第53話

「行こうか、沙良」


 一輪の薔薇を傷だらけの手に持ち、静雄はわたしを呼んだ。わたしはうなずき、彼と一緒に歩き出した。鶯が鳴いていた。わたしは何とも思わなかった。もしかしたら以前から鳴いていたのかもしれない。


 静雄の両親とわたしの父が石畳の庭に立っていた。わたしと静雄を見ている。静雄の両親は普段ならば明るい人たちなのに、仮面を被らされたように表情が固まっていた。背の高い静雄の父が、わたしたちを手招いた。大きな目をした静雄の母が、振り向いてわたしの父の肩を叩いた。父がわかっていると言うかのように、うなずいた。悄然としている。わたしは父を見てそう思った。父のその姿を見たのは二度目だと、わかった。


 近づくと、父は静雄に軽く頭を下げた。


「静雄君、ありがとう。君の大切な薔薇なのに」


 声がかすれていた。今にも崩れ落ちそうな震える膝を見てわたしは驚き、次にやっと父もわたしと同じように血の通った人間なのだと認識した。お父様。声に出そうとして詰まった。静雄がわたしを見てから言う。


「選んだのは沙良さんです」


「沙良が?」

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