第6話

入院して、1ヶ月。

 彼は、毎日病室に顔を出してくれていた。

 過呼吸のような症状は、ほぼ治まってきていた。

 睡眠導入剤は飲んでいたが、一人で、眠りにつく事も慣れてきた。

 一通り、知らせた友人もお見舞いに来てくれた。

 再検査で、薬も効いて、胃潰瘍も治っていた。

 彼にメールで報告すると、

"良かった。退院ももうすぐかな?"

 と返事が届いた。

 今日、医師から聞いた事は、それだけじゃなかった。まだ、入院治療は、続けるという事も言われた。体重が、ちっとも増えなかった。依然として、食事がとれないでいたからだ。どうしたら食欲が出るのか、分からなかった。

 医師に、外泊したい事を伝えると、許可してくれたので、

"週末、家に帰りたい"

 と彼にメールした。

"良くなってきたからだね!迎えに行くよ!"

 と返事が届いた。

 バスが来ない、もう間に合わない。今日も遅刻か…

 私は、諦め気味に心の中で、呟いた。いつもこうだ。定時に来る事が少ないバスを待っていた。

 今日の1時間目は、単位がヤバい授業だった。焦っていた。

 やっとバスが来た。乗ると学校の停留所に止まらないバスだった。

 すぐ降りて、私は、走った。タクシーしかない。

 でも、タクシーもなかなか見付からない。

 もう、ダメだ。と思った時、目が覚めた。

 また夢か。よく見る、高校に遅刻する夢だ。卒業後もう何年経っているだろう?

 実際の高校時代も、よく遅刻して、怒られていた。山の上の住宅街から離れたところにある高校だった。

 彼が買ってきてくれた時計を見ると、午前2時20分だった。

 明日は、家に帰れると思うと、少しテンションが上がっていた。

 彼に、たくさん甘えようと思っていた。

 携帯を見ると、メールが届いていた。

"ゆり、早く逢いたいよ"

 と彼からの短いメールだった。

"私も逢いたくて、興奮して、目が覚めちゃった"

 と送った。

 すると、すぐ返信が来た。

"大丈夫?眠れないのかな?俺も寝れない"

"ねえ、あのラーメン屋さん行こうよ!"

"初めて二人で行ったとこ?"

"うん"

"そうだな、久しぶりにデートしようか"

"うん、どこか連れてって!"

"分かった、任しといて!"

"楽しみにしてる"

"じゃあ、少し寝よう"

"うん、おやすみ"

"おやすみ"

 私は、いつもと違う嬉しさに、浸っていた。前みたいに、普通の人のように、楽しめる事を期待して、目を閉じた。

 私は、朝の恒例の検温と血圧測定の前に、着替えていた。

 早く彼に、逢いたかった。

 朝食が終わると、彼が迎えに来てくれた。私達は、手を繋いで、病院をあとにした。

 家に着いてまず、久しぶりに化粧をした。

 彼は、コーヒーを飲みニコニコしながら、私を見ていた。

 私には、ホットミルクを入れてくれた。

「ゆりは、やっぱり可愛い」

 彼が言ってくれた。

 エヘヘと笑い私は、恥ずかしくなった。

 私達の卒業した専門学校は、建物は残っていたが、去年閉校していた。

 1年間くらいだけれど、二人が出逢えた、思い出の詰まった場所だった。

 ラーメン屋さんは、相変わらず行列を作っていた。

 手を繋いで行列に混ざっていた。

 私達は、カウンター席に着くと、塩ラーメンを2つ頼んだ。

 暫くすると、私は、急に過呼吸に襲われ、顔が青ざめて行くのが分かった。

「具合悪い…」

 私は、彼に言い、店員さんに、

「さっきの塩ラーメン、1つキャンセルしてください」

 と言った。

「ごめんね、車で待ってる」

 私は、彼に、車の鍵を貰い、店を出た。苦しくて、匂いが気持ち悪かった。

 車の助手席で、リクライニングを倒し、苦しいのが治まるように、目を閉じた。

 すると、すぐ彼がやって来て、

「大丈夫か?」

 と言った。

 彼もキャンセルして、お店を出てきたらしい。

「食べてきてよかったのに」

 私は、荒い息遣いで言った。

「ほっとけないよ」

 彼は、運転席に乗った。

「家に帰ろうか…」

 私は、頷いた。

 家に帰ると、彼が温かいうどんを作ってくれた。

 今日は、部屋は、散らかっていなかった。

 私が帰ってくるから、キレイにしてくれたんだろうなと思った。

「急に人の多いとこ行ったからだよ、きっと」

 と彼は、言った。私は、泣きそうだった。

うどんが、美味しかった。

 きっと、彼といるから、食べられたんだと思った。

「きっと、どんな薬より、二人で一緒にいる事の方が、効果あるみたいだよ」

 私は、言った。

「先生に言って、退院させてもらおうか?」

「伝えられなかったんだけど…先生には、まだ退院は、無理だって、言われてる。全然体重が、増えないから」

 私は、言った。

「そうか…」

 彼は、手を止めて、青ざめたままの私の顔を見ながら言った。

 食べ終わって、食器を片付けると彼は、私をお姫様抱っこして、寝室に連れていった。

 二人でベッドに潜り込んだ。

 そして、抱き締めあい、キスをした。

「ゆりに逢いたくて、抱き締めていたくて、離したくない。俺はまだ、ゆりに恋してる」

「こんなにおかしくなっちゃってても?」

「おかしくないよ、ちょっと心が、疲れてるだけだよ」

 彼は、私が、話そうとすると、キスをして遮った。そして、そのまま眠ってしまった。

 彼の方が、よっぽど疲れてると思った。毎日仕事をして、帰りには、必ず私のところに来てくれて、私は、負担になっている。そう思った。

 私は、彼の頭を撫でながら、もう、ダメかな?と思っていた。

 彼が目を覚ましたのは、夕方の5時ちょっと前だった。

「ごめん、俺、寝ちゃってた」

「ううん、久しぶりに顔をよく見れた、可愛かった」

 私は、笑った。

「そうだゆり。一緒にお風呂入ろう」

 と、ズルい顔で、言った。

 そして、私の服を脱がしていった。

「気が早い!」

 私は、言った。

 でも、想像していた通り、彼は、私を愛撫し、やさしく私の中に入ってきた。

「先生には、避妊してくださいって言われてる」

 彼は、私の耳元で囁いた。

 それは私も言われていた。

 私がいってしまうと、彼は、甘いキスを続けた。

 流産してから、初めてだった。

 私達は、ベッドの中で裸のまま抱き合っていた。

 二人でお風呂に入るのは、久しぶりだった。

 小さなバスタブに、二人で入った。

 そして彼は、私の髪の毛を洗ってくれた。

「病院のお風呂、入れない」

「どうして?」

「広いんだもん」

「それだけ?」

 私は、頷いた。

「水が怖いんだ。海とかプールとか?」

「それは、知らなかったな。うちは狭くて良かった」

 彼は、笑った。

 お風呂上がりに、お互いの髪の毛を乾かしあった。

「髪、伸びたね」

 私は、彼の髪を乾かしがら言った。

「そういえば暫く、床屋行ってないな」

 彼は、前髪を触りながら言った。

「まぁ、カッコいいけど」

 私は、いたずらっぽく言った。

「当たり前じゃん」

 彼は、笑った。

 夕食は、彼がパスタを作ってくれた。と言っても、レトルトの物だったけれど、嬉しかった。

「結局どこも行けなかったな」

 彼は、お皿を片付けながら言った。

「ごめんね」

 と私は、言った。

 ソファーに座ると、

「映画でも、観ようか?」

 彼は、立ち上がりながら言った。

「うん」

 私は、あまり気が進まなかったけれど、頷いた。

 フランスの恋愛映画をDVDで観ていた。

 雰囲気を出そうと、部屋の照明を消して、ポップコーンも作って、観ていた。

 ソファに二人並んで、観ていた。

「フランス語って、難しいよね」

 私は、虚ろな感じで画面を観ながら言った。

「英語の方が、ちょっと分かるからね」

 彼が言ったが、私は、うとうとしていた。

 それに気付いた彼は、膝枕をしてくれた。

 そして、ずっと頭を撫でてくれていた。

 いつの間にか、ベッドで寝ていた。

 目を覚ますと、彼が頬を撫でていた。

「ゆりって、睫毛長いんだな」

 彼は、言った。

「もしかして、観察してた?」

「うん」

「恥ずかしい」

 私は、寝返りをうって、彼に背中を向けた。

 その夜は、観ていた映画の続きのような夢を見ていた。

 結末まで行かずに、目が覚めた。

 次の日は、特に行く場所も決めずドライブに行く事にした。

 二人でサンドイッチを作って。

 いつも遅刻していた、私の高校に行ってみた。

 私が通っていた頃は、殆ど家が無かったのに、今は周りも立派な住宅街になっていた。

「ゆりの制服姿、見たかったな」

 彼が言った。

 彼の通っていた高校にも行ってみた。海の近くの高校だった。

 私達は、海の駐車場で、二人で作ったサンドイッチを食べた。

「ゆり、急に朝、サンドイッチ買ってきた事あったよね」

 と彼が言った。

「うん。家出未遂事件ね」

 と、私は、言った。

「はぁ?」

「家に居るのが辛くて、家出しようとしてたんだ」

「それでか」

 彼が言った。

「コンビニ行くのに、リュック背負ってたもんな、そっか」

 彼は、納得したようで、何度も首を縦に振っていた。

 入院して、2ヶ月経っていた。

 退院後に慣れるために、隔週で、週末に外泊するようになった。

 ある日の土曜、部屋に着いてすぐ、彼は、急に仕事が入ってしまって、朝から、一人で留守番する事になってしまった。

「2~3時間で帰れると思うから、いい子にしてるんだよ」

 彼は、私の頭を撫でながら、言った。

 私は、頷き、彼を送り出すと、ソファーに座った。

 始めは、TVをボーッと観ていた。

 いつの間にか、ソファーで寝てしまっていた。時計を見ると、彼が出掛けてから、3時間経っていた。

 もうすぐかな?と思いながら、TVを消し、ソファーに座っていた。

 すると、携帯が鳴った。彼からの着信だった。

「もしもし」

「ゆり、ごめん、もう少しかかりそうなんだ、一人で、大丈夫?」

「うん、分かった」

「何してた?」

「ソファーで、寝てた」

「そっか。いい子にしてるんだよ」

 彼は、言って、電話を切った。

 私は、急に不安になった。

 彼が帰って来ない。もう少しって、どれくらいだろう?ドキドキが、始まってしまった。置き去りにされたような気持ちになった。

 そうだ、薬を飲もう!そうすれば、治まるんだ!

 そして、預けられた薬を飲んだ。

 ドキドキは、全く治まらない。

 床に転がってもがいていた。

 気付くと、病院のベッドで寝ていた。

 私は、訳がわからなくなって、動揺した。

 彼も居ない。

 ドキドキがまた始まった。

 ナースコールを押すと、医師と看護師さんと彼がやって来た。

 医師は、備え付けの椅子に座ると、私が、預けられた薬を全て飲んでしまっていた事を説明された。

 そして、今日はもう、月曜日だという事も知らされた。

 医師は、私が、自殺しようとしていたと、思ったらしい。そのような事を遠回しに言われた。

「私は、早く退院したいんです!」

 必死に訴えたが、聞いてもらえなかった。 

 医師と看護師さんがいなくなって、彼が、私の頬を撫でた。

「ゆり、ごめんな、一人にして」

 私は、布団に潜って泣いた。

 入院して、3ヶ月。

 隔週の外泊が、無くなった。

 初めて、外泊した時のような事もあったが、許可してもらえなくなった。

 私は、落ち込んでいた。食事量も落ちていった。

 彼は、相変わらず、毎日仕事帰りに寄ってくれていた。

「私、もう退院できないのかな?」

 暫く、沈黙があった。

「俺にだけは、本当の事言って」

 と彼は静かに言った。

「本当の事って?」

「俺が一人にしたから?」

「何?」

「俺の前から、消えようと思った?」

「違うよ!早く退院したいよ!」

 私は、大きな声で言った。

「ゆり、落ち着いて」

 彼の言葉遣いに、私は、落ち込んだ。

 彼も私が、自殺しようとしていたと、思ってる。

 愕然とした。

 私は、ベッドに潜り泣いた。

 彼は、何度か私の名前を呼んだが、潜ったまま、泣き続けた。

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