第11話
所用で町役場に立ち寄った帰りだった。
糺の自宅に差し掛かる寸前、彼の自宅の前に一人の中年の男性が佇んでいた。
誰だろうか……ハナは咄嗟に電柱に隠れて、様子を窺っていた。
「山階さーん、いらっしゃいますか?」
男の大きな声に、程なくして糺が出てきた。相変わらず目元を隠すようにキャスケットを深く被っている。
「何かご用でしょうか」
すると、彼は姿勢を正し、一通の封筒を糺に差し出した。
「此度はおめでとうございます!」
男は役人だった。召集令状を届けることは役人の仕事であるからだ。
その様子を陰から見つめていたハナの目が限界まで開かれた。
認めたくないが、糺は召集令状……通称赤紙を受け取ったのだ。
国や時の天皇陛下の為に命を賭して尽くすことは、名誉なことだと言われている。
(何がおめでとう、よ……)
糺に赤紙を送った役人に憎しみに近い感情を抱いている自分がいた。例え周りから非国民と罵られる考えだうが、懐疑的になることを止められなかった。
小さな紅い唇を噛み締めながら、赤紙を受け取った糺が家に入るのをこっそり見届けると、ハナはようやく歩みを始め、家路についたのだった。
洗濯物を取り入れ、夕飯の支度をしなくてはいけないのは頭で理解しているが、ハナの体は指一本も動くことはない。
帰宅してからのハナは、ちゃぶ台の前で正座をしたまま微動だにしない。
「おねえちゃん?」
いつの間にか学校から帰ってきたのか。八歳になる末の妹の
まっすぐ切り揃えられたおかっぱに丸っこい無垢な瞳をハナに向けている。
「具合、わるいの……? どこかいたいの?」
眉を下げて不安げな文子を安心させるようにハナは笑みを浮かべた。
「大丈夫だよ。どうして?」
「だって、おねえちゃん、泣いてる」
ハナは文子に言われて目元に手をやると、濡れていることが分かった。
(いやだ、私をおいて行かないで、離れていかないで……糺さん)
ハナは黙ったまま文子を抱き締めて、静かに嗚咽を零し始めた。
文子は何も問いかけることなく、さめざめと泣くハナの背中を優しく撫で続けていた。
「ごめんね、驚かせて」
ハナは苦笑いを浮かべていた。我ながら情けないと自己嫌悪に陥っていた。
姉としてしっかりしなければならない立場なのに小さな子供のように妹に泣き付く真似は大人気ないだろうか……と不安になっていた。
「こんなこと言えないけど、悲しいことしか起きてないもん。泣きたいのに、おめでとうだとか、万歳なんておかしいよ……これだれにも内緒だよ?」
文子も同じ考えだったようだ。ハナは本来なら姉として妹の言動を咎めるべきだが、目をつぶることにした。
「私も泣いたことはお父さんやお母さんには内緒ね、お兄ちゃん達にもね」
「うんっ」
姉妹はお互いの小指を絡ませて、指切りの歌を歌い始めた。
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