お菓子より永遠が欲しい
※拙作は少し未来を舞台にしたお話となっておりますが、成年年齢及び、女子の婚姻可能な年齢は現在(2021/2/22)と同じとなっております。
そのことを踏まえた上で拙作をお楽しみください。
夏の暑さは和らぎ、秋の色が出始めた十月に入った。
ラッシュ時で混み合う朝の電車の中、悠と響は手を繋いでいた。
響の身に纏う制服は衣替えを終えて、春先の頃と同じブレザーに加えて、黒のタイツを穿いている。
露出はなくとも響の脚線美は非常に目の毒である。
響は同じ学校の男に恫喝されて以来、異性に恐怖心を抱くようになった。
男が視界に入ると、響の顔は強ばり、恐怖に震えてしまう。
響は教室に入ることが出来なくなり、最近、別室登校に切り替わった。誠稜高校は、今の響のような教室に入れない生徒のフォローが出来るような体制が敷かれていた。
それでも一人で通学出来る状態じゃなかったので、悠は夏のストーカー対策以来、毎日響の送迎を行うようになった。
「この前の男の人なんだけど、退学になったの」
「そう……」
「真相は分からないけど、違法な薬物を持っていた……なんて噂が出回ってる」
「そんな危ない奴がいなくなって良かったよ。少しは安心出来るね」
響は無言でこくりと頷き、悠の手をぎゅっと握り締めてた。そして、抑揚のない声でぽつりと呟いた。
「私……明日から学校、一人で行く……」
「響、無理しないで。男が視界に入ると震えちゃうのは知ってるから」
響の中に芽生えた自立心は、即座に摘み取るに限る。
「何も考えずに俺に甘えていいよ」
「あ、ありがとう……」
その声は打って変わって涙声となっていた。
「響のことは守るって言ったでしょう?」
「悠くん……」
響の瞳に熱が孕んだ。そして、躊躇いながらも甘えるように悠に寄り添い、身を預けた。
(口ではああ言いながらも、目は俺が止めることを期待していた)
弱り切った響にある種の甘い言葉を、その都度囁く度に響は悠に縋り、依存していく。
その様は例えるならば、空の飛び方どころか巣立ちを忘れた雛鳥のようだ。
悠が響に行っているのは、最早洗脳と言っても過言ではなない。
「川端さん、こんばんは」
ある日の深夜、悠は閉店後のバーに赴いていた。
「ほら、飲め」
目の前に置かれたのは、ジントニック。
「いただきます」
悠はグラスを手に取り、一口二口と飲んだ。
「何かいいことでもあったのか?」
川端の問いに悠は待ってましたと言わんばかりに、柔和な笑みを黒く深めていく。
「彼女が無事に俺と父親以外の男に恐怖心を持ってくれましたよ」
通学中、電車の中で怯えながら強く悠の手を握り締める響の姿は、満員電車の中にも関わらず抱き締めてしまいたくなるほど可愛いものだった。
「全然無事じゃねえよ。なんだよその嬉しそうな顔。本当、北川はド畜生だな」
相変わらず川端は、異常な悠にドン引きである。
「予備校通いも白紙になって、上機嫌にならない訳がないでしょ。俺に縋るように引っ付いて甘える所は最高に可愛いです。順調に依存してくれていますよ」
「響ちゃん、まじで不憫過ぎる……」
川端は「うへぇ」とぼやいては、自分用に作ったダイキリを呷った。
「なあ、北川。排除はほどほどにしとけよ。響ちゃんもお前にベタ惚れだろうし、もういいだろ。お前いつか刺される気がしてならねえよ」
「善処します」
「する気ない癖に……」
川端は物言いたげな眼差しを悠に向けていた。今では慣れたもので悠は特に気にすることなく残りのジントニックを飲んでいた。
しかし、川端の忠告をしっかり耳に留めておけば良かった、と後に痛感する羽目になることを、この時悠はまだ知る由もなかった。
「お前さ、今月の三十一日、店手伝ってくんない?」
川端は時々、悠に接客を頼むことがある。一人で切り盛りするが、どうしても猫の手も借りたいほど忙しい日があるからだ。
「すみません。他を当たってください」
悠は
その日だけはどうしても譲れないからだ。
「駄目か? 頼む。ハロウィンは客が多くてクソ忙しいんだよ」
「彼女の誕生日を祝いたいので」
「ああー、響ちゃんの誕生日ね。それなら仕方ないか」
「理解が早くて助かります」
思いの外、川端はあっさりと納得してくれて、悠は安堵の息をついたのであった。
時が経ち、ある日の朝。目覚まし時計のアラームがなる前に目を覚ました。
悠は特段寝起きは悪くないが、今朝の目覚めはいつもより良かった。
今日は十月三十一日……つまり愛してやまない響の誕生日である。
カーテンを開けて、換気しようと窓も半分開ける。窓から見える景色を眺めていた。
(十六歳……ずっとこの日を待ちわびていたよ)
十六歳は女子が法律上婚姻可能な年齢である。
すぐに婚姻届を出せる訳ではないが、法律上可能になったという事実だけで悠の体内の血が滾ってくる。
この日の夕方、響と会い誕生日を祝ってあげることになっている。
更には自宅へ泊まることを提案したら、響ははにかみながらも嬉しそうに快諾してくれた。
響がきちんと父親に外泊の許可を取ったのは、盗聴でしっかり聞いている。
今日くらいは学校をサボタージュして、朝から一緒に過ごしたいのだが、真面目な響はズル休みに罪悪感を抱いてしまうだろう。
誕生日のプレゼントも用意してある。
響の為のプレゼントを選ぶ時間は、悠にとって至福の一時であった。響は喜んでくれるか……悠は柄にもなく緊張を覚えた。
ふと、目覚まし時計に目を向けると、六時四十分に差し掛かっていた。
そろそろ響がいつも起きる時間に近い。
悠はスマートフォンを手に取り、響にモーニングコールをかけた。
「おは、よう……」
数十秒後に耳に届いたいかにも眠いですと主張しているような舌足らずな声音に、思わず頬が緩んでしまう。
「おはよう。響、誕生日おめでとう」
「ありがとう……っ。言ってくれたの悠くんが最初だよ」
「本当? 俺が一番乗りなんだ」
(そりゃあ、父親より早く真っ先に言いたくて電話かけたんだから)
彼女の肉親にすら対抗してしまう己の心の狭さに、悠は響に気付かれないように苦笑した。
「後で迎えに行くね」
「うんっ、待ってる。またね」
通話を終えると、悠は出かける準備に取り掛かろうと寝室を後にした。
夕方、放課後の時間帯になり、二人は駅前で落ち合った。
今朝、響を送る為に会ったばかりだと言うのに、響の姿を目にした途端、体の血が騒ぎ始める。
「悠くん、お待たせ」
「俺も来たばかりだから待ってないよ」
「今日はいつもよりいられるんだね」
響は躊躇いながら悠の手を握ると、猫目を細めふにゃりと破顔した。
毎回会う度に、響は学校の敷地内に入る時や夕方に差し掛かると寂しそうにしていたから、今日は余程嬉しいのだろう。
「俺も響と長く過ごせて嬉しいよ。行こうか」
悠は握った響の手を一度離し、指を絡ませて繋ぎ直した。
自宅に着いて、悠は夕飯の支度を始めた。響は誕生日の主役なのでリビングでテレビを見るようソファーに座らせていた。
「手伝うよ」
「だめ。主役だからのんびりテレビでも見てて」
手持ち無沙汰なのか、響はひょっこりとキッチンに顔を出して尋ねた。悠はそれを断った。
断られた響は渋々リビングに戻り、ソファーの上にちょこんと座った。
テレビは、ニュース番組が流れており、仮装した者でごった返ししている繁華街の様子が映されていた。
「ひっ、ゾンビメイク……っ」
テレビに映った、インタビュー中のゾンビメイクを施した小悪魔のコスプレをした女性二人組を目にした途端、響は素早くリモコンを操作し、チャンネルを変えた。
響はホラーとグロテスクなものが酷く苦手だった。
先日、悠の観たい作品を観に映画館へ行った時も、ホラー映画の予告編を目にしただけでも怯え切っていた。
本編そっちのけで響を宥めていたことを思い出し、悠は小さな笑いを零した。
響は何年か前のドラマの再放送を真剣に観ていた。
悠はそんな響の様子を、時折微笑ましく見つめつつ慣れた手付きで調理を進めていった。
テーブルの上には、出来上がったペスカトーレ(ニンニク抜き)、コブサラダ、鶏のクリーム煮、玉ねぎのコンソメスープが並んでいる。
料理は瑞穂と週替わりで分担していたので、粗方は作ることが出来た。
「美味しそう……」
「響の口に合うか緊張するよ。どうぞ」
「いただきます」
響は手を合わせると、フォークでパスタをクルクルと巻き、一口口に入れた。
「美味しいよ……!」
「よかった」
その言葉は偽りではなかったのか、ゆっくりながらも食べ進めていく。
響の様子を見た後、悠も「いただきます」と言って食べ始めたのだった。
「胃袋、掴まされちゃった」
「そこまで?」
響は無邪気に微笑みながら、スープを一口飲んだ。
悠は響の食べっぷりを見て内心安堵した。
今日の昼休みは、購買で買った鮭のおにぎり一つしか食べていなかったから。学校では常に気を張っているせいか食欲はあまりなかったようだ。
デザートは四号サイズの苺のショートケーキだ。
製菓は響に敵わないので、有名なパティスリーで予約して買った。二人で食べ切るには多いけれど、残れば明日食べればいい。
「ケーキ美味しい……」
甘党の響は目尻を下げて、ケーキを堪能していた。
「こんなに至れり尽くせりでいいの?」
「誕生日だからいいんだよ」
響の大袈裟な発言に悠はつい吹き出してしまい、笑いを抑えるのに骨を折った。
「お風呂、ありがとう……」
浴室から戻って来た響は、可愛らしいルームウェアを身に纏っていた。
髪はドライヤーでちゃんと乾かしてくれたことに密かに安心した。
「温まった?」
「う、うんっ」
ぽんと頭を撫でると、響の肩が小さく揺れた。少し強ばった顔から緊張の色が見られる。
初々しい響の態度に、微笑ましくなる。
「俺も入るね。寛いでいて?」
悠は響をリビングに残し、浴室へ向かって行った。
お風呂から上がった悠は、リビングへ向かう前に、寝室へ入る。そこに隠してあるプレゼントを取りに行く為だ。
それを手に取り、響がどう反応するか気になりながらリビングにいる響の元へ向かった。
「これ響にプレゼント用意したんだ。良かったら受け取ってくれる?」
悠は包装された細長い箱を響に差し出した。
「ありがとうっ」
響はその箱をじいと見つめたままでいた。
「開けていいよ」
「うんっ、開けるね」
響は丁寧に包装を解き、箱を開けると中にはプラチナのハートモチーフのネックレスがあった。
その中身を目にした瞬間、響は目を丸くさせていた。
「可愛い……」
「付けていい?」
響が小さく頷くのを確認すると、ネックレスを取り出して、響の細い首に通す。
「似合う?」
「似合ってる」
心配そうに尋ねた響に、悠はすかさず唇を塞いだ。
「ごめん、衝動的にしたくなった」
「急だよ……」
口では抗議しながらも、悠に向ける瞳は熱が籠っている。
「でも、悠くんとするキスは、全部好き……」
この時、初めて響に食らいつくような口付けをした。
薄い唇を舌でこじ開けると、口内へ侵入させ、響の舌を捕らえた。
「ん、やぁ……ふぁ」
舌を絡めれば、響は甘い声が零れ落ちていく。
背中に腕を回して何かに耐えるようにしがみく仕草を見ると、悠は冷静でいられなくなってしまった。
唇を解放させると、響は涙目のまま肩を上下していた。
「可愛い……」
「やっ、あぁ……」
首筋に吸い付くと、また甘い声が耳を突く。
ゆっくりと唇を離すと、白磁の肌に赤い花弁が落ちていた。
このまま、全てを剥ぎ取って、全身に鬱血痕を付けてやりたい。
そんな欲が熾烈なまでに強く、悠の頭の中を占めていく。
視線が重なると、響は金縛りに遭ったように真っ赤なまま固まっていた。
そんな響を見ても、塵のような理性では止められず、響の着ていたルームウェアのボタンに手をかけ一つ外した。
「……くしゅっ」
しかし、妖しい雰囲気は、響の可愛らしい小さなくしゃみで消え去っていった。
響は両手で口元を押さえたまま、気まずそうに視線を悠からそらしていた。
「寒い? 寝る前にお茶飲もうか」
慣れない感覚のせいでぼんやりとした響を残し、逃げるようにお茶を淹れにソファーから立ち上がり、その場を離れた。一度離れないと、響に無理強いをしてしまいそうだったから。
悠は、耐熱性のガラスのカップに注がれた温かいハーブティーを響の前に置いた。
「ありがとう……綺麗な色」
響は感嘆の声を洩らす。そのお茶は透き通った青色をしていた。
「俺も一回飲んだけど、美味しかったよ。飲んでみて?」
「いただきます」
カップの中身を飲み終えてしばらくすると、響はうとうとと舟を漕ぎ始めた。
「眠そう。昨日はあまり眠れてない?」
「うん、ちょっとね……」
初めての外泊を控えた前夜、響は緊張していたのか寝付いたのは日付が変わった頃だった。
しかし、響が眠そうにしていた理由はそれだけではない。
「俺に寄りかかっていいよ」
「うん……」
響は悠に寄りかかった。よほど眠いのか無防備に甘えるように擦り寄る。
「悠くん、誕生日、色々してくれてありがとう……」
「響が喜ぶなら何でもするよ」
響は目を細めて柔らかく微笑むと、耳元に顔を近付ける。
「でも、悠くんと過ごせるのが……一番うれしいから……」
とろんとした寝ぼけ眼で囁かれた甘い声は、悠の中にある、響を本能のままに求めたいと言う衝動を突き動かす。
(不意打ちはだめだって)
響が一秒でも早く寝落ちすることを祈りつつ、無防備に甘える響の髪を優しく撫でていく。
祈りは届いたのか、響は悠に寄りかかったまま、深い眠りに落ちていってくれた。
「寝顔、少し幼くて可愛い……髪も少し伸びたね……」
首筋に掛かった響の黒髪を手に取り、慈しむように梳いていく。
「ごめんね。睡眠薬を盛る真似をして。でも、こうでもしないと俺は……」
(無理矢理君を襲ってしまう)
これ以上手出し出来ないように、万が一にと用意した睡眠薬を混ぜたお茶を飲ませて強制的に眠らせた。
気持ち良さそうに眠る響をそっと抱き上げる。前から思っていたが、響の軽さに内心驚く。
(甘いものが好きなのになんで太らないんだろ……太ってしまえば害虫が寄り付くことはないのに)
寝室に足を踏み入れ、ベッドの上に降ろす。悠も上がり込むと、毛布を掛けた。
そっと壊れ物に振れるように優しく抱き締めると、響の体温が伝わってきた。
(温かい……)
朝起きれば真っ先に響の顔が見れると思うと、気持ちが高揚してしまう。
「愛してるよ。来年も再来年も、ずっと俺がお祝いしてあげるからね」
無防備な寝顔を見せる響の薄紅色の唇に、そっと口付けをした。
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