その“意図”で雁字搦めに縛り付けて、逃がさない

六月の大安、梅雨の中珍しく晴れたある日。


悠は従姉妹の結婚式に参列していた。

相手は大企業を経営する桜宮おうみや家の子息である。


始めは二人の間に愛情はなかった。数年前、悠の実父が従姉妹に勝手にあてがった婚約を解消する為に、従姉妹が頼み込んで始まった偽造婚約だった。

しかし、その偽りの関係はやがて嘘から出たまこととなって、お互い恋愛感情が芽生えた。


ウエディングドレスに身をまとった従姉妹が、父親と一緒にバージンロードを歩いている。


(いつかは響のドレス姿見たいな……いや、白無垢も捨て難い)


付き合っていないどころか知り合って間もないのに、悠は従姉妹に向けた微笑ましげな笑顔を貼り付けたまま、妄想に耽っていた。




挙式が終わり、引き続き披露宴にも参加し、しこたま飲まされた悠は自宅のマンションに着く頃には生ける屍となっていた。

ギリギリ未成年と言う断り文句は、お祝いムードを前に通用しなかった。


ベッドの上に横たわる。フォーマルなスーツに皺が出来そうだがお構いなしだ。

翌朝二日酔いは避けられないだろう。頭痛が襲いかかってきた。


明日は学校を休んでしまおうか……思案していた時、スーツの内ポケットに入れていたスマートフォンが振動した。

スマートフォンを取り出し、画面を見ると、響からのメッセージ受信の通知が一つあった。


響と連絡先を交換してからは、毎日ラインでやり取りをするようになった。


《従姉妹さんの結婚式どうでしたか?》

《よかったよ。ただめちゃくちゃ飲まされた》

《大丈夫ですか? しんどい時に送ってごめんなさい》


猫のゆるキャラが土下座するスタンプが追加された。

響とのやり取りに癒されて、少し頭痛が和らいだ気がした。


《大丈夫だよ。気にしないで》

《誕生日を迎えたんですね。この間もうすぐ二十になるって言ってたから》


以前の会話を覚えていてくれたことに、悠の胸の中は温かくなった。

少なくとも無関心ではないと思わせてくれるから。


《それがまだなんだよ。あと三日かな》

《十八日ってもうすぐですね》


淡い期待を抱いてしまう。

自分の誕生日など長年無頓着だったのに、響に祝って欲しいと願っている自分がいた。


《十八日の放課後に久しぶりに会わない?》

《私でいいんですか?》

《うん。予定入ってる?》


響にスマートフォンを返す前、遠隔操作アプリをインストールしておいた。

これで響のスマートフォンが手元になくてもいつでも中身を覗くことができるようになった。


スケジュールを覗くと、十八日は空欄だった。

そもそも孤立している響のスケジュールは基本空いていた。


《全然、暇です! 私で良ければお祝いさせてくださいっ》


予想通りの返事に、生ける屍状態の悠の口角が上がった。


やりとりを続け、十八日の当日、一緒にご飯を食べることが決まった。




三日後、待ちに待った日がやって来た。

自分の誕生日を迎えたことより、響と会える方が何千倍も嬉しさを感じた。


あらかじめ決めた待ち合わせ場所に、三十分早く着いた。響はまだ来ていない。

響より早く来ないと、害虫という名の腐れた男共が響に集ってしまうから。


「お待たせしました」


待ち合わせ時間の十分前、響が到着した。


「……っ!」


響の姿を目の当たりにした瞬間、悠は瞠目した。

響の格好が制服ではなかったから。


ショートパンツにTシャツとシンプルな格好だが、すらりと伸びた細く白い手足と鎖骨は目の毒だ。


「着替えてきたの?」

「はい。制服だと補導されるかもしれないから」


響の言い分は道理にかなっていた。


「北川さん、お誕生日おめでとうございます」


響は顔を見上げ、控え目な微笑を悠に向けた。

響が祝ってくれると、どうでもよかった誕生日も悪くないと思える。


「良かったら受け取ってください。作りました」


響は手にしていた小さな紙袋を悠に差し出した。

紙袋の中に、ガス袋に入れられたマフィンが三つあった。


「わざわざ俺に?」

「甘いものが苦手でも食べやすいようにしました」

「笹山さん、ありがとう。後でいただくね」


悠は破顔させながら、その紙袋を響から受け取った。


(響が作ったものなら何でも食べるよ──例え髪の毛や体液が入ったものでも)


高校時代、後輩から汚物同然のバレンタインチョコを貰った時は気持ち悪くて身の毛がよだったことがあったが、響からなら喜んで食べてしまいそうな自分がいる。


勿論実際のマフィンは物騒な物は混入されていない絶品のものである。


ふと見上げると、昼から続いていた曇り空はいつの間にか雨雲に変わり、突然、激しい雨が降り出した。

天気予報で夕方の降水確率は百パーセントと言っていたので、傘は持参している。


「お店に行こうか」


店を目指そうと傘を差した。


「あの、いれてくれませんか……」


響は躊躇いながらおずおずと小さな声で悠に言った。


「持ってないの?」

「ちゃんと持ってきたんですけど、劣化で急に壊れたんです……」


響はバツが悪そうにしていた。まるでいたずらがバレて親に叱られる子どものようだ。


(…… の間違いだろ?)


入学当初から無視されていた程度だったが、時々嫌がらせをされている。

傷害や性犯罪なら、社会的に抹消してやろうと思っていたが、教科書に落書きをされたり、体操服を破かれたりなどと言った器物破損程度なので様子見にしている。

それでも、響の心を追い詰めるには充分だった。


「災難だったね。おいで」


悠は傘の中に入るように響を手招いた。

響は遠慮がちに「失礼します」と小さく呟いた。


悠は道路側、響は歩道側に並んで相合傘で歩いていた。響は気遣うように少し悠と距離を置いて肩を縮めていた。


「肩濡れるよ」


悠は響を引き寄せた。軽くぶつかり、響は気恥しそうに頬を染めた。


「北川さんこそ濡れますよ。私、背が高いから窮屈ですよね」

「俺は平気。笹山さんが風邪引く方が嫌だよ」

「どうして、私なんかに……」

「私なんかって?」

「いえ、なんでもありません。行きましょう」


響はそれきり黙りをし、少し顔を俯かせていた。


店は響が探してくれた。落ち着いた雰囲気のあるカジュアルなイタリアンだった。コース料理を予約したと言う。


「父に高校の入学祝いで連れて行ってもらったんです。美味しかったですよ」

「ふふ、楽しみだよ」


コース料理はとても絶品だった。

やたら美味しく感じるのは、響と一緒に食べているからだと思った。


食事をしながらお互いの学校の話をした。

響のでっち上げた充実した高校生活の話を、悠は微笑ましそうに耳を傾けていた。


「お酒にしなくて良かったんですか?」


ドリンクのメニューにアルコールはあったが、悠は響と同じ紅茶を選んでいた。


「俺だけ飲むのも寂しいな、って。銘柄は詳しくないけど紅茶も結構好きだよ」

「私もです」


食事が終わり、会計をする時、響はお礼が出来ていない、誕生日だから自分で払うと言って聞かなかった。


「ごめんね」

「気にしないでください。今日は誕生日ですからね」

「ありがとう」


とは言ったものの、年下の響に奢って貰うことに、立つ瀬がないと感じてしまう。

響の実家が太いと分かっていてもだ。


元彼女の環の実家と同様に、悠の実家もまた男尊女卑の思想がまかり通っていた。家がと言うより父が思想に強く染まっていた。

時代遅れとは思うが、少なからずその影響を受けてしまったようだ。


店を出ると、相変わらず雨は降っていた。また相合傘で歩いて行く。


「笹山さん、今日はありがとう。嬉しかった」

「私こそ、祝う側なのに、お礼言いたいくらい楽しかったです」


響はぱっちりとした猫目を細めて笑みを浮かべた。

会うのは三度目だが、少しずつ笑顔を見せてくれるようになったと思う。


「北川さんと過ごすと、時間があっという間に過ぎます」

「俺も同じだよ。ところで笹山さんの誕生日はいつなの?」


本当はとうの昔に知っている事柄だ。

なんなら、無痛分娩で二十三時五十四分に産まれたことや、身長四十九センチ、出生体重が二九六○グラムということも知っている。


「十月三十一日、ハロウィンです」

「イベントの日なんだ。その日、俺にお祝いさせてくれる?」

「は、はい……っ、楽しみにしてます」


響は柔和で愛らしい笑みを浮かべた。


(その笑顔を独り占めしていたい。友達も彼氏も夫も俺がなるから、心を開くのは俺だけでいい)


いつの間にか雨が上がった。悠は傘をたたみ、空を見上げた。

星は全く見えない。


それでも響が隣にいるだけで、悠は素晴らしい景色に思えた。

響は、モノクロの世界に彩りと光を与えてくれたから。





「同じ路線なんですね」

「本当に世間が狭いね」


帰りは途中まで一緒に電車に乗ることになった。


今住んでいる場所は、響の自宅の最寄り駅がある沿線と言うだけで決めた。

講義が被らない限り、通学している響を遠くから見つめていた。


吊革に掴まって、うつらうつらとなりながら器用に立っている姿をよく見かける。寝起きが良くない響は特段無防備だ。

先日、響の太ももを撫でようとした害虫が現れた時は、響に気付かれないように奴を引き摺り降ろし、穢らわしい両手の指を折ったものだ。


取り留めない話をしている内に、あっという間に電車は響が降りる駅に停まった。悠の最寄駅はあと二つ先だ。


「私、ここで降ります」

「一人で大丈夫?」

「父が駅まで迎えに来てくれるので大丈夫です」

「それなら、良かった。笹山さん、またね」

「さようなら」


悠は名残惜しさを感じながらもにこやかに響に手を振った。


響が降りるのを見届けた後、悠はスマートフォンの画面に指を滑らせる。

表示させたのは青い鳥のSNSの裏アカウント。


響の胸の内を知ることが出来る唯一の場所。

もうすでに新しい呟きが上がっていた。


“寂しい……次は、会えるのかな”


その呟きは、恋愛感情から来るものではない。

響は悠を孤独を癒してくれる存在として、縋るようになりつつある。


響はようやく悠を友人として見るようになった。しかし、今はまだ異性として見てくれなくてもいい。

今はもっと心の拠り所になるように、ゆっくりと心を融かしていく所存だ。


(俺も会いたいよ。次はドロドロに甘やかしてあげる。愛しているよ、可愛くて愚かな響)


いつか響が陥落して自分に依存する日を、悠は今日も夢に見て、響に恋煩っていく。

その病は重篤じゅうとくで、手の施しようがない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る