憤怒の追憶 ep.acedia――サタン
「今は誰も、俺に危害を加えようとは思っていない、か」
ルシファーはそう言っていたが、おそらくそれは違う。実際に危害を加えようとせずとも、俺の事を憎く、殺したいと思っている悪魔は多いはずだ。
それだけの事をしたという自覚は、ある。
奴が魔界に来て、それを前面に出してくる奴が減ったに過ぎない。あいつの前ではいい顔をしているだけだ。
だが、そういう意味では、奴が魔界に来てから悪魔たちは少し変わったような気がする。何が、と問われれば答えは分からないが。確かに、何かが違う気がするのだ。
おそらく、その何かが答えられないから俺は失敗したのだろう。恐怖で縛るだけでは見つからない、その“何か”が。
レヴィの顔が見たくなり、部屋を出た。
廊下を歩いていると、下級や中級の悪魔たちと鉢合わせた。俺の姿を見て硬直する彼らを一瞥し、気付かなかったふりをして脇を通り過ぎる。恐怖、畏怖、そして殺意を背中に感じながら、その場を離れた。
やはり。お気楽堕天使には何も見えていない。お前の向けられるそれと、俺の向けられるものは違うのだという事にも、気付けない。
苛々してきて、空中に黒い炎の玉がぼうと燃え上がる。
「おいおい~、サタンよぉ~。この建物燃やす気ぃかよ~?」
不意に声をかけられた。気だるげに壁に凭れ掛かって腕を組むのは、“怠惰”ベルフェゴール。
相変わらず自堕落を気取った男は、半開きの目で俺を見据える。
「あのなぁ~そんな怖ぇ顔してちゃあいつらだって怯えちゃうでしょ~よ~。もうちょい愛想良くしねぇとレヴィ達にも愛想つかされちまうぜ~」
「……貴様には、か」
「関係ねぇわけね~だろ~」
いつも怠そうなコバルトブルーの瞳が、今はやや険しさを宿す。
一体、なんだというのだ。こいつだとて、俺に恐怖と憎悪を抱いている悪魔のひとりだろう。
当時の事はあまりよく覚えていないが、おそらく俺が魔界を燃やし尽くそうとしていたあの時期に誕生している悪魔のはずだ。銀髪堕天使が魔界にくるまで、自分を偽ってまで、俺への恐怖を隠そうと躍起になっていたのだ。いくら奴の影響力が凄まじかろうと、そう易々と恐怖心が消えるわけではないだろう。
それがどういうわけでそんな事をくちにするのか。
「貴様は、俺が怖かったのではないのか」
「はぁ~? なんだよ~急に。話逸らそ~ったって」
「いいから答えろ」
ぼうぼうと、俺の背後が燃えているのを感じる。一つ深呼吸をし、炎が消えるよう念じる。なかなか消えない炎にさえ苛立ちが募る。
「あ~、めんどくせぇな~。サタン様は俺に興味深々ってか~?」
緩慢な動きで頭を掻き、腕を組み替えたベルフェゴールはゆっくりとくちを開いた。
「……過去に、おめーがやった事を考えりゃ~許せねぇとは思うけどよぉ。あの時のおめーにゃ、おれら末端には想像のつかねぇ事情があったんだろうとも思うのよ~。それに、今はルシファーがいてくれるからな~」
独特の間延びした口調で続ける。
「それに、おめー自身も変わっただろ~? もう、怖かね~よ~」
驚きだった。ルシファーの影響力もそうだが。それより、こんなにも平然とした様子で「もう怖くない」とくちにするとはさすがに想像していなかった。かつての様に虚勢を張って、自らをも偽るような言葉ではない。さも、当たり前のことの様に、するりと出た言葉。
「そう……か」
「そ~よ~。俺の返答はお気に召しました~? そもそも、おめーが暴走しそうな時、止めてんのは誰よ~?」
「……色欲バカと、貴様、だな」
「分かってんじゃね~か~。おめーを怖がってちゃ~能力も発動しね~ってもんよ~」
ヘラッと薄ら笑いを浮かべたベルフェゴールは、だらだらと足を動かし俺に近付く。距離の近さに顔を顰めた。
警戒する俺に、一瞬顔を近づけたベルフェゴールは「あまり俺らを舐めるなよ」と低い声で呟いた。普段のだらしなさから想像も出来ない本性に、冷や汗が流れる。
やはり、お前のそれは“自堕落気取り”ではないかと舌打ちをした。
皮肉な笑みを張り付けて、ゆらりと体を離した彼はこちらに背を向ける。そして「俺の助言、忘れんなよ~」と言い残し、ひらひらと手を揺らして立ち去った。
怯えて逃げ惑ってばかりだと思っていた悪魔共が、俺が思っていたほど弱くないのだと思い知らされて、過去に俺のしたことが赦されたわけではないが、ほんの少しだけ気が楽になった……ような気がした。
――
―――
サタンとベルフェゴールの話でした。
『憤怒と傲慢』の続きであり『自堕落気取り』の続きでもあるような何か。
サタンの立場がどんどん弱くなっていく……。
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