第10話
「滝の裏に入るんですか? へえ、こんなふうになっているんですね」
「今度は、木のウロの中? あーっ、落ちるーっ」
「ここを泳げと? 待ってください、服を脱いでカバンにしまっちゃいますから」
森の精霊が示す奇妙な道を素直に辿っていくと、やがて木々がまばらになり、森を抜けた。
草原が広がり、どうやら旅人のための街道らしきものも見えた。そして、遠く離れた場所に建物もある。
「町の近くに到着したんですね」
トーリは後ろを振り返ると、森に向かって「ここまでのご案内をありがとうございました。大変お世話になりました」と深く頭を下げた。
「それではこれで」
そう言って歩き去ろうとしたトーリの後頭部に「待お待ちなさいな!」という声と共に軽い衝撃があった。
「なんでしょう……か?」
振り返ると、手のひらサイズの女の子が宙に浮いていた。背中に薄緑色の翼を持ち、新緑のような鮮やかなグリーンのふわふわしたドレスを着た女の子は、ちっちゃな顔にお怒りの表情を見せながらトーリに「あなたという方は……」と震える声で言った。
「ここまで共に歩んできた仲だというのに、いくらなんでもお別れがあっさりしすぎですわ」
彼女はどうやら森の精霊らしい。
「それは、失礼しました。ええと……」
「わたしは森の精霊、ピペラリウムですわ。あなたには特別にピピと呼ぶことを許しますから感謝なさいな。どうぞお見知り置きを」
「ピピさん、ご丁寧にありがとうございます。僕はトーリです。この度は町への道を案内してくださり、大変助かりました。ご親切に、本当にありがとうございます。なにか僕にできるお礼がありましたら……」
「そういうのはいいのです。あなたを森の外まで送ることは、アクアヴィーラさんからの頼まれごとですからね。わたしたちは親しい仲ですのよ。ただですね、仲良く森を抜けてきたわたしたちのお別れの時なのに、あんな挨拶ひとつで立ち去ろうとするとは思いませんでしたわ! トーリは寂しくないのですかっ!」
彼は『え? ピピさんは寂しかったのですか?』と首を傾げる。彼との別れを惜しんでくれる人など、ひとりも出会ったことがなかったからだ。
「いや、だいたい僕たち初対面ですよね?」
「ちょっと警戒して姿は見せませんでしたが、わたしはずっとトーリと一緒にいたのですわ! お茶を淹れた時なんかもちょっぴり貰って飲んでましたし! ご馳走様でした!」
怒りながらもお礼を言うところには、育ちの良さが伺える。
「全然気づきませんでした」
「あれは立派な森のお茶会と言えましたのよ。ですから、ふたりはもう、そのような関係ですの」
ドヤ! となぜか偉そうなちっちゃい人に、トーリは「はあ、そうですか」としか言えなかった。
「森の中にはたくさん美しい場所や楽しい場所がありますし、もう少しあなたをいろいろな場所を案内したかったのですが、まあ、トーリは人里に向かうという目的がありましたから。それは仕方ないです、引き止めません。でも、今後、たまに森に遊びに来てもらうことはやぶさかではありませんので」
「はあ」
「この森にはアプラとかブルーバとかリバンバンとか美味しい果物がたくさんなっていますから、あなたに限っては好きなだけもぎにいらしてもよろしいのです。いくらでもお土産に差し上げると申しておりますのよ、おわかり?」
「はあ、そうなのですね」
「トーリは少し鈍いところがありますね! わたしが目をかけているのですから、もっと欲を持って、自発的に迷いの森を訪れなさいと言っているのです。……心配なので、ちゃんと森に遊びに来れるようにうちの子をつけて差し上げます」
「ぶっ!」
小さくてモフッとしたなにかが彼の顔面に激突したので、そっと剥がしてみる。
リスだった。
普通のリスが「す?」と首を傾げてからトーリの手から逃れ、彼の右肩に乗って「す!」と勝ち誇るように宣言した。
「うちの森の子ですから、仲良くしてくださいね」
「ええと、可愛いですね、あの、この子は……リスですね?」
「リスです」
「もしかして、すごい魔法を使ったり、人に変身したり、霊獣とか神獣とか、そういう感じの……リスですか?」
「いいえ、ただのリスです」
「……」
右を向くと、左を向いたリスが「す」と鳴いた。つぶらな瞳が愛らしかったので、トーリは思わず微笑んだ。
「森の中でも屈指の
「なるほど、戦闘能力を備えたリスなんですね!」
「いいえ、戦えません。心が強い者なのです」
「……心が強い、ただのリス?」
リスは「す!」と偉そうに頷いた。この子は鋼の心臓を持つようだ。
「それでは、わたしはトーリの幸せを森で祈っておりますわね。近いうちにまた遊びに来るのですよ」
「わかりました。次に会える日を楽しみにしています」
「ごきげんよう」
女の子は片手をあげて可愛らしく笑うと、森の中に飛んで消えた。
「すー」
リスも片手をあげて見送っている。
「……あの」
「す?」
「君には名前とかって、ありますか?」
「すぅ」
リスが否定するように鳴いたので、とりあえず名前をつけることにした。
「それでは、リス太郎というのは……」
顔を尻尾で殴られた。
「リスっ子、リスリス、リース、コリスリン」
殴られて引っ掻かれて、鼻の穴にどんぐりを詰められそうになった。
「やめてやめて、鼻に詰めるのはやめて。どんぐりのすけ? じゃなくて、ええと、強そうなやつがいい? 可愛いの? じゃあ、りんりん、ベルベル、ペロ、ベルン「す」…… 」
リスが鳴いた。
「ベルン?」
「す」
「ベルンがいいんですね。それでは君は今日からリスのベルンです」
命名されたリスのベルンは満足そうに「す」と鳴くと、どんぐりをどこかにしまおうとし、トーリの鼻の穴に突っ込みかけたことを思い出してぽいと捨てた。
食用の基準を満たさないらしい。
「普通のリスって『す』って鳴くんですね。よろしくお願いします」
ただのリスのベルンは「す」と答えると、どこからか取り出した胡桃の殻を割って食べ始めた。肩の上に胡桃のかすをくっつけたトーリは、「可愛い相棒ができました。旅らしくていいですね」と、ほっぺたを膨らませるリスをチラチラ見ながら、町に向かって歩き始めた。
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