死灰復燃のような、この想い
彼に対する〝好き〟なんて感情は、もうすっかりなくなったものだとばかり思っていた。だからこそ、暇つぶしがてら久々に会ってみてもいいかな、と思ったのだ。
とても気軽に、フラットに。直接顔を合わせるまでは、ただの友達と会うような、いつも通りのわたしのままいられる自信があった。
「トワくん……? お待たせしました」
待ち合わせ場所に着いておずおずと声をかければ、トワくんは小さく手を上げて応える。久々に見る彼の姿。真っ黒な瞳に射抜かれて、どきりとした。
「ごめん、待ったよね」
「んーん? 平気」
ああ、トワくんの声だ、と思った。
こんな声だった。他の誰とも違う、囁くような柔らかくて落ち着く声。わたしは、この声が好きだった。懐かしさが込み上げる。
普段から最低なセクハラ発言ばかりなのに、あまり嫌悪感を抱かないのはこの声のせいでもあった。
「久しぶりだよね、一年ぶりくらい?」
「スキー場以来だからほぼそうかも。ね、聞いて。俺太ったさ!」
キラキラした黒い瞳で真っ直ぐ見つめられる。心臓が跳ねて、そっと視線を逸らした。
一呼吸おいて、改めてまじまじとトワくんを見てみると、確かに記憶にある彼の顔よりちょっとふっくらしているような気がした。でも正直に言うのは傷付けてしまうかなと思って、曖昧な答えをくちにする。
「えー、そうかなぁ」
「腹回りの肉がやばいんだって。お菓子ばっか食ってたせいで、五キロ以上増えた。腹の肉つまめるからな。つまんでみる?」
「何言ってんの! しないわ」
そんな他愛もない話をして、再会を懐かしみながら予定通りにバーへと向かう。
得意じゃないくせにお酒を飲もうと誘われた時点で、少しは覚悟していた。その後にどういう展開になってしまうのか、分からないほどウブではなかった。
なし崩し的にそういう関係になるのは嫌だったけど、求めてくれることは嬉しくて。相反するふたつの気持ちを抱えながら、断ることも出来ずに
それでも、まだ大丈夫だと思っていた。前みたいにくちでして、添い寝するくらいで終われるかな、なんて楽観的に考えていた。
当然、ここまで来てそれだけで終わるもはずもなく。
遠慮なく身体を
大切にしてくれているとは、あまり感じられない行為だった。ちょっと無理やりで、普通なら愛想をつかしてしまいそうな独りよがりなそれ。
でも初めてが彼でよかったと思う気持ちは、どうしようもなく確かで。自分でも信じられないくらい、彼のことが好きだということを再認識させられてしまった。
どうせなら、初めてのキスも彼とがいいと望んでしまうほどに。
口淫だけだった時も、今回も、キスはしてくれなかったから、よりそう思ってしまうのかもしれない。耳や首筋には這わせてくるのに、唇だけは避けられて。そのせいで物足りなさを感じてしまっていた。
恥も外聞もかなぐり捨てて、ねだってみればよかったのかな。そんなことをしてしまったら、隠したい想いが溢れ出してしまいそうで、怖いけれど。
「かわい」
いつもより低い声が鼓膜を震わせる。首筋に感じる熱に、なんだか泣きたくなった。
次の日、夕方まで街中をぶらぶらして暇を潰したあと、名残惜しくも彼を見送った。
駅の壁に背を押し当てて、ズルズルと座り込む。
いまだ消えることのない熱と、首筋に残る赤い鬱血痕。一線を超えてしまってからばいばいするまで、泣きたいような気持ちを隠すので必死だった。
目を閉じれば、別れたばかりの彼の姿が脳裏に浮かんでしまって、ため息をつく。
真っ黒なのにキラキラしてる、子どもみたいな丸っこい瞳。
少しかすれ気味の柔らかく落ち着いた声。
わたしをからかって悪戯っぽく笑う顔。
ゆるゆると頭を撫でてくれる手つきも、話す時にしっかり目を合わせてくれるところも、隣を歩いているとよくぶつかり合ってしまうことも。ぜんぶ、ぜんぶが。
どうしてわたしは、こうなんだろう。
彼を好きでいることは苦しみをうむばかりだと頭では理解しているのに。自分だけを好いてもらえることも、ましてや付き合う可能性も、ほとんどないと重々承知しているのに。それでもどうしたって彼への気持ちは強まるばかりで、一向に消えてくれない。
歩いている時でさえセクハラしてくる手を掴んで、指を絡めてみたかった。ぶつかった時に一瞬掠めて離れていく彼の手に、寂しさを覚えて――。
苦しいのに、辛いのに、泣きたいのに、一緒にいる瞬間はたしかに楽しくて。肌を重ねるたび、火傷しそうなほど熱い吐息を首筋で感じるたび、幾度だってそれは蘇って燻り続ける。
「恋、ではない」
ぽつりくちから溢れ出た言葉。
恋と呼ぶにはあまりに醜くて、愛と呼ぶには身勝手すぎる。そんな名前のない欲望に取り憑かれ続けていた。
そもそも、彼みたいな男とは間違っても付き合いたくない。たとえ、逃れられようもないくらいに好きだと感じていてもだ。
食の好みは合わないし、趣味も考え方もてんでばらばら。誠実さのない彼と付き合ったら苦労することは目に見えていて、そんな関係になりたいなんてちっとも思わなかった。
ただただ、どうしようもなく焦がれてしまうだけ。
炎の明るさにつられて身を焦がす、夏の虫みたいに。
お互に利用しあってるだけだって、分かってる。都合のいい存在だって。
それでも、強く拒否して嫌われてしまうのが怖かった。二度と会えなくなるのが嫌だった。それくらいなら、都合のいい女のままでいいとさえ思った。
だけど本格的にセフレみたいになってしまえば、今以上の苦しみで押し潰されてしまうに決まっている。こういうことはこれっきりにするべきであることも分かっていた。
首筋に残る印に手を当てて、強く唇を噛む。
誘われてしまえば再びきっと断ることは出来ないのだろうという予感を抱きながら、気づかなかったふりをして。
次は、次こそは、ただの友達みたいに、情欲に身を任せることなく遊びに行きたいなと思った。
――
―――
一線を超えてしまった日。
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