三、運命
第85話
凰稀は夜更け、あまりの冷え込みに目を覚ました。
日々目を覚ますたび、京の御殿へ戻っていればいいものをと願うが、それは叶わない事。
大奥や江戸でのしきたりを叩き込まれ、あれこれ文句ばかり言われる日々。
輿入れの条件であった五箇条を検めに、将軍生母の元へ赴いたところ、目の前で書状を蝋燭の炎へ投げ込まれた。
政治の道具として降嫁させられた身、覚悟を決めて徳川のために世継ぎを儲ける事が役目だと言われた。
将軍へのお目通りも叶わず、その予定も答えてはもらえない。
共に来てくれた侍女達の手前もあり、気丈に振舞ってはいるが、一人になると言いようのない悲しみが襲ってくる。
凰稀は小窓の外がやけに明るい気がして、そっと床を抜け出した。
厚い打掛を羽織り、窓の外を覗くと、その眩しさに思わず目を背けた。
「・・雪?」
色を無くし淋しげだった庭が、月明かりに照らされ青白く光っている。
それは京で見た景色と何も変わらず、胸が締め付けられた。
京での穏やかな華やぎに満ちた日々を思い出し、表情のなくなった瞳から涙が零れる。
凰稀は降る雪に触れたくて、小窓の障子をそっと開き外へ手を伸ばす。
突き刺すような冷たい空気に耐えながら手を伸ばすが、軒の下にある窓からは届かない。
侍女に言って、少しだけ庭に出られないものかと思案するが、すぐに奥付きの女官が飛んでくるだろう。
窓の外で、凍えて耐えられなくなった手を引こうとすると、ふと冷たい何かに腕を掴まれた。
驚いて悲鳴を上げようとすると「静かに!」と囁く声と、男の姿が現れた。
「雪を見たことは?」
傘も差さずに現れた男は、凰稀の目を真っ直ぐに見つめて問うた。
突然現れた男の姿に驚きはしたが、その眼差しは優しく、不思議と恐怖は感じなかった。
「・・ある」
そう答えると、少しがっかりしたような表情を見せるので「でも、触れた事はない」と続けた。
髪に薄く雪を積もらせた男は優しげに目を細めると、鳳稀の手に雪で作った小さなだるまを乗せた。
「・・冷たい!」
初めて触れた雪の冷たさと、不思議な感触に凰稀は微笑んだ。
雪の寒さで頬を赤くした、少年とも言えるような男は、微笑む凰稀をじっと見つめる。
「凰稀宮どの」
囁くような、耳に優しい不思議な声だった。
「私は将軍、宗光」
「え?」
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