、響は無言で頷く。沈黙はしばらく続いた。時間にして数分しか経過していなかったが、とても長く感じた。

川端は言いにくそうに、重い口を開いた。


(まさか、違うよね……悠くんは関係ないよね!)


響の切実の願いは叶わなかった。


「────被害者はあいつ、北川なんだ」


二人しかしない店内に、川端の暗いトーンの声が静かに広がった。


(悠くん……!)


響は目の前が真っ暗になり、意識を手放してしまった。




目を覚ますと、響はカウンターからテーブル席のソファーに寝かされていた。


「響ちゃん、大丈夫?」

「すみません」


ショックを受けて気絶したのは初めてだった。


川端に支えられながら半身を起こす。


(入院しているってことは生きているって意味だよね?)


「川端さん、悠くんは、無事なんですか?」

「手術は上手くいったよ。幸い刃物が内臓に到達していなかったし、破片も見つからなかった。ただ、出血は酷かったせいかまだ目を覚まさないんだ」

「……どうして、悠くんがそんな目に遭ったのですか?」


非の打ち所のない悠が、誰かの恨みを買うような人には見えなかった。


「加害者は北川と同じ大学の女だよ。月見里都だったかな。彼女はあいつを好きだったみたい」


(そういえば、悠くんと話していた女の人がいた……桐谷さんはあの人を都ちゃんって呼んでいた)


“殺人未遂者の血縁者”


響はクラスメイトが以前話してた内容の一部をを思い出した。そして、パズルのピースがはまったかのように話が繋がった。


(月見里さんが、悠くんを……)


「あいつは、響ちゃんのお別れのメッセージに気付いていない。一旦お別れは保留にしてくれないかな。別れるかどうかは、あいつが目を覚まして話をしてからでも遅くないと思う」

「話を聞いてくれるのでしょうか……もしかしたら私の顔なんて見たくないかも知れません」


軽蔑した表情を自分に向ける悠を想像するだけで、身が凍ってしまいそうになる。

実際にそんなことが起きれば、精神が崩壊してしまうかもしれない。


「それはないよ。俺が保証する」


(どうして、川端さんはそう言い切れるの?)


それでも、響の中で燻る不安は拭えなかったが、川端の話を聞いて、一度は向き合うべきだと考え直した。逃げてばかりではいつまでも真相が分からずじまいのままだからだ。


「本当は響ちゃんをすぐに病院に連れてやりたいけど、今日は北川の叔母さんが見舞いに来てて行けないんだ。俺、叔母さんに警戒されているから」


(川端さん、何をしたの……?)


首を傾げていると、響の疑問を察したのか、肩を竦め苦笑いを浮かべながら教えてくれた


「響ちゃんくらいの歳の頃、やんちゃしてたんだよ。その頃に北川と知り合ったの。叔母さんとしては、北川が元ヤンの俺と関わって欲しくないって訳」


(川端さん、いい人そうなのに……)


ホストのようだと感じた第一印象は、親戚のお兄さんのような面倒見のいい人に変わった。


別れ際、響は川端と連絡先を交換した。連絡帳に異性の名が入ったのは父と悠に続いて三人目であった。

やましいことは何一つしていないが、何故か罪悪感を抱いてしまう。


「叔母さんが来ない日が分かったら、病院に連れてくよ。それまで連絡待ってて」

「はい……」


話を終えると、川端は響を自宅の近くまで送ってくれた。


「川端さん、ありがとうございました」

「何かあったらすぐに連絡するから」

「お願いします……」


響は車から降り、川端に一礼をすると、自宅の門をくぐり抜けた。





「とりあえず、バッドエンドは回避したかな……」


響が自宅へ入るのを見届けた後、川端がぽつりと独りごちたとこは誰も知る由もない。

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