第10話

第10話 一つの願いが平穏を作る




 フロスは、過去の過ちを語り始める。


「毒に瀕する我らには、二つの救済法がありました。一つは、宇宙船による脱出。もう一つは、毒を中和し星を生まれ変わらせる方法。両方を選べる程リソースは残っておらず、より確実な方に注力するしかない。そこで、仮実験で査定する事にしました。先に高い可能性を示したのは、中和策。何処にでもある素材で賄え、人員も少なくて済む。仮実験が遅れていた宇宙船案を大きく引き離していた。ですが、結果的に選ばれたのは、宇宙船案。原因は、権力者によって歪められた偽造データ。再度提出し再考を促すも、結果は覆らず、そのまま宇宙船案で進められる事に。納得するしかなかった。議論する時間すら惜しかった。でも、たった一人、反対し続けた者が居た。それが…ヴェノスです。宇宙船が完成しても乗り込まず、一人残り、毒の中和を行い続けた。彼女が固執したのは、プライドでも、怒りでもなく、一人の男性への愛。死病に苦しむ彼を救う為には、どうしても中和を成功させるしかなかった。3年後、努力の甲斐があり、ようやく中和策が完成。直ぐに、愛する彼に完成の報告する。数日後、一隻の揚陸艇が降りてきた。降りてきたのは、愛する彼と美しい女性、そして、小さな男の子。彼は、悪びれるでもなく「妻と息子」と紹介し、隠し持っていた毒塗のナイフで突き刺した…」


 里留は、腹を摩る。ヴェノスの痛みを少しでも和らげる為。


「彼の背後には、宇宙船案を推進した権力者の姿。彼女から中和剤を奪い取り、代わりに精製した毒をばら撒いた。毒は広がり、浄化した大地を再び穢していく。ヴェノスは、必死に懇願した。「どうか、この星だけは…」。しかし、耳を貸さなかった。星の命が絶える姿を眺めながら、彼らは去って行った」


 遠い古の話。フロスは直接関わっていない。その筈だが、何故か当事者のように辛そうに話している。


「宇宙船案には、大きな問題がありました。宇宙に脱出したところで、船体や肉体に残った毒は排除できない。時間が経てば毒は濃くなり、いずれ星と同じ環境になる。結局は、中和するしかなかった。しかし、偽装データで貶めた所為で応じてくれない。そこで、篭絡し手に入れる事にした」


 何もかもが自己都合。ヴェノスの事を全く考えていない。里留も段々腹が立ってくる。


「もう良い。十分だ。これ以上は、聞くに堪えん」

「では、最後に……彼らは、今も生きています。ヴェノスを裏切った彼は、最大勢力を率いる将軍に。宇宙船案を推し通した権力者は、ブレメル星の国王に」


 復讐相手は明確。だが、あまりにも遠い存在。仮に地球まで誘き寄せる事が出来ても、簡単に達成できるとは思えない。


「彼らを地球に呼べるか?」

「不可能ではありませんが……まさか、復讐させる気ですか?」

「ヴェノスには、理由も、権利もある」

「相手が強大過ぎます。呼ぶ事が出来ても、多くの兵を伴っています。そんな中、復讐出来るでしょうか? 仮に復讐に成功したとして、報復を回避する術がありません。今更真実を振りかざしても、英雄と称えられてきた彼らに勝てない」


 身を案じてくれているのは、とても嬉しい。でも、ヴェノスの気持ちを考えると、復讐を諦めろとは言えない。誰よりも気持ちが分かる者として。


「今の俺は、ブレメルにとってどんな存在だ?」

「………何よりも敬愛する御方です」

「それは、王よりも?」

「…はい」


 1000年の時を経て、更に里留の人気は上がっていた。国王が負けるほどに。


「策をくれるか?」

「…分かりました。ですが、盤石を期す為に協力して下さい」


 予期せぬヴェノスの登場で、これまでの計画では不十分になった。里留を守る為にも、手を抜く訳にはいかない。全ての不安因子を炙り出し、可能な限り排除。出来なければ、計画に狂いが出来な範囲に収める。フロスの心労が濃くなる。




 ビルと角虫は、ガゼットの遺体を回収しに向かった。だが、手下の死体は残っていたが、ガゼットの死体だけは無い。角虫は確かに絶命を確認しており、自力で退避した可能性は考えられない。異変を探ると、数人の手下に針が打たれた跡が残っていた。フロスの調査で、注射針である事が判明。注入された物の判別は出来なかったが、針の痕跡がある者はガゼットの遺伝子に非常に似通っていた。一卵性の双子と同レベル。リザードマンの性質上、遺伝子が酷似する可能性は低く、誰かが意図的に遺伝子を操っていたとしか思えない。




 魔王城に戻った里留は、机に向き合い難題に窮していた。盤石を期す為の条件は、この世界を題材にした新作の発表。勿論、平穏で凹凸の無い物語は必須。しかも今回は、地球人にもある程度好まれる内容でなければならない。


「参ったな…」


 意外や意外、『平穏で凹凸の無い』がハードルになっている。幾ら書いても、波乱万丈な物語が展開されてしまう。見てきたものの所為、仕方がない。フロスは慰めてくれるが、それが余計にプレッシャー。


(どうしてだ?)


 ヴェノスの声が頭に響く。


「何の事だ?」

(復讐の件だ。どうして、手伝う? お前を殺そうとした女だというのに…)

「叶える姿を見たい。それが理由だ」

(お前は、諦めたのか? まだ憎悪は残っているのに?)

憎悪があっても、相手爆弾が在っても、導火線が無ければ爆発しない。俺には、導火線が無い。勇気と言う名の…。一度、復讐を決意し、行動に移そうとした事がある。夜更けに侵入し、枕元でナイフを構えた。でも、出来なかった。怖かったんだ。憎くて堪らない相手が、ただの被害者として処理されてしまったら…そう思うと」 


 里留が恐れていたのは、真実が死によって隠れてしまう事。犯した罪は葬られ、場合によっては美化される。自分だけが罰されて、復讐相手は平穏を満喫する。どうしても受け入れられない。


(……考えた事も無かった。そんな事態…)

「考えるな。復讐を願うなら…」

(変わった奴だ。復讐を奨励するとは…)

「諫めると思ったのか?」

(文明が進んだ世界では、許すように諭すのが通例のようだが…)

「そういうの嫌いなんだ。復讐に至る気持ちを軽視し、一般論に基づく正義感を振り翳す。虫唾が奔る。法に委ねるべき? 虚しいだけ? 今を大事にしろ? 許し難い悪に平穏を与え、一生苦しみを背負えと?」

(私よりも、復讐に五月蠅いな…)


 押し負けたヴェノスは、溜息を残して眠りについた。




 日々徹夜しても、新作はなかなか完成しない。数ページの下書きは出来ている。シロからは「面白い」と好評を得ている。しかし、肝心の平穏で凹凸の無い物語ではない。これでは、ブレメルを納得させられない。




 どんなに頑張っても、平穏が書けない。里留には、頭を抱える事ぐらいしかできない。あんなに簡単に書いていたのに、どんなに工夫しても面白くならなかったのに、今はそれが出来ない。自分でも理由が分からない。

 扉をノックする音が聞こえる。


「フロス、悪い。まだなんだ…」


 ゆっくり扉が開き、誰かが入って来る。


「ビルか? すまないが、今はそっとしておいてくれ…」


 それでも近づいてくる。


「サニー? 飯は、その辺に置いてくれ。角虫なのか? 神鋼?」


 直ぐ後ろで止まり、息遣いが耳元に迫る。


「…魔王様は?」


 聞き覚えのある口調、声。しかし、あり得ない。居る筈がない。

 振り返ると、そこには見慣れぬ顔。幼さの残る、美しい人間の女性。長い黒髪を束ね、貝殻のイヤリングを付け、甘いチョコレートの香を漂わせている。記憶の端に、同じイメージが存在する。


「まさか………リヴィア、なのか?」

「やっぱり分かってくれた。心配だったんだ、嫌な記憶だから忘れているかもって…」


 リヴィアが利羽だった頃の姿。里留の記憶に近づけるべく、わざと今の格好をしている。よく遊んでいた頃の馴染み深い姿。そして、残酷な経験を想起する姿。


「どうして?」

「直ぐに分かって欲しかったの。「誰だ」って言われたくなくて…」

「そうじゃない。どうして、生きているんだ? 記憶の保存が出来る状況ではなかったのに…」


 記憶の保存には、脳が生きている必要がある。フロスが間に合ったとは思えない。


「私、メモリーキメラになったの。ヴェノスが、「復讐の為に生き返らせてやる」って」


 里留のスランプ脱出には、リヴィアが必要。ヴェノスが至った答え。半信半疑だったが、里留の心を確認すると正しさを実感出来る。復讐とは程遠い感情の嵐に、優しく微笑む。


「ありがとう…」


 感情を抑えきれず、リヴィアを抱きしめる。

 伝わってくる温もりは、失わなかった大切な証拠。




 リヴィアが帰ってきたお陰で、平穏で凹凸の無い物語が帰ってきた。代償として面白くなくなったが、何故か地球人の中にも喜んでくれる者が現れた。まだまだフロスの求める水準に届いていないが、地球再生の為にも、ヴェノスの復讐の為にも、小さな一歩を踏み出せた。

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