第5話


「三日間は水を飲まなくても大丈夫ということは、僕が三日以内に人が住む場所に到着できる、という前提のアクアヴィーラさんの気遣いですよね」


 道と言っても獣道に近い、背の高い草が生い茂る道をたどりながら、トーリは考える。


「このマジカバンの中には、野営する時に役立ちそうなものが……いわゆる初心者冒険者セットらしきものと、携帯食料が入ってましたね。久しぶりのソロキャンプでも楽しみましょうか」


 高い枝から時折葉鳴りが聞こえるくらいの静かな森で、ひたすら前に足を進めていると、がさり、と音がした。

 見ると、そこには巨大な狼がいた。


「……うわああああ!」


「グワアッ」


 真っ赤な口に鋭い牙が並んでいるのを見て、トーリは踵を返すと叫びながら闇雲に走った。


「なんですかアレは! 角のある狼なんて、めっちゃ強そうなやつじゃないですか! 最初に遭遇するのがあんな化け物とか、おかしいですよね、ゲームバランスが狂ってますよ!」


 いや、これは現実であってゲームではない。


「いやあああああーっ! 全力疾走おおおおおーっ、身体強化あああああーっ、ぬおおおおおおーっ!」


 気合いを入れながら走るが、十メートルほど後ろからついてくる角あり謎狼を振り切ることができない。


「誰かああああーっ! 助けてええええーっ!」


 追い詰められている割には景気よくいろいろと叫びながら、トーリは走った。そのままかなりの時間を、大きな牙が生えた口から涎を垂らしながら走る狼と追いかけっこをしていたのだが。


「……おや? 僕、全然疲れていない……んですけど」


 トーリは異常に気づく。足元の悪い森の中を全力疾走しているのに、まったく疲労感を感じないのだ。凄まじい速さで枝や倒木、岩といったいくつもの障害物を避け、時には高く飛びあがりながら、走り続けているというのに、息があがらない。


「さすがは僕の作ったゲームキャラ、想像以上にスペックが高いようですっ、ねっ!」


 彼は勢いよく飛ぶと、頭上にあった枝をつかみ、回転しながら身体を引き上げるとそのままするすると木を登った。下を見下ろすと、突然姿を消した獲物を探して、ゼェゼェと激しい息遣いする狼もどきが辺りの匂いを嗅ぎ回っていた。


 トーリはさらに上へと登る。三十メートル以上登ってもまだ中程だ。この世界の木は日本とは違って五十〜六十メートルはありそうだった。


「この高さまで登ってしまえば、痕跡がわからなくなるんですね……もしかすると、隠密とかのスキルがあるのかな? エルフキャラの特性で、身軽で身を隠すのが得意なのかもしれません。ふう、それにしても危ないところでした」


 汗を拭うそぶりをするが、実は全然汗ばむこともなく涼しい顔をしていた。


「もしかして、腕力もあったりして?」


 右手の拳を作り、木の幹を殴ってみる。

 がっ、という音がして、拳に激痛が走る。


「あたたたたっ、痛い、普通に痛いって」


 身体強化をせずに殴っても、柔らかな子どもの拳だ。

 目に涙を浮かべて、手をひらひらと振った。見ると指が軽く擦りむけて、血が滲んでいた。


「ははっ、これはですね、回復魔法の練習をしようと思って、わざとやったんですよ」


 誰も聞いていない言い訳をして、彼は左手のひらを擦り傷にかざした。


「……反応なし、と。回復って、やっぱり呪文を唱えるんでしょうか? ホイ○、ヒール、ケア○、リリ○、ええと、キュア? ちちんぷいぷい、治れ治れー、あとは……」


 その時、誰かが耳元で『アクアヒール』と囁いた。先ほど会った水の精霊の声らしい。


「え、アクアヒールですか?」


 その途端傷が光り、傷ついた皮膚がはがれ落ちた。そこには新たな皮膚ができて、擦り傷は完治している。

 

「これが魔法というものですか。リアルで見ることができて感激です」


 触れてみると違和感もなく、綺麗な肌に戻っている。日本にいた時は浅黒くてごわっとした手触りのおっさん肌だったのに、今は滑らかな白い肌だ。色白に長い金髪、菫色の瞳に尖った耳がトーリのイメージとしてのエルフの姿であったが、それが忠実に再現されていた。


 さらに、中性的な整った容貌。ここに『優しそう』が加わり、男女問わず人目を引くような美少年の姿になったことを、彼はまだ自覚していなかった。


「なるほど、損傷した細胞が落ちて新しくできる、というのが水系統の回復魔法なんですね。ということは、治癒するけれど体力が持っていかれるのでしょうか。使う時には注意が必要ですね。できれば綺麗な水で汚れを洗い流してから治した方が良さそうです。魔法を使えばなんでも治るゲームと、現実は違いますね」


 枝に座って足をぶらつかせながら、トーリは考える。エルフは木と仲が良い種族なので、自分の家のリビングにいるような落ち着いた気分になっていた。


「とりあえず、恐ろしい魔物から逃げられるくらいの能力はあるようですが、この世界で無事に生き延びたければ、自分に何ができるのかをつかんでおく必要がありそうですね」


 女神の加護があっても、彼は万能ではない。

 魔物に遭遇した彼は、油断してはならないと気を引き締めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る