第4話

 研究所に引き取られるようになった十数年の時が経った。

 とうに大還暦を迎えたハナは、相変わらず少女と変わらぬ容貌のままだ。

 ただ、黒目がちな瞳から光が失せて、虚無を纏った人形のように変わり果てていた。


「次の実験の時間です」

「……はい」


 神経質なまでに規則的な時間に従って、実験室に研究員の一人に連れられていく。


 ここはハナが生まれ育った法治国家・日本のはずだ。

 しかし、ハナが日々受けているのは、非人道的な実験ばかりだ。


 全裸で氷点下、あるいは猛暑を上回る温度に設定した部屋に閉じ込められたり、水中に押し込められたりした。

 前時代の産物であるはずの電気椅子に座らされ、高圧な電気を流されることもあった。


 人為的に致死量の毒物を注入されたり、細菌やウイルスを感染させて日々観察、監視をされていた。

 喀血、肌の変色や爛れ、激痛や嘔吐感……様々な苦痛がハナに襲いかかる。

 自害した方がマシだと思うほどの凄惨な有様だった。

 しかし、常に監視下にいるハナは自害を選ぶことすら出来なかった。


 日々の実験によって肉体はボロボロになったが、人ならざるものの力のせい内臓や皮膚は尋常ではない速さで再生されていく。

 元通りになる度に、また異常な実験を強いられていく。その繰り返しであった。


 研究所での日々は、以前テレビのドキュメンタリーや本で知った、ポーランドにあるアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所にいたユダヤ人の扱いを彷彿とさせる。


 この実験の詳細を本にまとめて出版したとすれば、おぞましさのあまり即刻発禁されること間違いない。


 ただ、実験において、体の切断は実行に移されることはなかった。

 手術である部位を摘出した過去から、失ったものは再生されないと判断されたからだ。

 それは唯一の不幸中の幸いだった。


 やがて、ハナの精神は消耗し、抗うつ状態に陥るようになった。


(誰か、私を殺して……首を絞めて、心臓を一突きして欲しい……)


 恨みに近い思いで無言で訴えかけるが、研究員はただ命じられたことを淡々とこなすだけで聞いてはくれない。


 ハナの願いは研究所からの解放ではなく、『死』ただそれのみだった。


「むこうに、行きたい……会いたい、会いたい……ただしさん」


 眠る前、ハナがうわ言のように零れた名前は、夫ではない男性の名前であった。

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