SOULbeat

須藤美保

第1話

札幌市営地下鉄琴似駅5番出口、17時半の待ち合わせ。

 有栖は、駅の構内を5番出口へ向かうと、背負った小ぶりなリュックから取り出したスマホの時計を見た。17時27分だった。LINEのメッセージの受信があり、つかさは、5分程遅れそうとの事だった。

 地下鉄の通路から、5番出口へ向かう階段の入り口で、左手に持ったスマホからLINEで『今着いた』とつかさに送り、5番出口から、地上へ上がって行く人達を、”この中に、今日のLiveへ行く人は居るのかな?”と思いながら、その場で立ったまま、つかさの到着を待っていた。

 北国では、まだ夕方から夜になると特に肌寒い春の始まり。やっと桜が開花した4月の終わりの金曜日、ペニーレーン24で、インディーズの対バン形式のLiveに、短大時代からの友達、つかさに誘われて、これから連れていかれる。

 音楽が好きで、よく色々な、アーティストのLiveへ足を運ぶ有栖だったが、インディーズバンドのLive参戦は、初めてだった。

 結局つかさは、17時40分頃に、待ち合わせ場所に「ごめんごめん」と言いながら現れた。

 地下鉄の5番出口から、少し歩き、ペニーレーン24に着くと、始めに上着をロッカーにしまい、身軽になって、リュックを背負い、地下のLive会場へ降りて行った。有栖は、Liveに参戦する時は、いつもこのリュックと厚底靴を履く。いつもより視界が開けている気がする。つかさは、サコッシュのようなバッグをたすき掛けにして準備万端だった。

 ワンドリンク制なので、つかさとビールを頼んで、「お疲れさま」と乾杯した。

 会場は、想像よりも、人が入っている。

 つかさの高校時代の友達がボーカルのバンドは、SOULbeatという名前で、出演は、4バンドある中のラストだった。

 ビールを飲み終え、初めは、色々なタイプのインディーズバンドを遠目で観ながら、みんな、そこそこ上手いなぁと素人ながら思っていた。Liveの音響に耳は、ジンジンしていた。

 「ほら、次!」とつかさに強く右手を引かれ、SOULbeatのステージが、始まるのに気付いた。

 つかさは、人を避けながら、ステージから、一番前の少し左側を陣取った。あちこち文句を言われていたが、お構い無しだ。

 SOULbeatのメンバーが、ステージに登場した。

 ボーカルくん(まだ名前を知らない)が、最初の曲名を言って、一気に会場が盛り上がった。

 今までのバンドは、なんだったんだろうというくらい、盛り上がっている。耳がキーンとした。驚いた。

 有栖は、予備知識が、何も無かったので、つかさに聞いておけばよかったと少し後悔していた。でも、好き系のロックの曲調だった。

 つかさは、曲を口ずさみながら、右手を上げている。有栖も同じく右手を上げて、つかさに続いた。

 1曲目が終わり、ボーカルくんがMCを始めた。

「こんばんは!SOULbeatです!メンバー紹介します」とメンバー紹介を始めた。

「ギター、こんどうしょうごー!彼女募集中!」会場のあちこちから、「しょうごー」と女性の声があがった。

「ベース、ながつかりょう!」今度は、「りょー」と野太い男性の声がして、会場に笑いがおこった。

「ドラム、こばやしたかしー!」また「たーかーしー」と声が聞こえる。

 すると、ドラムのたかしが、

「ボーカルー、我らのあらいげーん!」と言った。

 つかさが、「げーんー!」と叫んでいた。

 つかさは、このボーカルのげんが、好きなのかもしれないと思った。

 次の曲は、バラードだった。

 げんは、とても通るキレイなハイトーンボイスだった。

 今まで、ボーカルのげんばかりを観ていたが、その視界にベースのりょうが入ってきた。りょうは、黒の半袖パーカーのフードをかぶったまま、演奏している。coldrainのR×Y×Oみたいだと思った。

 りょうを見た有栖は、少し時が止まって、ドキッとした。心臓の鼓動が、速くなった気がした。りょうもフード越しに、有栖を見ていたと感じた。目が合ったから。気付いた彼は、少し微笑んだ。

 初めて会っているはずなのに、何故か懐かしい思いがして、鼻がツーンとして、泣きそうだった。そんな思いに気付かずつかさは、相変わらず曲を口ずさみながら、曲に合わせて揺れている。

 きっと有栖は、りょうに恋をした。そう思った。左目から一粒、涙がこぼれた。

 ボーカルのげんより、背が高く少し猫背で足が細い。さっき目が合った目元はよく見えないが、口元は、口角が上がった感じで、まるで大型犬を思い出させるような優しそうな顔つきだった。

 スポットライトに照らされた彼の、影になった鼻から口元、喉仏にかけての横顔が、とても綺麗だった。りょうの周りはモノクロで、ステージには、りょうしか色付いていないように見えた。自分の心臓の音が、うるさい。ドキドキしていた。こんな気持ちになったことは、今まであっただろうか?ただ目が合ったというだけなのに。こぼれた涙を左手で拭い、それからは、ベースを中心に曲を聴いていた。

 4曲が、あっという間に終わった。

 ステージ上のSOULbeatのメンバーは、もういなかった。

 有栖は、半ば放心状態で、このりょうへの思いをどうしたらいいか、考えあぐねていると、高揚した顔で、つかさが、

「有栖も、打ち上げ行こうね!」と言った。

 代わりに有栖は、

「SOULbeatの事、教えて」と言った。「うん、いいよ」とつかさは、頷いた。

 ペニーレーン24を出て、少し歩いて、打ち上げ会場の居酒屋に到着したが、まだバンドのメンバーは、来ていなかった。

 案内された小上がりの予約席には、関係者らしき人が二人いて、有栖とつかさは、壁側に二人で座ると、つかさが、ちょっと待ってねという仕草で、スマホを出し、SOULbeatのホームページを見せてくれた。

 そこには、メンバーそれぞれの名前や生年月日、出身地が出ていて、結成の経緯やCDを1枚出してる事が出ている。バンドメンバーが多少入れ代わっているが、りょうが、一番最近に加入して、今のメンバーで4年活動しているようだった。

 みんな、有栖やつかさと同じ年齢で、りょうの漢字は、永塚亮で、出身は帯広と出ていた。誕生日が4月20日だった。ついこの間25歳になったばかりだ。

 他のメンバーは札幌出身だった。リーダーは、ドラムの小林孝だった。

「つかさって、荒井元くんが好きなの?」つかさの耳元に、小さな声で問いかけると、

「えー!わかっちゃった?」とつかさは、笑った。

 つかさは、有栖より、10cmくらい小柄で、男女両方に好かれる珍しい女子だった。

 顔が丸く童顔。未だ学生に間違われるらしい。短大時代、友達が出来ず有栖が一人で学食で食事をしている時に声をかけてくれたのがきっかけで、仲良くなった。

 その時の事を聞くと、『だって有栖、この世の全てが敵、みたいな顔してたよ』と言われる。

 なぜそんな有栖に、声をかけたのか、そして、友だちになってくれたのか、不思議としか言いようがなかった。でも今は、気を遣わず接してくれる、大切な親友だ。

 「お疲れ~!」とつかさが手を上げて、お店の入り口の方に言うと、ギターを背負った近藤尚吾を先頭に、SOULbeatのメンバー4人が入ってきた。亮も相変わらずフードを被ったまま革ジャンを着てベースを背負っていた。そして、一番最後に入ってきて、有栖の斜め向かいに座った。フードを脱ぐと、髪型は、短いツーブロックで、爽やか青年という感じだった。元は、つかさの前に座っていた。

 打ち上げ出席者が揃い、飲み物も揃ったので、リーダーの孝の合図で、みんなで、乾杯になった。

「今日は皆さん、集まってくれて、ありがとうございます!今日も熱いステージになりました!皆さんのおかげです!乾杯!」

 みんなで乾杯したあとは、今日の反省会のような会話になっていて、途中亮が席を立った。

 今しかない!と思った有栖は、つかさに「トイレ」と言って立ち上がり、急いでお店の備え付けのサンダルをはくと、亮がトイレに行くのが見えたので、トイレの入り口の近くに寄りかかって、亮が出てくるのを待っていた。

 しばらくして出てきた亮は、有栖に気付くと、「そのオヤジサンダル、世界一似合うね」と笑った。

「えー?」不意討ちでそんな事言われて、きっと顔が真っ赤だと思った。

「トイレ?」と亮に聞かれ、

「違うの…」

「何?どうした?」

 亮が首を傾げて言うと、有栖は、一度深呼吸をして、

「私、亮が好きみたいなの」

 と、自分でもびっくりしたが、言ってしまった。今しかないと思ったこの気持ちは、今言ってしまわないと後悔すると、思ったから。

 急な告白に亮は、驚きもせず、

「俺もそんな気がしてた」と言いながら、当たり前のように、有栖の右手首を掴むと、小上がりの席に戻り隣に座らせた。

「何飲んでたの?」亮に聞かれて有栖は、「クーニャン」と答えると亮は、お店の人に、「クーニャン2つ」と注文した。

「2曲目、目、合ったよね」亮が話始め、有栖は、

「うん。泣きそうになった。ううん、泣いた。亮だけしか見えなくなった」

「そんなことある?」亮が笑って有栖を見ると、

「あった」有栖が、うつむきながら呟くと、

「ごめん」と亮が言い、有栖の顔を覗きこんだ。

「泣いちゃったかと思った」と亮が有栖の頭を撫でた。

 向かいで見ていたのか、尚吾が、

「亮、女の子泣かせてるー」と言った。

「泣いてないよ」有栖と亮が同時に言ったので、尚吾が笑った。

「名前、教えて?」亮が聞き、

「有栖。早川有栖。有限会社の有に木へんに西」と答えると、

「アリスかぁ。可愛いね。元の友達?」

「元の友達なのかな?その友達」

「あのコ、よく来てる、つかさちゃんだよね。いつも真ん前」

「そうなんだ」

「元、目当てでしょ?」

「そうみたい」

「有栖は、Live来てくれたの初めてだよね」

「うん、インディーズバンドのLive初めて」

「そっか」

 そこに、店員がクーニャンを2つ持ってきた。

 二人で、クーニャンで乾杯すると、亮が、

「有栖は、どこに住んでるの?」

 と聞いてきたので、

「琴似、JRの駅の方」

 有栖が答えると、

「俺も。引っ越してきて、3ヶ月」

 と亮が、言った。

 なんと家が近所で、二人ともJR琴似駅近くだった。

「明日は?仕事?」亮がクーニャンを飲みながら言った。

「うん。仕事」

「何してる人?」

「旅行代理店?亮は?」

「CDショップの社員。明日も朝から仕事」

「そうなんだ。職場は、どこ?」

「札駅」

「私、桑園。JRで通ってる」

「俺も。もう、一緒に帰る?」

 亮は、右手にしたゴツい腕時計を見ながら、「送るよ」と言った。

 有栖は、亮の腕時計を覗いて、時間を確かめたが、まだ22時半を少し過ぎたくらいだった。

「帰ってもいいの?」

「他の奴ら、明日休みだから、最後までは、付き合ってられないよ」

「うん。じゃあ帰る」

 有栖は、元と話し込んでいるつかさのところに行って、リュックと上着を取るとつかさに、

「先に帰ってもいい?」と聞いた。するとつかさが、

「えー、もう帰るの?ま、いっか。また連絡するね!」と言って、手を振ったので、

「うん。またね」と、有栖も手を振った。

 亮のところへ行くと、「俺、帰るから」と皆に言っているところだった。皆あっさり手を振って、バイバイ等と言っていたので、亮の隣で有栖も手を振った。

 居酒屋を出ると、風が冷たかった。

 亮が車道側に立って、さりげなく有栖の手をつかんだ。そして、手をつないで歩き出した。言葉を交わす事はなかったけれど、それが、自然な事のように思えた。

「コーヒーでも飲んでいかない?」

 亮が、帰り道の途中にあったカフェを指して有栖に言うと、有栖が頷き、静かなカフェに入っていった。

 空いている席に座ると、コーヒー2つと、亮が注文した。

「有栖は、彼氏いたりする?」

 亮が突然聞いてきた。とても不安げな顔をしている。

「いないよ。いたら、亮にあんな風に言ったりしない」

 有栖は、ちょっとキレ気味に言った。

「ごめん。俺何て言うの、疎いっていうか…ホントごめん」

「亮、モテそうなのに」

「いやぁ、全然だよ。元は、人気あるけど」

「あー、イケメンだよね。亮だって、かなりイケメンだと思うけど」

 有栖の言った事は、聞き流したように、

「もうかれこれ、4年は、女の子に触れてない」

 と亮が言った。つぶやきのようだった。

「私が、4年ぶり?」

 有栖は、笑って亮に言ったが、亮は、黙っていた。”触れてない”というのが気になったけれど、聞き流したフリをした。

 コーヒーが、届くと、二人ともブラックで飲んでいた。

「なんで、俺?」

 また亮が、急に聞いてきた。有栖は、少しコーヒーを飲んで、

「なんで、声かけたって事?わからないけど、今日、今、この人にこの気持ち伝えないといけないって、感じたの。上手く言葉で説明出来ない。亮と目が合った時、なんだか懐かしいような感覚があって、多分初めて会ったのに。あ、わかった。これがいわゆるビビビってやつなのかな?」

 亮が、有栖の目を見ていた。亮の目は、綺麗な二重だった。

「俺、ステージで、有栖に見つけられたのかな?」

「うん。そう。私、見つけたって思ったよ」

「そっか」

 しばらく、お互い言葉がなかった。

「LINE交換しよ。電話番号も教えて」

 亮が、スマホを取り出して、振った。

 有栖達は、LINEを交換して、有栖から亮に電話して、お互いの電話番号を登録した。

「あ、亮って、20日誕生日だったんだね、おめでとう」

「なんで、知ってるの?」

「つかさが、ホームページ見せてくれた」

「そっか、有栖は?何歳なの?」

「亮と同じ生まれ年だよ。10月4日生まれ」

「まだ、半年先だ」

「うん。亮は、ずっと帯広?」

「生まれてから高校まで。卒業してから札幌に来た。調理師の専門学校」

「えー!料理人?」

「そうそう、免許持ってる。有栖は、ずっと札幌?」

「生まれも育ちも札幌。札幌から出た事あんまりないよ。帯広行った事ない」

「そうなんだ」

 二人ともコーヒーを飲み終わっていた。

「もう帰ろっか?」亮が言って、「うん」と有栖は、頷いた。

 コーヒーは、亮が奢ってくれた。

 帰り道は、「寒いね」とか「明日晴れるかな」とか、よそよそしい会話になっていて、なんだか、おかしかったけれど、話したい事は、たくさんあるのに、言葉に出来ないもどかしさがあった。でも、手はしっかり繋いでいた。

「俺んち、ここ」

 亮は、JR琴似駅の近くの2階建てのアパートを指差した。

「私の家はもう少し先。中華料理屋」

「えっ、マジ?俺、よく行くよ!」

「ホントに?」

 亮は、笑いながら、

「あんかけ焼きそば好きなんだよね。麺パリパリで、旨い!」

「昔は、お店手伝ってたけど、最近は全然だから、会ったことないね、きっと」

「マジか。看板娘だったか」

「えー違うよ。お母さんが看板娘?」

「お母さんか。若いよね?」

「ハタチの時のコだから、今年45歳」

「マジか」

「うん。私の名前、お母さんがつけたらしいよ。2コ下の弟は、健斗」

「外人っぽい名前」

「そう。海外行っても大丈夫なようにだって!安易過ぎない?」

「でも、有栖は、アリスな顔してるよ」

「それ、どういう意味?」

「ん?…可愛いって事」

 少し、間があった。有栖の家に到着したからだ。

「褒めてくれてるんだ?」

「うん」

「送ってくれて、ありがとう」

「連絡する」

 亮がスマホを取り出して、振った。

「うん、待ってる」

 まだ、手を繋いでいた。

「じゃあまた」

 と言って亮が繋いでいた手を離して、手を振った。

 有栖も手を振って、玄関に入っていった。

 玄関の鍵を開けて振り返ると、亮はまだ、道路に立っていて、「早く入って」と言いながら、手を振っていた。

 有栖も手を振ると、亮は、振り返り、元来た道を帰って行った。

 有栖は、階段を上り、自分の部屋に入ると、一息ついた。

 亮が好きで、愛しくてたまらないと思っていた。一目惚れなんて、初めてかもしれない。気持ちは伝えられたけれど、亮は、どう思っただろう?一番気になった、4年も女の子に触れてないって、どういう意味だったんだろう?と考えていた。

 スマホを見ると、亮からのLINEのメッセージが浮かび上がってきた。

『明日は仕事、何時まで?』

『18時まで』

 そう送ると、メイクを落としに洗面所に行き、再び部屋に戻ると、

『俺、19時までだけど、よかったらその後、食事一緒にしない?』

 と返事が来ていた。

『了解』

 と了解したキャラクターのスタンプも送った。

『良かった!もう、寝ちゃったかと思った』

 少し間があったからだろう。

『起きてるよ!寝る準備してたところ』

『そうか。おやすみ』

『おやすみなさい』

『あ、いつでも連絡くれていいから。遠慮せず』

『うん。わかった』

 有栖は、ベッドに潜り、朝シャワーを浴びようと思った。眠気に負けてしまった。

 スマホのアラームをセットして、枕元に置くと、亮を思いながら眠りについた。





 亮は、有栖を送ってすぐ、LINEのメッセージを送った。明日も、有栖に会いたいと思っていた。

 不思議だ。ステージから、つかさの隣の有栖を見た時、このコには、どこかで会ったことがあるような気がすると感じた。

 実際に会ったことはないだろう。けれど、そう感じた。有栖も同じような事を感じていたようだった。

 身長は、つかさより大きくて、少し少年のような顔つきで、目は猫を思い出させるような雰囲気、鼻はそんなに高くなく、顔の形は、綺麗なたまご型で、髪型は、肩に乗るくらいのゆるふわなボブだった。

 ステージで目が合った時に、可愛い、と思ってしまった。

 そんなコに『好きみたいなの』と言われてしまった。言わせてしまったのかもしれない。

 有栖に触れた左手は、微かに震えていた。こんな自分が、また女の子を好きになっていいんだろうか?と思っていた。

 明日の事を考えながら、シャワーを浴びた。Liveの後は、いつも疲れてすぐ眠ってしまう。しかし今日は、有栖の事を思って、なかなか寝付けなかった。

 亮は、バツイチだ。

 帯広の高校を卒業後、札幌の調理師専門学校に通っていた時、帯広の高校時代の時から、付き合っていて、一緒に札幌に来た彼女に子どもが出来た。デキ婚だ。卒業後は、イタリアンの店に就職が決まり、働いていた。

 しかし入籍してしばらくして、帰宅した部屋で、彼女がタバコを吸っているのを発見して、相当な勢いで怒った。取り乱した彼女は、『妊娠なんかしてない』と言い出した。

 亮は、頭の中が、真っ白になった。

 今思えば、不自然な事が、たくさんある。

 当時は、子どもが出来たというだけで、いっぱいいっぱいで、病院の事も、母子手帳の事なども、知りもしなかった。

 そんな嘘をつかれていても、別れる決断も出来ず、そのまま婚姻状態にいた。

 1年位経って、彼女に、好きな人が出来たと言われ、別れる事になった。浮気されていたのだ。

 亮は、それから、女性に触れられなくなってしまった。怖いのだ。もう同じ思いはしたくない。

 なんとなく、家庭の事も知られているので、居づらくなったイタリアンの店を辞め、CDショップに転職した。バンドをやる上で、少しでも音楽に触れていたいと思ったからだ。

 有栖にはまだ、この事を言えなかった。初対面で言ったら、間違いなく驚くだろう。

 誰に話したとしても、亮の甘さを指摘される。当たり前だ。考えが幼すぎた。本当に亮自身、愚かだったと思う。

 有栖は、そんな子ではないと思うが、身構えてしまうところが亮にはある。

 明日会ったときに、正直に全て話そうと思った。周りの誰かから聞くような事があったら、有栖が受けるショックも、亮にとっても大きなショックだ。

 出会って数時間しか経っていないのに、有栖を思う気持ちが強かった。有栖を好きになっていた。この気持ちを大切にしたいと思った。





 朝6時、スマホのアラームで目覚めると、亮から『おはよう』のメッセージが、来ていて、時間を見ると4時だった。

 眠れなかったのか、早起きさんなのかわからないが、有栖も『おはよう』と送った。

 シャワーを浴び、簡単な朝食を食べていると、母が起きてきて、「おはよう。珍しく早起きね」と言った。

 有栖は、いつも、ギリギリまで寝ているタイプだった。

「昨日、結構早めに帰ってこれたけど、すぐ寝たから」と言った。

 食器を片付け、部屋に戻り出掛ける支度をして、家を出て、JRの琴似駅に向かった。

 天気は少し雲っていたけれど、今夜も亮に会えると思うと、曇り空も気持ちが良かった。

 お昼休み、職場が入っている、ショッピングモールの1階で、パンを買って、休憩室に戻ると、スマホを取り出し、亮にLINEのメッセージを送った。

『昨日は、ありがとう。亮は、早起きさんなの?』

 すると、すぐ返事が来た。

『昨日は、お疲れ~!有栖、亮と消えたよね?』

 亮ではなく、つかさからだった。

『昨日はありがとう!家近所だったから、送ってもらった』

『いつの間にか、付き合ってる?』

『まさかぁ』

『まあ、有栖も1年くらい彼氏いないんだから、良いと思うよ』

『私、亮の事、好きだよ』

『おー!告白したの?』

『うん、言った』

『マジか…私も元に言おうかな?』

『応援するよ!』

『ガンバる』

 すると、亮からのメッセージが来た。

『全然、寝れなかった』

『そっか。仕事、大丈夫?』

『まぁ、なんとかやってる』

『今夜、私がそっち行く?』

『札駅で食事する?』

『亮が、決めてくれて良いよ』

『琴似にしよう。仕事終わったら連絡する』

『わかった。仕事頑張ってね!』

『ありがとう!有栖も』

 途中で、

『もしかして、亮とLINEしてる?』

 とつかさからのメッセージも来ていて、

『うん』と送ると、

『邪魔してごめーん』

 とつかさからのメッセージがあった。

 18時に仕事が終わると、有栖は、JRで札幌駅に向かった。約束は、していなかったけれど、亮に早く会いたかった。

 有栖は、お客さんだった人に告白され、1年くらい付き合っていたが、1年ちょっと前に別れた。

 その日、当時の彼氏が、違う名前で、有栖を呼んだ。彼氏は、ハッとした顔をしていたが、ごまかすように、意味のわからない言い訳をしていた。二股をかけられていたのだ。    そして、有栖が問いただすと、彼氏は悪びれもせず、認めた。その時は、早く気づいて良かったと思った。悲しい話だ。でも、泣くことはなかった。なんとなく、恋愛に疲れていた頃だったから。それが、付き合っていた人にも伝わっていたんだと思う。

 それからは、誰とも付き合っていない。

 亮の働いているCDショップに向かい、まだ、18時半だったので、店内を覗いてみたが、亮の姿は、見えなかった。働いている姿を見たかったなと、少し残念に思いながら、近くのエレベーターホールのところで、スマホを取り出し、亮にLINEを送った。

『札駅まで、来ちゃった。ショップ見たけど、亮を見つけられなかった』

 スマホを握り、返事を待ち、しばらくすると、亮から、

『マジで?事務所にいた。もうすぐ終わる。どこにいるの?』

『近くのエレベーターのとこにいる』

『わかった。10分くらい待てる?』

『うん。大丈夫』

『終わったらすぐ行くから』

『わかった』

 すると10分も待たずに、亮が来てくれた。

「お待たせ!」

 亮は、昨日とは全く違う印象だった。バンドマンという感じではなく、キレイ系カジュアルという雰囲気だった。

「亮、昨日とは全然違う人みたい」

「え?嫌な感じ?」

「全然。カッコいい」

 私が、いたずらっぽく言うと、亮は、少し笑って、

「有栖は…身長縮んだ?」

 亮が右手で、有栖の頭に触れた。

「昨日は、厚底履いてたから」

「そっか。じゃあ琴似に帰る?」

「うん」

 亮が、エレベーターの下ボタンを押し、JRの改札に向かった。今日は手を繋がなかった。

 少し混んでいるJRで、何か話す事もなくJR琴似駅に着いた。

「何か嫌いな物ある?」

 亮が、有栖に聞いた。

「うなぎ!」

 亮は笑って、「連れてかないから、大丈夫」と言った。

 少し歩いて、駅の近くのイタリアンの店に連れていってくれた。

 メニューに、二人用のコースがあったので、それとビールを頼み、ビールで乾杯すると、亮に、

「有栖は、お酒飲める方?」と聞かれた。

「それなりに飲めるけど、最近は、あんまり飲まないかな?」と言い、笑いながら、

「去年位からかな、二日酔いというものを経験してから、あんまり飲まなくなった」と続けた。

「なんか、やけ酒でもした?」と亮が笑い、

「うん。実は二股かけられてて、つかさに付き合ってもらって、凄い飲んだ」と有栖は、言った。

「そっか」と亮が、まずい事聞いたかな?という顔で頷いた。

 食事が運ばれて来て、二人でいただきますをして、食べたが、どれも、美味しかった。

 食後のドルチェとコーヒーが届いて、亮が改まった顔で、話し始めた。

「有栖、驚かないで聞いてくれる?」

「え?何?」

「俺…結婚してた」

 有栖は、コーヒーカップを持つ手が止まった。

「え?今も?」

 有栖は、きっとこの時、相当顔がひきつっていたと思う。

「ごめん、違う。バツイチ」

 と、結婚してバツイチになった経緯を話した。有栖は、真剣に聞いていた。

「もし、この事を有栖が、誰かから聞くような事になったら嫌だと思って、今話した」

 有栖は、亮が騙されていた事に対して、泣きそうになった。そして、

「話してくれて、ありがとう…」と俯いたまま言った。

「大丈夫?」と亮が、有栖の顔を覗き込んだ。

「亮の方が、大丈夫?」と有栖が聞くと、

「もう、俺は、大丈夫だと思う。有栖に出会えたから」と亮が笑った。

「それなら、私も、大丈夫」と有栖も笑った。

 イタリアンの店を出てすぐ亮が、

「うち、よってく?」と有栖に聞いた。

「うん」有栖が頷いた。

 亮の部屋は、2階の角部屋で1LDK、縦長な造りだった。

「お邪魔します」有栖が言うと、

「散らかしてて、ごめん。好きなとこ座って」と亮が言った。

「全然散らかってないじゃん」

 部屋のリビングの中央にテーブルがあって、上着を脱ぎながら有栖は、その近くに座ると亮は、

「そうかな?ありがとう」と言った。

 本当に散らかってなかった。下手すると有栖の部屋の方が散らかっているかもしれないと思った。物があんまりないなという印象。

「なんか、飲む?」亮が小さい冷蔵庫を開けて聞くと、

「うん。何がある?」

「ビールと酎ハイとくらいだけど」

「亮も飲むんだったら飲む、ビール」

「あいよ!」

 亮が、小さな形の違うグラスを2つ出してきて、缶ビールをそれぞれに注ぎ、有栖の向かいに座ると、「かんぱーい!」と二人で再び乾杯した。

「SOULbeatって、CD出してるんだよね?」    

 ビールを一口飲むと有栖が聞いた。

「うん。でももう売ってない」

「そうなの?残念」

「コピーする?」

「じゃあ、これに落としてもらえるとありがたい」

 と有栖は、バッグから、携帯の音楽プレイヤーを出して、

「あー、良いよ、ちょっと待ってて」

 亮は、ノートパソコンを取り出して、SOULbeatの曲を有栖の音楽プレイヤーに入れてくれた。そして、CDケースを有栖に渡した。

 有栖は、SOULbeatのCDのジャケットと歌詞カードを見ながら、

「亮って、演奏の時、coldrainのR×Y×Oの真似してる?」

「あー、俺結構、緊張しいで、フード被ってる」

「そうなんだ。私曲聴くとき、ベースの音だけ聴いたりする」

「へぇー、なんか変わってる」

「ベースって、縁の下の力持ちみたいじゃない?」

「ベースが好きなんだ」

「うん。ドラマーも凄いと思う」

「リズム隊が好きなのか。珍しいな」

 亮が、グラスに入ったビールを飲み干すと、

「普通、ボーカルかギターじゃないの?人気あるの」とビールをグラスに注ぎながら言った。

「私、変わってるかな?」

「俺は、嬉しい。そんな風に聴いてくれてる人が有栖で」

 有栖は、体育座りをして、話を続けた。

「亮は、プロになるの?昨日のLive、他のバンドと熱量が違ってびっくりした」

「ちょっとは思うけど、ムリかな?」

「でも、凄いと思った。私の知らない世界を見付けた感じ」

 有栖は、亮を潤んだ目で見つめている。

 亮は、右手を伸ばして、有栖の左頬に触れた。そして、正座すると、

「俺、明日休み。有栖泊まってく?」

 と聞いた。

「うん。私は明日、11時から仕事」

 有栖が頷いた。

「俺、有栖の事好きだ。彼女になってほしい」

 と、今まで見た事の無い真顔で言った。

「亮、話す事の順番が違う感じする。普通、告白してから、泊まって行くか聞くよね?」

 と有栖は、笑う。

「え?えー?」

 亮は、焦っている。

「もちろん。彼女にしてほしい」

 有栖は、戸惑っている亮にハグしたい気持ちだった。

 亮は、また有栖の左頬に触れた。

「ありがとう。もう有栖は、俺の宝物だよ」

「歌詞みたい」

「今度、有栖の曲、書くよ」

「亮が、曲作ってるの?」

「うん、俺と元で作ってる」

「そうなんだ…元って、彼女いるの?」

「今はいないみたいだけど、会社に好きな人がいるらしい」

「えー。つかさ、元の事好きなのに…」

「ファンなだけじゃないの?」

「違うと思う。つかさは真剣だと思う」

「マジか」

 亮は、複雑な顔をしていた。

「つかさって、短大の時、ひとりぼっちの私に、声かけてくれて、仲良くなったんだ。べったりした関係じゃないけど、大切な親友」

「そっか。有栖って、雰囲気でだけど、癒し系だと思う」

「えー!言われた事ない。つかさが、声かけてくれた時は、凄い顔してたらしいよ」

「凄い顔?」

「つかさ曰く、この世の全てが敵みたいな顔だった、って」

「どんな顔だよ?よく、友達になろうと思ったね」

 亮が笑った。

「自分では、どんな顔かわからないし、つかさの謎」

「見てみたい気もする」

 と亮は、首を傾げた。

「でも、私って、ずっとそんな顔しているのかも」

「そうなの?イメージ出来ないな」

「今は、仕事で愛想笑い出来るようになったけど、あんまり笑ったりしないかも」

「そうかな?」

 亮が有栖の顔を見て、どんな顔か、考えていたが、有栖は、違う事を考えていた。

「お泊まりセットない」

「え?」

「コンビニで買ってくる。寝る時は、亮のパジャマ貸して!」

「うん。いいよ。お泊まりセットって?」

「メイク落としとか、歯ブラシとか」

「あーそっか、うちにはない」

 と亮が、困っていて可愛かった。

「もう、遅いし、一緒にコンビニ行こう」

 亮が言った。

 近くのコンビニに二人で出掛け、お泊まりセットを買って、亮の部屋に戻ると、23時だった。

 有栖は、メイクを落とし、亮から借りたTシャツとハーフパンツに着替えると、

「もう、眠たい。寝よう」と亮に言った。

「有栖、すっぴんも可愛いね」

 と亮に言われ、有栖は、

「あんまりじっと見ないで」

 と両手で顔を隠した。

 亮もTシャツとスエットのズボンに着替えると、二人で並んで、歯磨きをしてコップに歯ブラシを2本立ててから、部屋の照明を消して、亮のシングルベッドに潜り込んだ。

 亮は有栖を壁側に寝かせて、腕枕をした。

 有栖は、亮に「おやすみなさい」と言って目を閉じた。亮も、「おやすみ」と言った。

二人は、隙間が無いくらいくっついて眠った。今まで出会えなかったのが、不思議なくらい、しっくりする。安心感のようなものがあった。

「有栖」

 亮が、少しかすれた声で呟くと、

「何?」

「俺、有栖の事大切にするから」

 と、ぎゅっと抱きしめた。

「苦しい」

 有栖が言った。

「ごめん」

 亮が、少し力を抜くと、

「嘘。もっとぎゅっとされたい」

 と有栖が笑った。

「有栖、好きだよ」

 と言って、亮が有栖を抱きしめた。

「私も、亮が好き」

 有栖は、亮の胸に顔をうずめた。





 亮が目覚めると、午前4時だった。

 有栖は、わずかな寝息をたてて亮の左腕を枕に寝ている。

 有栖は、閉じた瞼に少し涙をためていた。まつ毛が長い。悲しい夢でも見ているのだろうか。亮は右手で、そっと涙を拭った。

 この気持ちはなんだろう?やっと出会うべきだった有栖に、出会えたのだろうか?不思議な感情があった。Liveの時に感じた、どこかで会った事があるような懐かしい感覚。帯広に来た事もない有栖とばったりでも会った事は、ないだろう。でも、凄く愛しい気持ちが溢れそうだった。

「有栖」

 亮は、かすかなつぶやきのように、名前を呼んだ。

 有栖は、眠っている。

 しばらく有栖の寝顔を見ていたが、いつの間にか亮も再び眠りについた。





 どこかでスマホのアラームが鳴っていた。昨日セットしたままにしていたらしい。目を覚ますと目の前に亮が眠っていて、有栖は、一瞬ここがどこか分からなかったが、少し落ち着くと、亮の部屋に泊まった事を思い出した。

 亮もアラームに気付き目を覚ました。

「ごめん。私のスマホのアラーム鳴ってる」と言って、ベッドから抜け出し、有栖のバッグから、スマホを出して、アラームを止めた。

「寒ーい」有栖は、亮のいるベッドに再び潜り、その一連の光景見て、亮が笑っていた。

 ベッドの横の窓から、カーテン越しに朝日が差し込んでいた。

「うち、結構まだ朝、寒いんだよね」

 亮が有栖に言って、掛け布団を頭の上まで被せると、

「おはよう、有栖」

「おはよう」

 他に誰も居ないのに、隠れるように、亮は有栖にキスをした。有栖は、少し驚いて、「不意討ち」と言った。

「有栖、なんか悲しい夢見てた?」亮が聞くと、

「覚えてない。どうして?」と聞き返した。

「途中目が覚めた時、有栖泣いてたから」

「そっか。亮、眠れなかったの?」

「いや、すぐ寝たよ」

「今6時。まだ少し眠る?」

 亮は、有栖を抱きしめて、

「もう少しこのままでいたい」と言うと、有栖は、亮に身体を委ねて、「いいよ」と言った。いつの間にか、有栖は、眠りについていた。

 有栖は、甘い、いい匂いで目が覚めた。亮がキッチンで、何かを作っている。

 7時半だった。有栖は、亮に声をかけずにしばらく様子を見ていて、てきぱき作業をする亮を見て、亮が調理師免許を持っていることを思い出した。

 亮が振り返り、有栖が目を覚ましているのを見つけると、

「おはよう。やっと起きたか。フレンチトースト食べよう!」

 と、お皿に乗せたフレンチトーストを有栖に見せながら言った。

「おはよう。おいしそうないい匂い」

 有栖は、ベッドから出て、テーブルの横に座った。部屋は、ストーブが着いていて、温かくなっていた。

 テーブルの上には、紅茶のポットもあり、

「亮、なんか、おしゃれだね、うちは朝、納豆とお味噌汁って感じだから」と有栖が言うと、

「ひとりきりだったら、あんまり作らないよ」

 亮が笑った。

「食べてもいい?」

「どうぞ」

「いただきます」

 二人で言って、有栖がフレンチトーストを口にするのを、亮はじーっと見ていた。

「亮、あんまり見られると、食べるの緊張する」

 有栖がゲラゲラ笑っているのを亮は、幸せそうな顔で見ていた。

「紅茶はどうやって飲む?」亮に聞かれ、

「牛乳入れたいな」有栖が言うと、マグカップに紅茶と牛乳を入れてくれた。

「亮、お母さんみたい」

「お母さんって」

 亮は、テーブルに座りながら言った。

「美味しい」

 有栖がフレンチトーストをほおばりながら言って、

「もう少しつけておくともっと、美味しいんだけど」亮も、フレンチトーストをほおばりながら言った。

「また、作って!」

 有栖が、牛乳入りの紅茶を飲みながら言った。

 朝ごはんの後、有栖は、自分の家に帰って、身支度をして会社へ向かった。

 母に、「外泊は、連絡すること」と釘を刺された。

 11時からの出勤だったので、14時に昼休憩に入り、つかさに、亮とのことを報告しようと思っていたら、亮からLINEが来ていた。

『今度の土曜の夜、うちのメンバーと花見に行かない?つかさちゃんも来ると思う』

『いいよ』と送った。

『良かった。準備はこっちでするから、手ぶらでいいよ』

『了解』

『今夜、うちで食事しない?俺作るから』

『うん、わかった、楽しみにしてる』

『じゃあ、待ってるから』

 つかさに、

『私、亮と付き合うことになった』と送った。きっと、仕事中なので返事は、すぐにこないだろうと思った。

 20時に仕事が終わると、急いで帰る準備をして、亮の部屋に向かった。

 亮に、『今から帰ります』とLINEを送り、JRの電車の中で、スマホを見ていると、つかさから、『おめでとう』とLINEにメッセージが来ていた。そして、

『土曜の花見も行くんでしょ?』

『つかさも行くんだよね?』有栖が送ると、

『毎年恒例行事』

『そうなんだ』

『亮と有栖が付き合ってるんなら、私、元に告る!もう、決めた!』

『おお!応援するよ!』

 応援すると言いながら、昨日、元に好きな人がいることを聞いているので、少し後ろめたい気持ちがあった。

『じゃあ、ちょっと行ってくる』

 最後に、つかさの決意表明みたいなものを感じた。

『いってらっしゃい』

 有栖は、それしか言えなかった。つかさの思いが、届きますようにと、思っていた。

 亮の部屋に着くと、いい匂いがしていた。

「ただいま~」有栖が言うと、亮が「おかえり」と言った。

「ただいまは、おかしいか…今朝お母さんに怒られた」

「なんて?」

「外泊は、連絡しなさいって」

 亮は、苦笑いをしながら、なぜか「ごめん」と言った。

「今日は、親子丼」

「美味しそう」

 有栖は、手を洗いテーブルにつくと、「いただきます」と言って、亮が作ってくれた湯気の上がる親子丼をほおばった。

「美味しい。亮も食べよう!」

 本当に美味しかった。多分、有栖が作るより美味しいと思った。

 食べ終わって、食器を二人で洗いながら、有栖が口を開いた。

「今日つかさ、元に告白してるかもしれない。さすがに、元に好きな人いるなんて言えなかった」

「元、フラれたらしい」

「え?」

「今日、花見の事で、話してたら、誘ったらしいんだけど、きっぱり断られたらしい。なんとなく、有栖と付き合い始めたって、言えなかった」

「そっか」

「元も、つかさちゃんの事は、気にしてるから、付き合うんじゃないかな?」

「うまくいくといいな、私としては」

「うん」

 亮は、食後のプリンまで、作ってくれていて、それを食べながら、

「花見のメンバー。孝は結婚してるんだ。尚吾は、彼女いないから、つかさちゃんが一人女の子連れてくるって。合計8人」

「毎年恒例って、言ってたけど」

「うん、高校時代から、やってたみたいだよ」

 話をしながら、有栖はずっと、つかさの事が気になっていた。

「ちょっとLINE見てみる」

 有栖は、自分のバッグから、スマホを出して見てみると、つかさから、メッセージが来ていた。

『元、彼女にしてくれるって!』

 有栖は、そのままメッセージを読んだ。

「良かった」有栖は言うと、

『良かったね』とつかさに送った。

「つかさきっと、高校時代から好きだったんだよ。良かったね」

「有栖は優しいね」

「そうかな?素直に喜んであげたい。喜ばしいことじゃん」

「俺らが心配することじゃないか…」

「もう大人なんだし、いいんじゃない?」

「そうだな」

「今日は、私帰るね」

「え、怒られる?」

「あんまり、毎日だとお父さんが言ってくるから」

「お父さん怖いの?」

 亮は、恐る恐る聞いてきた。

「うん、頑固親父」

 有栖は、笑いながら、「嘘。普通のお父さんだよ」と言った。

「送るよ」亮が、上着を羽織りながら言うと、「ありがとう」有栖は言って、上着を着て、バッグを肩にかけた。

 家に着くと、母に、

「今日は、帰ってきたね」とイヤミっぽく言われた。

 自分の部屋に入ると、つかさから、LINEのメッセージが来ていた。

『亮と付き合ってるの、元、初耳だったよ。内緒だった?』

『内緒じゃないよ。言いそびれただけじゃない?』

 そう送って、有栖は、シャワーを浴び、寝る準備をして部屋に戻ると、つかさから、『そっか』とメッセージが来ていた。

『お花見、楽しみだね』有栖が送るとすぐに、

『そうそう、一人女の子誘わなくちゃ』と返事が来た。

『会社の人に聞いてみようか?』有栖が送ると、

『いい?そうしてくれるとありがたい』

『わかった明日、聞いてみる』

 有栖は、同僚の顔を思い浮かべていた。

『ありがとう!じゃあ、おやすみ』

『おやすみ』

 そう、つかさに送ると、亮にも、

『おやすみ』と送った。

 次の日、出社した時、同じ年齢の、金子さんを花見に誘ってみると、快く了承してくれて詳細を伝えると、待ち合わせ場所を決めて、仕事を始めた。

 札幌の花見は、夕方からぐっと寒くなる。 

 金子さんと厚着をして、円山公園に集まり、他のメンバーと合流した。

 もう、すっかり準備が出来ていて、少し申し訳ない気がしていた。

「有栖!」

 亮に呼ばれると、有栖は、全員に金子さんを紹介して、金子さんも挨拶をした。

 それから、孝の奥さんを紹介された。孝の奥さんは、3コ上で落ち着いた雰囲気の人だった。焼き肉のセットは、孝の家で用意してくれていて、奥さんが車を運転して持って来てくれているそうだ。

 炭火で焼き肉を焼いて、孝の奥さんは、ジュースで、その他のみんなは缶ビールで乾杯をして、花見の宴会が始まった。

 つかさは、元にべったりだった。なんとなく、二人以外で、話しているような感じになっていたが、金子さんもみんなと打ち解けていて、尚吾も楽しそうだった。

 有栖は、金子さんが気になって、亮とあまり話せなくて残念だった。

 後片付けは、みんなで、協力して行い、解散になった。

 偶然、尚吾と金子さんが帰る方向が同じだったので、送ってもらう事になり安心した。

「金子さん、今日は、ありがとうね」と有栖が言うと、

「誘ってくれてありがとう。楽しかった」と言ってくれた。

 みんなと、帰る方向が、逆なので、有栖と亮は、地下鉄の駅でみんなを送って、家路についた。

「有栖、今日は、ありがとうね」

 亮が帰りの地下鉄の中で、二人っきりになってから言った。

「楽しかったよ。つかさと元には驚いたけど」

「俺も、意外だった」

「二人の世界だったよね」

「あんな元、初めて見た」

「私もあんなつかさ初めて」

「よっぽど寂しかったんだろうな、二人共」

「でも、仲が良いのは、いいことだ」

 地下鉄の琴似駅に着くと、初めて二人で手を繋いだ道をJR琴似駅へ、歩いていた。もちろん今も手を繋いでいる。

「うちよってく?」

 亮が有栖に聞いた。

「うん。明日早いから、じゃあ、コーヒーだけ」

「わかった」

 亮は、ちょっと残念そうな顔をしていた。

 亮の部屋に着くと、ひんやりとしていた。

「ストーブつけるね」

 亮がストーブをつけてくれて、コーヒーを淹れてくれた。

 有栖が、テーブルの横に座ると、すぐ横にコーヒーの入ったマグカップを両手に持った亮が座わり、マグカップをテーブルに置きながら、

「有栖、一緒に暮らさない?」と言った。

「ここで?」

「うん」

「亮、なんか急いでる?」

「ずっと一緒に居たいんだ」

「親に相談してみないと」

「そうだよね。そうだよね」

「私も一緒に居たいよ」

「俺、有栖のご両親に挨拶に行く」

 亮は、今までに見たことのない真剣な表情で言った。

「わかった。今日帰ったら両親に聞いてみる」

「うん」

「じゃあ、帰るね、送って」

 結局有栖と亮は、一口もコーヒーを飲まなかった。

 有栖は、家に帰り、居間にいた両親に、

「お父さんお母さん、会ってほしい人がいるんだけど、明日の夜連れてきていい?」

と言った。

 すると父が、

「彼氏か?」

 と聞いてきた。

「はい」

 いつもは使わない“はい”を有栖が言ったので、居間の空気が、一瞬止まった。

「…わかった」

 父は、頷いた。

 明日店は、19時までだったので、その30分後に、店の方に来るように言われた。

 亮に、

『明日の19時半にお店に来てほしいって』

 とLINEで伝えると、

『わかった』

 と返事が来た。

 次の日は、有栖も亮も緊張して、時計ばかりを気にしていた。

 仕事帰り、JR琴似駅で待ち合わせをして、有栖の家に向かい、店に着くと、弟がのれんをしまっているところだった。

「姉ちゃんおかえり」

 弟がニヤニヤして二人を見た。

「姉ちゃん、帰ってきたよ」

 と店の中に入っていった。

 亮は、こわばった顔をしている。

「亮、大丈夫?」

「緊張する」

 店の中に入っていくと、有栖の両親がテーブルの一つに座っていた。

「はじめまして、永塚亮といいます。みなさんでどうぞ」

 亮がぺこりとお辞儀をして、持ってきた紙袋から包装されたお菓子を差し出し、母が受け取ると、父が、

「まあ、座りなさい」

と目の前の空いた椅子を指差した。

「失礼します」

 と言って、亮と並んで有栖も座った。

「永塚君、君は札幌出身かい?」

 と父が聞いた。

「いえ、生まれは帯広です」

 と亮が言うと、父の表情が少し変わり、

「有栖、お母さんと、二階に上がってなさい。永塚君と二人で話したい」

 と言った。

 有栖は、母と顔を見合わせて、一緒に二階に上がっていった。

 しばらく、父と亮は二人で話していたが、有栖は、不安だった。母に、

「お父さんどうしたの?」

 と聞いたが、母は、首を横に振るだけだった。

 15分ほどして、父が二階に上がってきたので、

「亮は?」と有栖が聞くと、

「帰ってもらった」というだけだった。

 有栖は、訳が分からず、

「どうして?」

 と言うと、母の静止を振り切り、上着も着ずに、スマホだけ持ち、亮の後を追った。

 肩を落とした背中で歩いている、亮を見つけて、

「亮!」

 と、声をかけた。

「有栖…」と、焦点の合わないような目で振り返った。

「亮の部屋行こう」

 有栖は、亮の左手を掴んで、亮のアパートへ向かい、亮の部屋に着くと、青ざめた亮の顔がはっきり見えた。

「お父さんに何を言われたの?」

「…」

 亮は、座り込み、なかなか口を開いてくれない。

「反対されたの?」

 有栖は、亮の肩を揺さぶった。

「いや」

「何?」

「きょうだいかもしれないって…」

「え?」

「俺と有栖が、きょうだいかもしれないって」

 亮が、つぶやくように言った。

「え?」

 有栖は、自分も青ざめていくのがわかった。

「どうゆうこと?」

「有栖のお父さんは、俺の母さんを知ってた」

 しばらく、二人共、何も言えずにいた。

「知ってるって?」

「俺の母さんが札幌にいた頃、有栖のお父さんと付き合ってたんだって。それで、急に帯広に帰ったって」

「それだけで、きょうだいだって言うの?」

「母さんの同僚に聞いたって。一人で育てられないから、帯広に帰ったって」

 有栖は、何も言えなくなった。泣いていた。泣きながら、

「そんなのあるわけないじゃん」

 と亮の右手をギュッと握った。

「確かめに行こう、帯広に」

「え?」

「これから、帯広行こう!」有栖は言うと、

「なにか、上着貸して」と笑った。

 札幌駅に着くと、21時に出る、帯広行きがあり、亮と有栖はその列車に乗った。

「お泊りセット持ってくればよかったね」

 有栖が、苦笑いで亮に言うと、

「向こうで買えばいいよ」

 と亮は、まだ青ざめた顔で笑った。

 有栖は、亮に借りた、大きめのPコートを脱ぐと、膝にかけ、

「こんな冒険初めて。私スマホしか持ってこなかった」と言った。

「有栖、ごめんね」

「なんで亮が謝るの?何も悪くないじゃん」

 帯広行きのJRの自由席に二人で並んで座ると、亮は、憔悴しきった横顔で、有栖の左手を握りしめた。

「きょうだいなんて、そんな事、絶対無いよ」

 有栖が慰めるように言った。

 そんな風に言いながら、有栖の中でも不安が渦巻いていた。

 亮を初めて見た時のあの感覚は、きょうだいだったからなのか?そんな事を考えていた。流れる夜の車窓を見ながら、そんなはずはないと自分に言い聞かせた。

 現実にこの状態の亮が、自分の母親に会って、事実を聞き出す事が出来るのか心配だった。

 亮は、何も言わず、俯いたままで、あの時、有栖も自分の父親の話を聞くべきだったんじゃないかと、後悔していた。

「電話出なくて大丈夫?」

 亮が有栖に言った。

 有栖が家を飛び出してから、何度も母からスマホに電話が入っていたが、有栖は出なかった。諦めたのか、LINEにメッセージが入っていた。

『今、どこにいるの?お父さんも心配してるから、教えてください』

 有栖は、迷ったが、返信した。

『亮のお母さんに確かめに、帯広に亮と向かっています。心配しないでください』

 そう打って、スマホの電源を切った。

「亮、少し眠っていい?」

 有栖は、亮に聞いた。

「うん。俺も寝るよ」

 二人は、手をつないだまま、静かに目を瞑った。

 有栖は、目を瞑ると、余計に不安が襲ってきた。もしも、きょうだいだったら、どうしたらいいんだろう?こんなにも愛しい人に出会えたのに…。

 父は母に、今回の事について、なんと告げたのだろうかと思っていた。25年間も、亮の母親を想っていたのだろうか?

 父に対して、少しの怒りと少しの同情が、込み上げて来た。父に聞きたい事は、たくさんあったが、有栖は、亮ときょうだいではないことを祈った。





 亮は、有栖の父親から聞いた言葉を思い出そうとしていた。なんだか、靄がかかって上手く思い出せない。ただ、看護師をしている母親の名前を言われ、きょうだいかもしれないという言葉だけは、はっきりと覚えていた。

 有栖と目が合ったときの懐かしいような感覚は、きょうだいだったからなのか?自分の中の何かが、血の繋がりで、そう感じさせたのか?目を瞑っても眠気は、全く襲って来なかった。有栖も同じだろうと感じていた。

「有栖が、決めていいよ」

 亮は、目を開けて有栖に呟くように言った。

「私は、亮と一緒にいる」

 有栖は、瞼を開き、亮の方を向き、はっきりと亮の目を見て言った。 その黒い瞳は、あまりにも切ない、深い黒だった。

  


 札幌から、2時間半程、結局二人とも眠ることも出来ず、帯広に着いた。23時半。駅のホテルのフロントへ行くと、ツインの部屋が空いていたので、チェックイン出来た。チェックアウトは、10時だった。

 部屋に入り、有栖をソファーに座らせると、亮は、有栖の両手を握り締め、膝をついた。

「有栖。明日の朝一番で母親に会ってくる。ここで、待っててくれる?」

 有栖は、亮の目を見つめながら、頷いた。

「待ってる」

 亮も頷いた。

 そして、二人とも備え付けの部屋着に着替え、6時にアラームをセットして、片方のベッドで、抱きしめあって寝た。

 二人とも緊張して全く寝付けなかった。

 空が、ぼんやり明るくなってきて、有栖を起こさないように亮は、ベッドから起き上がると、

「亮」

 有栖も起きていた。

 時計を見ると5時になるところだった。

「俺、行ってくる。もう頭がおかしくなりそうだ」

 亮は、頭をめちゃくちゃにかきむしり、有栖は、亮のぐちゃぐちゃになった頭を撫でながら、

「亮、私待ってるから」と言った。

 亮は、着替えると、

「わかった。ちゃんと聞いて戻って来るから。行ってくる」

 と言って部屋を出た。

 亮は、ホテルのタクシー乗り場からタクシーに乗り、運転手に実家の住所を言うとスムーズに車は、走り出した。

 亮は、何度も心の中で、母親に尋ねなければいけない言葉を繰り返していた。

『早川哲男さんが、俺の父親なんですか?』何度も何度も繰り返した。

 実家のアパートに着くと、ひとつ深呼吸して、ドアベルを鳴らした。まだ5時半、母親は起きていないだろう。

 もう一度鳴らすと、がちゃりとドアが開いた。ドアモニターで、息子が現れて驚いたのだろう、母親が、目を見開いて亮を見つめた。

「亮、あんた急に…こんな時間にどうしたの?」

「上がっていい?」

「もちろん。入りなさい」

 亮は、部屋に上がった。

 亮の母は、ダイニングテーブルに、亮を座らせると、お茶を淹れようとしたが、亮が、

「母さんも、座って」と遮った。

 亮の母親が席に着くと、

「どうしたっていうの?」と口を開いた。

「とても、大事な話を聞きにきたんだ。本当の事を答えて欲しい」

 亮の真剣な顔に、母親は、うろたえていた。

「わかった」

「俺の父親は、早川哲男さんですか?」

「え?」

 母親は、何を聞いてるの?という顔で、亮を見つめた。そして、

「違います」と、はっきり答えた。

「本当に?」と、亮が言うと、

「誓って言えます、あなたの父親は、早川さんではありません」

「じゃあ、誰なの?」

「それは教えられない。家庭のある人だったから…あなたの父親の事は、あなたを授かった時に、墓場まで持っていくって決めたの」

「わかった。ありがとう」

 亮は、今まで青ざめていた顔の血流が戻ったような気がしていた。

「何があったか、母さんに教えてくれる?」

 亮の母親が、静かに言った。

 亮は、有栖に出会い恋をして、一緒に暮らそうして、有栖の両親に挨拶に行ったら、有栖の父親にきょうだいかもしれないという事を告げられて、そのまま、二人で帯広に確かめに来たことを話した。

「亮がそんな行動力のある子だとは思わなかった」

 母親は、目を潤ませていた。

「いや、有栖じゃなかったら、こんな事できなかった。しないで、諦めてたと思う」

 と正直な気持ちを言った。

「そう。愛してるのね」

「今までこんな気持ちになったのは、初めてだと思う。大切にしたいんだ」

「ちょっと待ってて」

 母親は、奥の部屋へ行き、しばらく待つと、封筒を一通手にしていた。

「早川さんに、手紙を書いたわ。渡して」

 と言いながら、亮の手に持たせた。

「有栖さんは、どうしてるの?」

「ホテルの部屋で、待ってる」

「そう。じゃあまだ6時だし、お母さん会いに行くわ。連れていって」

「うん。わかった」

 母親が、身支度して、部屋を出ると朝焼けが綺麗だった。

 亮がタクシーを呼んで母親と乗り込み、ホテルの部屋に戻ると、有栖は、着替えていたが、ソファーで、うとうとしていた。

「有栖。起きて」亮が、有栖の肩を叩くと目を覚まし、亮の母親がいる事に気付いて驚いて飛び起き、「おはようございます」と言いながら立ち上がった。

「早川有栖です」

「亮の母親の加奈子です。今回の事は、ごめんなさいね。安心して。あなた達はきょうだいじゃないから」

「本当ですか?」

 有栖は、目に涙をため、亮を見つめた。亮は、深く頷いた。有栖の目から涙が溢れ出した。それを拭いながら、

「こんな早い時間にすみませんでした」

 と有栖は、深々と頭を下げると、

「そんな事は、気にしないで。当時、急に帯広に帰った私が、悪いのよ」

 亮の母親は、言った。

「父がうぬぼれて、変な事言い出したばっかりに」

 有栖は、思っていた事を言った。

「そんな風に考えていたなんて、驚いたわ。でも、絶対に、あなた達はきょうだいではないから、安心していいのよ」

 その言葉を聞いて、有栖は、全身の力が抜けて、倒れ込むようにソファーに座った。

「良かった…」

 有栖の両目から、涙が溢れ出た。今まで我慢していた何かが壊れたように。

 横に、亮が座ると静かに有栖を抱きしめ、

「良かった…」

 亮も同じ言葉を呟いた。

「お腹空いた」

 亮が、呟いた。考えてみると二人とも、昨日の昼以降何も口にしていないことを思い出した。

「そういえば、何も食べてないね」

 有栖も、笑いながら言った。

「じゃあ、一緒に朝食にしない?」

 亮の母親が、二人に言うと、ホテルの朝食を三人で、食べに行く事にした。

 朝食会場に行くと、まだあまり人はいなかった。

 亮と有栖は、ホッとして、朝食を食べ始めた。亮の母親も嬉しそうに、そんな二人を見ながら食事をしていた。

 食後に、三人でコーヒーを飲んでいると、亮の母親が、

「なれそめを教えて」と亮に言った。

 亮は、Liveで出会った時の事を簡単に話した。でも、有栖から声をかけたとは、言わなかった。

「運命かもね。亮、こんなに可愛い人に出会えて良かったわね」と言った。

「うん。いずれは、結婚するつもり」

 そう言って、有栖の顔を見た。

 有栖は、とても驚いて目を見開いた。

「亮。有栖さん驚いてるじゃない」亮の母親が、言った。

「母さん。今度は、大丈夫だから」

「そうね。二人とも幸せになりなさい」亮の母親は、少し涙ぐんでいた。

 亮と有栖は、頷いて、亮が、

「絶対、幸せになる」と言った。

 食事を終えると、もうすぐ8時になるところだった。

 亮の母親は、帯広市内の小児科で、看護師をしている。

「今度来る時は、前もって連絡してね」と言うと、タクシーで、仕事に向かい、亮と有栖は、ホテルの玄関で、見送った。

 ホテルの部屋に戻ると、二人は、今までの緊張の糸が切れたように、ベッドに横たわった。

「有栖。俺、本気だから」

 横にいる有栖に、亮は真剣な顔で言った。

「結婚?」

 有栖が言うと、亮は、頷いた。

「わかった。私も本気。幸せになろうね」と有栖も真剣な顔で言った。

「さあ、札幌帰って、有栖のお父さんに言わないと」

 亮が言うと、

「その前に、会社に休む事、連絡しないと」

 と有栖が言うと、あまりにも無謀だった二人の行動が、とんでもない事だったと感じていた。

 二人共、上司に連絡し、理由は、発熱したと嘘をついた。

 有栖のスマホには、今度は父親から、LINEで、『連絡ください』と来ていた。

「俺が、お父さんに言うよ、電話貸して」

 と有栖のスマホから、有栖の父親に電話をかけた。

 ワンコールで、有栖の父親が出た。

「有栖、すぐ帰って来なさい!」

 亮は、一息ついて、

「永塚です。お嬢さんを連れ出してしまって、申し訳ありません」

 と謝った。

「永塚くんか…」

「母に、確認しました。僕の父は、別にいるそうです。僕達は、きょうだいじゃ、ありませんでした」

 そう言うと、有栖の父親の返事を待った。

 しばらく、沈黙があって、

「…永塚くん、申し訳なかった」

 有栖の父親が、電話口で、頭を下げているように感じた。

「これから帰ります。母から、手紙を預かっています」

 亮が言うと、有栖の父親は、

「わかった。気をつけて帰ってくるように」と言った。

「それでは、失礼します」

 と言って、亮は、スマホを切った。

「お父さん、なんて?」

 有栖が、ずっと心配そうな顔で亮を見つめていた。

「あやまってらしたよ」

「そう…」

「帰ろう」

 二人で部屋を出て、チェックアウトし、JR帯広駅で、10時発の列車のチケットが取れて、駅のベンチで、列車が来るのを待っていた。

「今度は、計画を立てて来ようね」

 有栖が、亮に言った。

「そうだな。でもね…」亮が有栖を覗き込むように続けた。

「有栖じゃなかったら、こんな事出来なかったと思うんだ」亮は、素直な気持ちを言うと、有栖は、照れくさそうに笑った。





 札幌行きのJRの中で、亮と有栖は、一瞬で、眠りについた。

 有栖は、亮とバージンロードを歩く夢を見ていたが、それは客観的な夢で、不思議な夢だった。亮と腕を組んでいるのは、有栖ではない、知らない女性だったからだ。あ、これは夢だから、目を覚まそうと思い、目を開けた。

 隣では、亮がぐっすり眠っていた。

 変な夢をみてしまった。先ほどまで、幸せだった気持ちがしぼんでいくような気がしていた。でも、現実で隣には、亮がいる。ただの夢に翻弄されたくなかった。

 亮を、起こさないように、有栖は、目を瞑った。借りた亮のPコートからは、亮の匂いがする。亮は、側に居てくれると思いながら、今度は深い眠りについた。

 目を覚ました時、有栖は、一瞬自分がどこにいるのかわからなかった。

 車窓を見ると、札幌の郊外の風景が広がっていた。

「亮?」

 眠っている亮の肩を揺すると、

「有栖…」

 寝ぼけながら亮が言った。

「もうすぐ、着くよ」

「ん?よく寝たー」

 亮が、両腕をぐっと上げて、あくびをした。

 そのまま、琴似の有栖の家に帰ると、お店は、お昼の休憩に入るところだった。

「ただいま」

 有栖が言うと、弟が来て、

「おかえり。姉ちゃん帰ってきた!」

 と有栖の両親に、声をかけた。

 母が来て、何か言い出しそうだったので、有栖は、すかさず、

「ごめんなさい」と言って頭を下げた。亮も「すみませんでした」と頭を下げ言った。

 母の後ろで、ばつが悪そうに父が、立っていた。すると父が、コック帽を取り、

「二人とも、本当にすまなかった」

 と、頭を下げた。

 有栖は、こんな父親を見るのは、初めてだった。

「母から、預かって来ました」

 と、亮は、有栖の父に手紙を渡すと、有栖の母は、二階に上がっていってしまった。

 有栖は、母が心配だったが、亮を一人にする事も出来ず、

「お父さん、私、亮と暮らすから」と言った。

「僕からも、有栖さんと暮らす事を許してもらいたいです」亮も頭を下げながら言うと、

「わかった。そうしなさい」と、父が言った。

 有栖は、亮を連れて、二階に上がった。

 母は、泣いていた。

「お母さん…心配かけてごめんなさい」

「お嬢さんを連れ出してしまって、申し訳ありませんでした」と亮も謝った。

「お父さん、何も教えてくれないのよ」

 有栖の母が、呟くように言った。有栖は、何も言えなかった。

「永塚くん。有栖を幸せにしてやってください」有栖の母が、亮に言った。

「お母さん、亮と暮らしてもいいの?」と有栖が聞くと、

「そうしたいんでしょ。もうすぐ25なんだから、好きにしなさい」と言ってくれた。

「ありがとうございます」亮が言った。

 早速有栖は、ある程度亮の部屋で、暮らすための荷物をまとめた。亮も手伝ってくれた。

 何往復かして、亮の部屋に有栖の荷物を運ぶと、

「もう行くの?」有栖の弟に聞かれ、

「うん。明日も仕事あるし。また、必要なものがあれば取りに来る」

「俺って、どうすればいいわけ?」

「なんで?」

「姉ちゃん飛び出して行ってから、うちの中、変な空気になってたんだけど」

「全部、お父さんに聞いて」

と有栖は、言った。有栖の口からは、言えなかった。言わない方がいいと思った。

 店にいる両親に、

「また、何かあったら、来ると思います」と言って、家の鍵を差し出すと、

「わかった」と父が鍵を受け取った。

「今まで、ありがとうございました」

 と両親に頭を下げた。

「まだ、お嫁さんに行くわけじゃないんだから」と母が言うと、

「そのつもりだから」と有栖は言い、実家を後にした。

 亮の部屋に、落ち着くと、亮がコーヒーを淹れてくれた。

 こんなに慌ただしく実家を出てきてしまったが、昨日までのモヤモヤした気持ちは、晴れていた。

「少し、片付けないとね」

 有栖は、亮からマグカップを受け取りながら言うと、

「休みの日にやればいいよ」

 亮の部屋に荷物を持って来たが、有栖もそんなに、たくさんの物を持って来なかったので、狭くは感じなかった。

「亮、今回の帯広行きのチケット代」

 有栖は、用意していた封筒を亮に差し出すと、

「いいよ」亮は、受け取らなかった。

「良くない!」

「じゃあさ、貯めておこう。つもり貯金。結婚資金にしよう」

 有栖は、封筒を持って、

「うん、わかった」と言った。

「月々積み立てていこう」

 二人で、話し合って、今までお互いが実家に入れていた分は、ちゃんと送って、月々決まった額を積み立てて行く事にした。

 亮は、本当に結婚する事を考えているんだと有栖は、実感していた。

 気付くと夕方になっていて、

「俺、何か作るね」

 と言って、亮がキッチンに立つと手際よく、冷蔵庫にあるもので、パスタを作ってくれた。

 有栖は、おいしくて、嬉しくて、涙ぐんでいた。

「どうした?」亮が有栖の顔を覗き込むと、

「幸せ」有栖は、涙をこぼして言った。

 亮は、涙ぐむ有栖を見て、今まで出会えなかった分と思い抱きしめた。これから幸せになるために。抱きしめながら、

「有栖は、泣き虫?」と聞いた。

「苦しい」有栖は、亮の腕の中でもがいたが、亮が腕を緩める事はなかった。

 食事を終えると、有栖が、食器を洗い、その間、亮が、お風呂を入れた。

「有栖、一緒に入ろう?」

亮が言うと、有栖が、

「亮って、急に話の展開があるよね」

「え?」

「だって、付き合う時も、泊まってく?が先だったし。お風呂に一緒にって、とってもハードル高い気がする」

「そうかな?」

「そうだよ」

 すると亮は、有栖にキスをした。

「亮、ズルい」

 と有栖は、頬を赤らめた。

 亮は、着ていたTシャツを脱ぐと有栖の服を脱がせていった。

 そして、狭いバスタブに二人で入って、

「引っ越し、考えないとね」

 亮が言うと、

「しばらくいいよ、このままで」

 と有栖は、亮の腕の中で言った。

 お風呂から上がると二人とも、バスタオルのままで、のぼせ気味だった。

 亮が、冷蔵庫から冷えた缶ビールを出すと、グラスにも入れずそのまま二人で飲み、 髪も乾かさず、そのままベッドで抱きしめあって、眠ってしまった。

 二人とも、裸のまま眠っていたが、亮は、4時に目を覚ました。

 有栖は、亮の腕の中で眠っている。有栖の顔をずっと見ていると、有栖も目を覚まし、

「おはよう」と言った。

「おはよう。まだ4時」

「また、4時?亮は、いつも4時に目が覚めるね」と有栖は、笑った。

「有栖に出会ってから、目が覚めるようになった」

 すると有栖が、起き上がって、

「もしかして私、頭爆発してない?」

 と言った。

「結構、寝癖酷いかも」と亮は、顔をくしゃくしゃにして笑った。そして、

「言ってる俺も酷いかも」と言った。

「うん。亮も、凄いかも」

 あははと笑いながら有栖も言った。

「有栖ー」

 亮は、有栖の胸に顔を埋めて言った。

「なに?甘えん坊?」

 有栖は、亮の頭を撫でながら言った。

「昨日の今頃が、嘘みたいに、幸せだ」

「全然、眠れなかったもんね」

「うん」

「起きて、髪、直す」

 有栖が、ベッドを出ようとすると、亮が腕をつかみ、有栖を抱きしめた。

「まだ早いよ」

 と言いながら、長く甘いキスをした。

 6時のアラームで、目覚めると、有栖は、荷物の中から、着替えを出し、服を着た。

 そして、髪を直すために洗面台に行き、跳ねた髪と格闘していた。

 亮が、それを見ながら、

「有栖って、何してても、可愛いんだな」

 と言った。

「亮も直したら?」

 亮も寝癖を直すと、

「朝は、トーストでいい?」

「うん。ありがとう」

 亮が、パンを焼いてコーヒーを淹れてくれた。

「今日は、仕事何時まで?俺は、6時」

「私も9時~6時」

「同じだ。そのあと、スタジオで練習あるんだけど、有栖来る?」

「邪魔になると思うから、行かないでおく」

「そっか」

「その代わり夜、私が作るよ」

「有栖の手料理、楽しみ」

「プロには、かなわないよ」

「そんな事ないんじゃない。料理は、愛情でしょ?」

「じゃあ、愛情たっぷり入れるね」

「あ、鍵。スペア渡しておく」

 亮が、ベッドのある部屋から、スペアキーを持ってきて、有栖に渡した。

「ありがとう」

 有栖は、受けとると、自分のキーリングに付けた。

 二人で部屋を出ると、JRで、それぞれの職場に向かった。






 一汁三菜、作ると8時になっていて、亮が帰るまで、自分の荷物を片付けていた。

 棚が欲しいな等と考えながら片付けていると、亮が、帰ってきた。

「ただいま」

「お帰りなさい。お疲れ様」

「うわ、なんかいい匂いする」

「愛情たっぷり込めました」

「食べよう、おなか空いたよ」

 二人で食事を始め、亮は、美味しそうに食べてくれた。

「有栖、見た目と違って家庭的だね。料理も美味しい」

「どう思ってたの?」

「あんまり料理しないのかなって」

「店があったから、弟に食べさせるのに作ってたりしてたからね」

「あ、そうか」

「亮は、なんで調理師の専門学校行ったの」

「手に職をつけるためかな?」

「そっか」

「うち、母子家庭だったから、余計」

「お母さん思いだね」

「札幌に残っちゃったけど」

「いずれ帯広に帰る?」

「わからない。母さんを札幌に呼ぼうかと思ってる」

「その方が安心だね」

 有栖は、言うと、「ごちそうさま」と食器を片付けに、台所に立った。亮もごちそうさまをして、二人で、食器を洗い片付けた。



 春のLiveから、4ヶ月。1か月後に、SOULbeatのLiveが予定されていた。前回と同じ4バンドの出演だった。

 亮は、今日も練習で、帰りが遅かった。

「お疲れさま」

「ただいまー」

 と言いながら亮は、ベースを背中に背負ったまま有栖を抱きしめた。亮は、有栖を抱きしめるのが好きらしい。何かにつけ有栖を抱きしめ、そして、キスをする。いつも何かを確かめるように。

 一緒に暮らし始めて、亮の頼りがいがあるところに、有栖はどんどん惹かれていった。                    結婚しても、お嫁さんの尻には敷かれないタイプだろうなと思った。

 もしかすると、亮は、有栖の呑気なところに呆れているかもしれないと心配していた。

「亮?」

「何?」

「毎日、少し淋しい」

 一緒にお風呂に入りながら有栖は言った。

「練習、見に来てもいいんだよ」

 亮は、有栖の耳を触りながら言った。

「邪魔になるでしょ?他のメンバーもいるし」

「つかさちゃんは、毎回来てるよ」

「そっか。でも二人でいたいから、見には行かない」

「有栖は、甘えん坊なんだな」

「出会った頃は、こんなに淋しい気持ちになると思わなかった。亮の事どんどん好きになってく」

「俺も。ずっと側に有栖がいてくれたら幸せだな」

「私これから先、一生亮から離れないよ。約束する」

「ホントに?」

「うん」

「じゃあ…結婚する?」

「する。亮がそう思ってくれてるなら」

「有栖、二人で幸せになろう」

 お風呂上がり、婚姻届をプリントアウトし、記入すると、明日区役所に行く事を約束した。

 有栖の両親に報告し、婚姻届の保証人の記入をお願いしたら、快く応じてくれた。

 身支度をし、二人で、有栖の実家に向かった。

「有栖さんを、幸せにします。よろしくお願いします」

 亮は、有栖の両親に、挨拶をし、頭を下げた。有栖も一緒に頭を下げた。

「永塚くん、よろしく頼むよ」

 有栖の父が、亮の肩を叩いて言った。

「ありがとうございます」

 亮は言うと、有栖の父と母は、少し涙ぐんでいた。

 亮の部屋に帰り、亮の母にも電話で、結婚の報告をした。

「式を挙げる時も、連絡してね」

 と言っていた。




 次の日有栖は、仕事を終え、JR桑園駅のホームで電車を待っていると、誰かに後ろから背中を押された。危ないと感じた時には、もう、線路の上に横たわっていた。頭がボーッとして意識が遠退いていった。



 有栖が、なかなか約束した時間に区役所に現れないので、亮は、心配していた。有栖は、待ち合わせで時間に遅れる事など無かった。

 LINEのメッセージも既読にならない。それでも30分待って、有栖に電話をした。

 なかなか出ない。

「もしもし」

 知らない女性の声が聞こえ、続けて、その声の主は、病院の看護師だと名前を伝えられ、

「ご家族の方ですか?」

 と聞かれた。

「有栖に何があったのですか!」

 亮は、取り乱していた。

「駅のホームに転落して、頭を打っています」

「すぐ、そちらに向かいます」

「ご家族ですか?」とまた、聞かれた。

「婚約者です」

「ご家族の方に連絡してもらってもいいですか?」

「わかりました、僕は永塚です」

「よろしくお願いします」

 と電話を切り、すぐ有栖の実家に電話をすると、まだ店は営業中だった。

 電話には、有栖の母親が出た。

「永塚です。有栖が事故に遇いました」

 そして、先程聞いた病院を告げると、

「僕が、今すぐ向かいます」

「私も、すぐに向かいます」

 と有栖の母親も言って、電話を切ると、亮はタクシーを捕まえ病院に向かった。

 亮は、頭の中で、有栖の事を考えていた。有栖。さっきもっとどんな状態か、聞けばよかったと後悔していた。

 病院に着くと、救急外来に向かった。

 先程の看護師の名前を言って、

「永塚です」

 というと、ちょうど電話に出た看護師だった。

「ご家族には、連絡していただけましたか?」

 また、ご家族だ。

「有栖は、どんな状態なんですか?」と聞くと、

「ご家族の方にしかお話出来ません」

と言われたが、

「もう、結婚するんです。今、婚姻届出してきたら話してくれますか?」

 比較的冷静な亮だったが、耐えられず大きな声を出してしまった。

 そこへちょうど有栖の母親が現れた。

「有栖のお母さんです」

 亮は、看護師に言うと、

「永塚君、有栖はどうなの?」

と聞かれた。

「ご家族にしか言えないそうです」

 亮は、うなだれて有栖の母親に言った。

「早川有栖の母親です。娘はどんな状態ですか?」

 看護師に言うと、有栖の母親を案内しようとしたが、

「永塚君は、婚約者です。もう家族です。一緒に行きます。いいですね」と、有栖の母親の強い口調に負けたように、看護師は、亮も案内した。

 案内された病室のベッドに横たわる有栖は、今まで見たこともない真っ白な顔色をしていた。おでこにガーゼを貼られて眠っている。

「頭を打って、出血していましたが、骨や脳に損傷はありませんでした。しかし、運ばれて来てからまだ目を覚まさないんです」

 今度は、医師が名前を告げ説明していた。

 亮は、眠っている有栖の横に行き、右手を握り、

「有栖…」と声をかけたが、有栖は、ピクリとも動かなかった。

「警察の方の話ですと、早川さんは、桑園の駅のホームに立っていたところ、線路に突き落とされたそうです。犯人は女性で、ホームにいた男性と駅員が、取り押さえたとの事です」

 医師は続けた。

「どんな原因か、わかりませんが。そちらは、警察の方にお聞きください。目を覚ましたらお知らせください」

 と医師は去っていった。

「永塚くん、区役所には行ったの?」

 有栖の母親に聞かれた。

「待ち合わせしてて、時間が過ぎても来ないので、電話したら、さっきの看護師さんが出て、この状態でした」

「なんで起きないのかしら?」

「僕がこのまま、付いています」

「そうゆうわけにはいかないわ」

「いいえ、いさせてください、お願いします」

 亮は、その場で有栖の手を離さず、頭を下げた。

「わかりました。じゃあ、お父さんに知らせてきますね」

 と、有栖の母親はベッドから、離れた。

 亮は閉じた有栖のまぶたの長い睫毛を見ていた。

「有栖」

 何度声をかけても、瞼はピクリともしなかった。

 そのまま、夜は更けていき、有栖の父親が、現れると、亮の横に座った。

「犯人は、永塚くんのファンの女の子だったそうだ」

 有栖の父親は、小さな声で、呟くように言った

「え?」

 有栖の瞼を見ながら、亮の顔から、血の気が引いていくのがわかった。

「仕方ない事だと思うが、有栖が目覚めたら、これから先もこの子がこんな事に遭わないように守ってくれる自信はあるか?」

 と聞かれた。

「もちろんです。命をかけても、有栖を守ります」

「そうか。頼んだぞ」

 と、有栖の父親に肩をつかまれた。

 すると、有栖の瞼が、少し動いた。

「有栖?」

 亮が、右手を握り直すと、握り返してきた。

「有栖、俺だよ、分かる?」

 有栖が目をゆっくり開いた。

「亮…」

 有栖の父親が、有栖が目を覚ました事を看護師に知らせに行った。

「有栖、ごめん、こんな思いさせて」

「区役所行こうとしてた…」

 有栖が話し始めた。

「うん。大丈夫。一緒に行こう」

 瞬く間に医師と看護師が有栖を囲み、亮は有栖から、離された。

 医師が、有栖に色々な質問をして、有栖がぼそぼそと答えていた。

「有栖…」

 亮が呟くと、

「大丈夫だ」

 有栖の父親が言った。

 医師が、有栖の父親に、

「記憶もしっかりされてます。2~3日様子をみて退院するか決めましょう」

 と言った。

「ありがとうございます」

 と、有栖の父親が頭を下げた。亮も頭を下げたが、有栖が亮を見つめていたので、すぐ枕元に駆け寄った。手を握ると、

「亮、ごめんね」

 と有栖は、瞳に涙を浮かべていた。

「なんで有栖が謝るの?」

「約束してたのに、区役所」

「大丈夫だよ。いつでも開いてるんだし」

「うん」

「退院したら行こう」

「うん」

 今回の事で亮は、家族である事の大切さが身にしみた。

「家族になろう」

 有栖の手を握りしめた。

 亮は、3日間仕事を休み、有栖にずっと付き添っていた。

 明日、退院が決まっていた。

 退院後、そのまま区役所に行き、婚姻届を提出し受理された。

「もうすぐ、有栖の誕生日だね」

 亮が言うと、

「そうだね」

 と有栖は、頷いた。

「あっという間だった。出会ったのがこの間みたいだ」

 亮が言うと、

「幸せになろうね」

 と有栖が微笑んだ。

終わり

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SOULbeat 須藤美保 @ayoua_0730

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