白い息吐く、いつもの道で

 風が吹けば飛ぶような、軽い雪が振り積もった朝が好き。

 ひとつひとつが光を反射し煌めく雪の結晶。木の枝を真っ白に染める粉雪が、太陽に溶かされて、はらはらと軽やかに舞い落ちる。

 澄んだ冷たい風が頬を撫で、照りつける日差しのあたたかさを肌で感じる。そんな冬の晴れ渡った朝が好きだった。

 周囲の景色を見ていま感じたことを、なんとなく話題に出してみる。

 隣を歩く男は、いまいちピンときていない顔で首を傾げた。

「や、わからんけど」

「もう、トワくんは情緒がないなぁ」

 もこもこの上着を身にまとったトワはマフラーを口元まで引き上げて、肩をすくめる。彼には理解し難かったらしい。

 モモはふくれっ面をしてみせる。共感を得られると思って話したわけではないが、想像以上にそっけない反応だったからだ。自分の好きなものを否定されたみたいで、わずかに胸がちくりとした。

 横目でモモを見たトワが、ふはっと白い息を漏らす。

「おもしろいカオ」

「そんな顔してない」

「してるしてる。眼鏡も曇ってるし」

 冬にマスクをしたまま眼鏡をかければ、レンズが曇ってしまうのも無理はない。仕方のないことなのだが、面と向かって笑われれば少しだけ恥ずかしさを覚えてしまう。

 ヤケクソになったモモは眼鏡を外し、手に持ったまま歩き続ける。どうせ白くぼやけた視界なら、かけていようがいまいが関係がなかった。

 それを見て、トワはまたくすくすと笑った。

 こうして他愛もないはなしをしながら、二人でバス停から事務所まで歩くのも日常になってきた。

 さくり、さくり、と昨日積もった雪を踏みしめて歩く。スノーブーツは重いが足が冷えにくくて良い。足の冷えが雪山ではかなり堪えるということも、ここに来てモモが初めて知ったことの一つだった。

「ふー……さむ」

「寒いの苦手なのに、よく北に来たよね」

「スノボはしたいし。……てか、それダジャレ?」

 最後の余計な一言は聞かなかったことにして、確かにと頷いた。はじめたばかりではあるが、スノボの楽しさはモモにも分かる。

 前々からやってみたかったスノボを、いざはじめる後押しになったのがトワの存在だった。初心者が一人ではじめるのはハードルが高いと諦めていたが、教えてくれる人がいるなら挑戦するハードルも下がるというもの。

 最初はリフトから降りるのでさえ転んでばかりだったが、慣れてしまえばなんてことはない。ただ板に足を乗せているだけで勝手に滑っていってくれる。

 斜面を滑り降りるのも、もちろん楽しい。まだまだたくさん転んでしまうが、うまくターンしてスピードに乗れた時の爽快感がたまらないのだ。

「そだ、昨日兄から連絡があってさー。向こうはやっと、毎日雪かきが必要なくらい降り始めたらしいよ」

「へぇ〜。雪山にいると感覚狂うよな」

「ね、こっちの積雪量えげつない」

 去年までのモモは積雪量なんてあまり気にしたことはなかった。雪かきは家の男たちがしてくれるし、量まで気にする必要がなかった。

 スキー場で働いている今では、毎日のように積雪量と風速を気にしている。雪がたくさん積もった日は雪かきが待っているし、風が強ければリフトが運休になる。職場に行く前に、確認してしまう癖がついていた。

「今日風強そうだけど、ゴンドラ運休する?」

「んや、ギリいけるっぽい。残念」

「休みたすぎるでしょ」

 笑いながらツッコミを入れる。

 基本的に働く気のないトワは、自分の配属場所の運休をいつも望んでいた。運休になれば仕事は休み。同僚たちが仕事をする中、悠々と滑って遊ぶことが出来る。

(まあ、わたしはべつに働くのがいやなわけではないけど)

 滑りに来た同僚が監視室に手を振ってくれるのがおもしろくて、そんなコミュニケーションが楽しかった。吹雪いている日の外仕事は凍えそうにもなるけど、室内はしっかり暖かいからそれほど苦にはならない。たまに社員やお客さんが、お菓子を差し入れしてくれるのも嬉しかった。

 考え事をしながら歩いていると、靴底が滑る感覚がして、ぐらりと体が傾く。

「うわわっ!」

「わっ、と。モモさんはおっちょこちょいなんだから、足元に気をつけて歩きなよ」

 足を滑らせたモモの腕を、すかさずトワが掴んで支えてくれた。どちらかと言えばひょろりとした体格のトワだが、ちゃんと男の人なのだと実感する力強さと安定感にモモはどきっとした。

「おっちょこちょいじゃないよ! でもありがと!」

「こちらこそ」

 わたわたと距離をとって、手に持って歩いていた眼鏡をかける。もしまた滑った時、両手が空いていた方がいいと考えたからだ。視界が白くもやがかかる。

(まだこういうの慣れないな……。お兄たちとは、やっぱり違うというか)

 歳の離れた兄にされるのとは、なにかが違った。ドキドキと心臓が高鳴るのがこわくて、きゅっと拳を握る。勘違いなんてしたくない。冬の冷たい風が火照った頬を一瞬で冷やして、思考までクリアにしてくれる気がした。

 彼のことが好きなわけじゃない。年下の男の人とこうして話すのが久しぶりで、ただまだ緊張するってだけ。ただそれだけだ、とモモは自分に言い聞かせた。

「大丈夫そ?」

「うん。トワくんのおかげで」

「感謝していいよ」

「感謝してる感謝してる」

 わざと恩着せがましくしてみせるトワに、適当な呆れ声を返す。

 トワはくろい瞳を一度見開いてから、ゆっくり細め、悪戯っぽく笑う。あまり笑わない印象だったけれど、けっこう笑うのだということは親しくなってから知った。

 そっと胸に手を当てて、一つ息を吸う。そして、モモはややぎこちない笑顔を返した。本人はいつも通り笑ったつもりで。

 目ざといトワはモモの違和感に気付き、何度かくちを開いては、閉じる。

「モモさ――」

「うん? あ、ちょっと待って。ここ滑りそう!」

 へっぴり腰になって、押し固められた雪のスロープを進もうとするモモ。

 トワはかけようとした言葉を失い、代わりにふ、と笑い声をこぼす。白い息が、言うはずだった言葉とともに大気にとけていった。


 遠慮がちなのに大胆すぎる。他人と関わるのが下手な二人の少し歪な関係は、まだ始まったばかり。



――

―――

初期の頃のトワモモ。

まだちゃんと向き合えていた頃の二人。

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