何度でも君を“故意”に落とす
仮の恋人同士になってからは、毎日響の送迎をした。
朝は学校まで、放課後は迎えに来て自宅まで送り届けるのは習慣となっている。
これも全てストーカーから守る為である。
そのストーカーが隣で微笑んでいることは響は未だに知る由もない。
今日も今日とて悠は放課後、響を迎えに誠稜高校へ足を運んだ。
正門から離れた所で待つと、響と同じ制服を着た生徒から射抜くような視線を感じた。
正門の真ん前は避けても、目立ってしまうようだ。
「ごめん、待った?」
響が悠を見つけるなり駆け出した。
「なんで笹山さんなの!? 見た目だけじゃん」
「騙されて可哀想ー!」
近くにいた見知らぬ女子生徒の陰口は聞き逃さなかった。相変わらずの響の嫌われように思わず口角が上がりそうになった。
「帰ろうか」
「うん」
響は悠の隣の歩道側に立つ。
「響、この前教えたでしょ?」
さあ帰ろうとなる前、悠は響に囁いた。
響は背負っているリュックの肩紐を両手で握り締めていた。
「あ……そうだった……」
響はぎゅっと瞼を閉ざしたまま、肩紐を握る片方の手を伸ばし、悠の指を絡ませた。
指を絡ませる恋人繋ぎをすると、響の頬は赤く染まり始めた。
「彼氏彼女は、こうやって手を繋ぐんだね……」
「そうだよ。腕を組むカップルもいるよ」
「う、腕……?」
頬に留まらず、耳も赤く染まっていった。
悠は響が無垢であることをいいことにあることないことを吹き込んだ。
響は悠の言ったことを恥ずかしがりながらも律儀に守っている。
(皆の目は節穴だね。響はこんなにも無垢なのに)
悠は最近知った、響がサラリーマンのおじさんに体を売っていると言う下らない噂を思い起こしていた。そのせいで病気を持っていると言う噂も聞いた。
響からすれば非常に屈辱的な内容だが、そういうことにしておけば、響に集る害虫は激減するだろう。
(周りがどんなに響を非難したとしても、俺だけは全てを受け止めてあげるよ)
響の理解者は悠しかいない。代わりが務まる人間など何処にもいやしない。いてはならないのだ。
「悠くん、今日もありがとう」
響の自宅に到着し、響は控え目な微笑みを悠に向ける。
絡まった指をゆっくりと離し、響の華奢な両肩に手を置く。そっと顔を近付けた。
唇はすれすれでは触れていないが、角度によっては触れ合っているように見える。
別れ際、悠はキスの振りを欠かさずしていた。
響にストーカーに見せつける為と言えば、信じて恥ずかしがりながらも瞳を閉じてそれを受け入れてくれた。
本当は薄紅色の唇を直接塞いで、口内に舌を入れて犯し尽くしたくて堪らない。
控え目な膨らみに触れて、誰も受け入れたことのない場所を愛撫して蜜を溢れさせてやりたい。
(響はどんな風に鳴くのだろうか。触れたらどう反応するのだろうか)
欲に塗れた衝動が悠を突き動かす。油断すると下半身に熱が集まってしまいそうだ。
しかし、今は偽りの関係だ。
本当の恋人同士になって、響に心の準備が出来るまでは無理強いはしないつもりだ。
勿論、響が自分との情交を望むように誘導はさせていく。
その間は悠は己の理性との戦いが続くことになる。
そうは言っても他の女で代わりに発散する気は全くない。響以外の女とするくらいなら去勢を選んだ方が遥かにマシだ。
手淫も
勿論、結婚するまではきっちり避妊しておくことは大前提である。
「響、また明日迎えに行くね」
「うん、またねっ。気を付けてね」
悠は腹の中に隠した汚れた欲望とは裏腹に、梅雨が明けた蒼天のように爽やかな笑みを浮かべ、響に手を振った。
別れ際の響の顔は赤く染まっていて、スマートフォンで撮りたいほど愛らしいものだった。
時は流れ七月の末。試験を終えて待ちに待った夏期休暇に入った。
長期の休みは、響が害虫の視線を浴びずに済む安寧の一時である。
ある日、悠は響に映画を見に行こうと誘った。
響が好きな恋愛小説が実写化されたのだ。タブレットに電子書籍を落として読んでみれば、出会いから結ばれるまでの過程が描かれた良くも悪くも王道な展開だった。
正直抱いた感想は、印象残らない面白みのない三文小説、だった。
しかし、響が楽しめるなら付き合うのは全く苦ではない。様々な表情を魅せてくれると思うと楽しみで仕方ない。
当日の午前九時。悠は響の自宅の前にきた。
「悠くん、おはよう」
「おはよう、響」
玄関からやって来た響はテーパードパンツとTシャツと言う格好だった。スレンダー体型な響によく似合っていたが、些か色合いは地味である。
(響は自分がどれだけ綺麗で可憐なのかが分かっていない)
響は元々己の容姿に無自覚だった。悠が近寄る害虫を水面下で排除したせいでそれは拍車にかかっている。
更には人間関係のトラブルを経て、自己肯定感が地の底まで落ちている。
響に似合いそうな服を探して着飾らせたい。自分の色に染めたい欲望が極めて強い悠は、映画の後は買い物に行こうと頭の中で計画を立てた。
二人は目的地に着くまでずっと手を繋いでいた。
ショッピングモールにあるシネマコンプレックスに到着し、上映まで少し時間があったので、飲み物を買うことにした。
「何飲みたい?」
「オレンジジュース……自分で払えるよ」
「オレンジジュースと烏龍茶ください」
後半は聞こえない振りをして、悠は二人分の飲み物を購入した。
「払わせてごめんね?」
悠から受け取ったオレンジジュースを手に、申し訳なさげに目を伏せる。
「響だって俺の誕生日にご馳走してくれたでしょ」
「それとは別だよ」
「ごめんね。時代錯誤かもしれないけど、仮でも彼女に払わせる真似はしたくない」
「甘やかしちゃ、だめだよ」
彼女と言うワードに頬を染め、自分に抗議をする響に、悠は目を細めて愛おしげに髪を撫でた。
(響は俺にどろどろに甘やかされていればいいんだよ)
今まで見てきたのは色眼鏡で打算的に見る女ばかりだった。
響からは、恵まれた環境で育ったとは思えないほど、利己的な思惑が見られない。それは出会った頃から変わっていなかった。
そんな体も心も清らかな響を外の世界で生かすに忍びない。
囲い込んで自分しかいない狭い世界に息絶えるまで身を置いていて欲しい……と悠は願わずにはいられなかった。
飲み物を飲みながら、上映中の映画を真剣に見ている響を凝視していた。
泣いたり笑ったりする響のコロコロと変わる表情は見ていても飽きがこないのだ。
「律くん、格好いいな……」
響はぽつりと出演している俳優の名を呟いた。
耳を澄まさないと聞こえない小さな独り言を、悠は聞き逃さなかった。
人気の若手俳優にときめくのはいただけなかった。 手の届かない芸能人だろうが男であることに変わりない。
(何かやらかして干されてしまえばいいのに)
悠はスクリーンに映る律と呼ばれる俳優に、内心毒を吐いた。
接点を持つことはない芸能人に対しても嫉妬を抱く自分は、病的な独占欲の持ち主なのだと悠は改めて実感した。
響に出会う前は、自分が嫉妬で狂う姿など全く想像出来なかったと言うのに。
(俺がこんな風になったのは響のせいだ。死ぬまで責任取ってよ、響)
悠は映画に夢中な響を瞬きをせず見つめたまま、心の中で語り掛けた。
「面白かった……」
上映が終わった後、響は購入したパンフレットを手に、映画の余韻に浸りながら歩いていた。
「楽しめたみたいで何よりだよ」
「今度は悠くんが観たいものを観ようね」
「ありがとう」
響の口から出てきた“今度”が心地好くて、悠は自然と表情を綻ばせた。
昼食を食べた後、二人は服を見て回っていた。
響が手に取るのは、今着ている服と同様にモノトーンばかりだ。
「響。これはどう?」
悠は膝丈の裾が広がったワンピースを響に合わせてみた。
パステルカラーの水色を基調としたシンプルながらも清楚なデザインだった。
「こんな可愛い服、私に似合うかな?」
店内に設置されている姿見の前で、響は不安げにワンピースを合わせている。
「折角だから試着してみない?」
「その間悠くんを待たせちゃうよ」
「俺のことは気にしないで」
響は悠に後押しされて、ワンピースを持って試着室へ向かった。
「どう……?」
試着した響の姿を目にした瞬間、悠は息を呑むほど見とれた。
露出はないのに、折れそうなほど細い腰のラインが艶めかしく映る。
自分の色に染まる響に目眩がした。
(可愛くて、気が変になりそうだ)
「すみません。この子が試着した服をください」
気付けば、悠は通りかかった女性の店員に声を掛けていた。
「同じサイズの在庫がございますので新しいものをご用意いたしますね」
店員は営業スマイルで答えると、在庫を取りにバックヤードへ消えて行った。
「待って……っ」
響の引き留める声が後ろから聞こえたが、聞こえない振りをして会計をしにレジへ向かった。
「お金、遣わせてごめんね」
店を出た後、響は申し訳なさげに柳眉を下げて悠に謝っていた。
「謝ることはないんだよ。これもストーカーに諦めて貰う為の策だよ」
「服を買うことが……?」
「身に付けるものを贈る行為は独占欲の表れなんだよ。好きな子が他の男の色に染まっているのは面白く思わないはずだよ」
「そうなんだね。そういう意図があったんだ」
ストーカー関連を絡ませると、響は深く頷いて納得した様子を見せた。
(詐欺に引っ掛かりそうで怖いな)
疑うことを知らないところは悠にとっては都合がいいけれど、非常に危うくもあり不安を覚えてしまった。
「そうだとしても、お金を遣わせるのは申し訳ないよ……」
「響が笑っていられるなら何でもするよ」
目を細めて破顔すると、響は瞠目した。
「悠くん、いつもありがとう……」
そう言うと、響は目を伏せて照れた風にもじもじさせていた。
響を自宅へ連れて行きたい衝動に駆られたが、堪えて、丁重に響の自宅まで送ってあげた。
「今日も楽しかったよ」
「俺も楽しかったよ。また出掛けようね」
「うんっ」
別れ際、いつものようにキスの振りをする、いつもなら何も触れることなく離れるが、唇は耳元に寄せていく。
「────響のことが好きだよ」
この瞬間は良き友人の仮面を外し、本来の響を愛してやまない自分になって甘く囁いた。
「……っ!」
響は酷く驚いたようで、手で耳を押えながら勢いよく後ずさりをした。
「お、お芝居だよね……っ、ストーカーに聞かせる為だよねっ」
響は真っ赤な顔で狼狽えながら、悠に近寄り小さな声でひそめる。その様子は自分に必死に言い聞かせてるようにも見えた。
今はそう解釈しても構わなかった。
悠は肯定も否定もせず曖昧に微笑んで見せた。
「またね」
「う、うん……」
再び友人の仮面を付けて、響ににこやかに手を振ると、来た道を歩み始めた。
“眠れない。別れ際の言葉が頭から離れてくれないの”
深夜、響の呟きが密かに投下された。
悠は上機嫌に口角を上げたまま、そのスマートフォンに映る呟きの画面を慈しむように指先で撫でた。
もっと頭の中が自分でいっぱいになればいいと思った。
爪弾きされて孤立している響にとって、“好き”と言う
始めは極少量でも、時が経つにつれてまるで依存症患者のように、もっともっと……と求めずには居られなくなる。
己に振り回される響がとてもいじらしくて、悠は別れ際の響を思い浮かべながら笑みを深めていった。
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