第13話

部屋に戻り、スマホを見ると、マスターから、LINEのメッセージが来ていた。 

 "ゆりちゃん、どうしてる?"

 "今、寝るところです"

 と返信すると、すぐに 

"そっか"

 と返事が来た。 

"近藤くんと少し話しました。マスターの言う通りでした"

 "それは、良い方?悪い方?"

 "一途で真面目でした"

 "ん?どっち?"

 "良い方です"

 "そっか、僕は、ゆりちゃんから聞いた事、喋ってないからね"

 "わかりますよ!マスターそんな人じゃない事"

 "付き合うの?"

 "まだ、わかりません"

 "そっか"

 "え?"

 "いや、気にしないで。また、店に顔出してよ。じゃあ、おやすみ!"

 "おやすみなさい!"

 マスターも優しい人だ、と思った。今、私の周りには、優しい人が、たくさんいる。病気を知っても、普通に接してくれる人達。

 着替えるとそのまま眠りについた。

 めざましが鳴った。私は、熟睡していたようだった。夜中に目を覚まさなかった。朝の支度が、終わると、スマホが鳴った。また、母からだった。 

「もしもし」 

「ゆり、一人で大丈夫?」 

「うん、平気だよ」 

「そう。何かあったらすぐ、連絡しなさいよ」 

「うん、わかった。もう、仕事行くから」 

「そう、じゃあね」 

「はい」

 と言って、切った。たいした内容じゃなかったので、ホッとした。

 仕事が終わり、帰ろうとした時、マスターから、電話が来た。 

「もしもしゆりちゃん?」 

「はい、こんばんは、どうしたんですか?」 「仕事、終わった?」 

「はい、今、帰るところです」 

「ちょっと店に来てもらえる?」 

「はい、わかりました」 

「待ってるから」 

「はい」

 電話を切った。何の用事だろう?と少し不思議に思った。

 エルフに着くと、看板が出ていなかった。 ドアを開けると、薄暗い店内に、マスターが一人、カウンターに座っていた。今日は、メガネをしていなかった。 

「ごめんね、呼び出して」

 少し、疲れているように見えた。 

「いえ、今日は、お休みですか?」 

「うん」

 と言って立ち上がり、私に、近付いてきた。 

「不定休って、言ってましたね」 

「うん」

 と言いながら、私を抱き締めた。急な事で、私は、されるがままだった。マスターは、泣いているようだった。 

「どうしたんですか?」

 私は、抱き締められたまま聞いた。 

「元嫁が、自殺したんだって」 

「え?」 

「ゆりちゃんは、そんな事しないでほしい」   と言って、震えながら私の顔を両手で包み、キスをした。 

「マスター…」 

「ごめん、少し、このままでいてほしい」   マスターは、私を抱き締めたまま言った。 暫くすると、 

「ごめん、ゆりちゃん。今のは、忘れて」

 と言って、私から離れた。 

「明日も店、休むから」

 と言って、カウンターに座った。

 私は、不思議と動揺しなかった。それが、当たり前のような事に思えた。 

「大丈夫ですか?」 

「うん、ごめん」

 暫く私は、立っていた。 

「無理矢理、別れたんだ、僕のせいで。嫁もうつになって、僕は耐えられなかったんだ」 

 マスターは、一人言のように、喋っていた。 「入院してた病院で、死んだって、連絡が来た」

 私は、黙って聞いていた。 

「ゆりちゃんは?旦那さんは、側に居てくれたの?」 

「はい、私から、離婚したいって、言いました」 

「そっか…強かったんだね、二人共」 

「そんな事ないです」 

「ゆりちゃんは、最後まで愛されてたんだよ、きっと」 

「はい」 

「ゆりちゃんと嫁が、重なって見えたけど、やっぱり違うな…」

 マスターは、かなり憔悴していた。 

「僕は、ハルよりも、ゆりちゃんを必要としてるかもしれない」 

「え?」 

「ゆりちゃんに、側にいてほしい」 

「どうして?どうしてそんな事言うんですか?」 

「ハルに、渡したくない」 

「ごめんなさい、私…」

 その続きは言えなかった。マスターが、消えてしまうんじゃないかと思った。 

「マスター…ごめんなさい…」

 マスターは、私の言葉を遮るように、 

「そうだよね、僕は嫁を突き放した、同じ思いしたくないよね」

 と言った。 

「まだ、愛してたんじゃないですか?」私は、言った。 

「どうだろう?わからない。僕と居たら、もっと、苦しんだんじゃないかな?だから、消えたんだ」 

「会ってたんですか?」 

「たまに、見舞いに行ってた」 

「そうですか…」 

「曖昧にしていたかったんだろうな。でももう、何もしてやれない」

 マスターは、静かに泣いていた。 

「マスターは、一人じゃないですよ!頼りないかもしれないけど、私や近藤くんとか、ともみちゃんもいるし、お店もちゃんとやってるじゃないですか」 

「ありがとう、ゆりちゃん…」 

「前を向きましょう!私だって、頑張ってるんですから」

 マスターの涙が止まるまで、側に居ようと思った。 

「近藤くん、呼びますか?」

 私は、言った。 

「いや、ハルには、見られたくない。ごめん」 

「私、彼にもう会わないように、この街に来たんです」 

「そうだったんだ」 

「今朝、母親から電話が来ました、一人で大丈夫かって」 

「そっか…頑張ってるんだね」 

「はい」

 その時、私のスマホのLINEの受信音が鳴った。私は、聞こえないフリをしていた。 

「見なくていいの?ハルからじゃない?」

 マスターは、笑って言った。 

「マスター、やっと笑った」 

「僕、ハル推しといて、酷い事してるな」 

「忘れました」 

「ありがとう、もう大丈夫、カフェオレ入れようか?」 

「はい、いただきます」

 マスターは、メガネをかけ、カウンターの中に入っていった。私は、カウンターに座り、その様子を見ていたさっき、抱き締められた事を思い出し、少しドキドキしていた。 

「マスター?」 

「うん?」 

「私って、隙だらけですね」 

「そうだね」

 マスターは、小さく笑った。

 スマホを見ると、受信していたのは、ニュースだった。 

「LINE、ニュースでした」 

「ハルからじゃなかったの?」 

「はい」

 私も、笑った。 

「はい、どうぞ」

 マスターが、カフェオレを渡してくれた。 「ありがとうございます」 

「ゆりちゃん、ありがとう」

 また、マスターは言った。 

「いいえ」

 私は、カフェオレを飲んだ。暫く、店内は静かだった。カフェオレを飲み終わって、時計を見ると9時だった。 

「マスター、そろそろ帰りましょう」

 と、私が言った。 

「送るよ」 マスターが言った。 

「でも、いいんですか?」 

「送ってから、お通夜行くよ」と言った。

 お店の裏に、マスターの車があった。

 私を助手席に乗せると、 

「家、どの辺?」と聞かれた。

 私が住所を言うと、分かったようだった。

 運転中は、ずっと無言だった。 

「あ、そこです」

 と私が言うと、止めてくれた。 

「ありがとうございました」 

「うん、こちらこそありがとう」

 と言って、マスターは、行ってしまった。 

 部屋に入ると、私が、同じ立場だったら、どうだっただろうと考えていた。彼が死んでしまった事を受け入れられるだろうか?私は、泣いた。本当は、マスターといる時も泣きそうだった。近藤くんの顔が浮かんだ。

 今日の事は、言えないなと思った。胸の中に閉まっておこうと思った。着替えて眠りについた。LINEの通知をOFFにしようと見た時、ニュースに混ざって、近藤くんからもメッセージが来ていた。 

"ゆりさん、何してますか?" そして、30分後に、壁からチラッと覗く犬のスタンプも来ていた。私は、 

"布団に潜ってます" と送った。

 暫くすると、

 "もう、寝るんですね、おやすみなさい" と返信が来た。そして、私は、電話番号を送った。 

"教えてなかったから。おやすみなさい"

 と送った。 

"ありがとうございます!"

 今日は、なかなか眠りにつけなかった。マスターに、抱き締められた事を思い出していた。きっと、誰でも良かったんじゃないだろうか?と思っていた。もう、午前2時だった。眠るのは、諦めて、ホットミルクを飲んでいた。私は、また、拾われた猫のような気分だった。

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