第5話 赤か青か

「……勝った」


 足元にのびたテロリストのリーダーを見下ろして俺は息をついた。

 そろそろ慣れてきたのが分かる。

 なににとは言わないが。

 またかという感じである。


 俺は見回してアタッシュケースを視界に入れた。

 それは位置を少しも変えることなくそこにあった。

 傍らに膝をつく。


「こ、これは……!」


 俺は愕然とした。

 アタッシュケースからはコードが赤と青、二本のコードが飛び出し、それがカウントダウンを刻む表示板へとつながっている。

 もう時間は五分を切っているようだ。


 これは早く止めなければならないのだろう。

 きっとそのためにはどちらかのコードを切る必要があるのだろう。


 手をわななかせながら叫ぶ。


「古典的!」


 いやわかりやすいのは助かるが。

 とりあえずざっと配線や回路を見た感じ、青のコードを切ればいいようだ。


 しかし。


 スマホがピ、と鳴り、俺は体をこわばらせた。

 嫌な予感とともに画面に目をやる。

 『赤のコードを切る』『青のコードを切る』、多数決開始。


 馬鹿な、と俺は目を見張る。

 こんなところで? こんな状況で?

 戸惑う俺に、スマホが着信を告げた。


『…………』


 電話の向こうからは、しばらくは何の言葉もなかった。

 聞こえるのはかすかな息遣いだけ。


「……誰だ?」


 問いかけると、『ケンくん……』と相手は応えた。


「綾香か?」

『うん、そうだよ……』

「どうした、何かあったか?」

『ケンくん、わたし……』


 綾香は何かを言おうとしたようだ。

 が、その前におそらくは誰かが横からその電話を奪った。


『どうも。健太郎くん。元気してるかな?』


 その声には聞き覚えがあった。

 俺はかみつぶすようにその名を言う。


「上野、吾郎……!」

『うわあ怖い声』

「貴様、なんの用だ。綾香に何をした!」

『いや何も。今のところはね』


 含みのある言い方をして、奴は言葉を続けた。


『が、それが続くとも限らない。すべては君次第だ』

「どういう意味だ」

『取引と行こうってことさ』

「取引だと?」


 なにやら不穏な言葉だ。

 上野は言葉に笑みの気配を混ぜる。


『そう。内容はこうだ。君はこれから一生僕の言うことを聞く。その条件を飲むなら青のコードを切ることを許す』

「な……ふざけてるのか!」

『大真面目だよ。君も知っての通り今の僕には多数決の結果を自由に動かす力がある。僕の言う通りにすれば君は無事生還することができる』


 でももし逆らうのなら、と奴は付け加えた。


『君も君の幼馴染の安全も保障しない。ああそうだ、委員長のようにな』

「お前……!」

『よく考えるんだね。愛しい人の声でも聞きながら』

『ケンくん……!』


 また綾香の声が聞こえる。


「綾香、綾香!」

『ケンくん、ごめんね、わたしのせいで……』

「いいやお前は悪くない。こんな事態になるまで対処できなかった俺のせいだ……」

『ううん違うのわたしのせいなの。わたし本当はケンくんに武装清掃係になんてなって欲しくなかった。危険な目に遭ってほしくなかったから……』

「綾香」

『ケンくんお願い、わたしケンくんに死んでほしくないよ』

「綾香……」

『わがままでごめん……でも、だから』

「綾香……だが俺は……」

『おっとそこまでだ』


 また上野のクソ野郎の声に代わった。


『さあどうする健太郎くん。時間がないぞ』

「……っ」


 俺は呆然としたまま爆弾の表示板を見下ろした。

 もう残り二分を切っている。

 時間がない。


 頭の中をいろいろなことが駆け巡った。

 超民主主義の教室に、選ばれしエリートの一人として迎えられた日のこと。

 武装清掃係になるために特訓した日々。

 それから、いつでも俺を支えてくれた優しい幼馴染のこと。

 さっき蹴ったペンタ君。悪かったからあまり恨むな。とりあえず走馬灯から退出願いたい。


「…………」


 取引に応じなければ俺の命はない。

 しかし、応じたところで俺の未来はない。

 綾香もきっと奴のものになってしまうだろう。

 奴の真の狙いはこれだった!


 俺の行き場のない感情は、ないまぜになって渦を巻く。

 そして胸をつき喉からほとばしり、俺の体をつき動かした。


「な、ななななななななあああああ!」

『健太郎くん?』


 アタッシュケースをひっつかみ走り出す。

 叫びながら廊下を走り、階段をかけ上がり、突き当りのドアを蹴り開ける。

 そうして屋上にたどり着く。


「南無三!」


 そこで俺はアタッシュケースを置き、そしてその赤のコードを一気呵成に引きちぎった。


 無音の閃光と激しい爆風が、屋上もろとも俺の体を吹き飛ばした。

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