第9話

第9話 ブレメルの罪



 角虫は、赤い槍をガゼットの眉間に合わせ、ゆっくり近づく。重々しい鎧は擦れても音が鳴らず、力強い一歩でも砂は静かに流れる。


「虫風情が……」


 ガゼットの本能は、「戦うな!」と言っている。しかし、敗走を許す思考は持ち合わせていない。脇に携えたもう一本の剣を鞘から抜き、二刀流で迫って来る角虫に向かって構える。剣を構えると、本能は静かになっていく。

 迫りくる感覚に耐えられず、ガゼット先行。槍を躱し、横から斬りかかる。あと少しで刀身が触れるタイミングで、赤い槍が突如刀身の内側に入り込んでくる。咄嗟に剣を捨てて後退し回避。辛うじて成功。だが、背中に槍が突き刺さる。その時、ようやく違和感に気付く。角虫は、一切行動を変えていなかった。未だに槍を構えてゆっくり動いているだけ。




 角虫が戦っている最中、里留が急に立ち上がる。瞼を閉じたまま、フラフラとルーズに向かって歩き出す。神鋼は、里留を抱きしめ歩みを止める。だが、人の物とは思えない力で押し退ける。それでも、神鋼は何度でも抱きしめて止める。




 ガゼットは逃げ回る。出来るだけ遠くへ、出来るだけ複雑に。しかし、逃げた先には常に角虫の槍が存在している。一切態勢に変化は無い。動きは遅く、槍は前に突き出したまま。何故追いつかれるのか、何故槍を受けてしまうのか、全く理解出来ない。とにかく今は、何が起きているかトリックを見抜くしかない。


「これならどうだ!」


 尻尾を振り回し、自身の周囲に砂埃を立てる。見通しが利かなくなるほど、何度も。この状態なら、迫ってきたら分かる。優れた聴覚で砂の音に集中し、異変の発生を待つ。小さな異音、丁度槍先のサイズ。これが一か所なら居場所を特定出来た。異音の数は、数えきれないほど多い。異音全てが角虫の槍なら、異様な高速移動か、複数に分身している。どちらも信じがたい。もう一つ、可能性を見出す。本来と違う物を見て、本来と違う音を聞いている。最後の可能性を信じて、敢えて何もせず状況に身を任せる。予想通りなら、幻覚に陥っている。襲い来る攻撃は一つ。それさえ乗り切れば、反撃に移れる。

 背中に槍先が刺さる。数は一つ。刺さった状態を維持し、尻尾を思いっきり振り回す。手応えあり。何かを確実に吹き飛ばした。近づいて角虫の状態を確認する。だが、そこに居たのは逃げた筈の手下。予想は合っていた、幻覚に陥っていた。違っていたのは、内容。手下を角虫と思わされていた。逃げた先に槍があったのは、操った手下を方々に配し、近づいたら攻撃するように仕向けていた。

 砂埃をかき分け、操られた手下達が四方から襲い掛かって来る。異音の数は合っていた。




 里留は、神鋼を引き摺りながらルーズまで戻ってきていた。

 村を荒らす手下が数人集まって来る。


「お前は……例の獲物か!」


 ガゼットが殺す対象に指定している。ただ、どうやって里留と判断しているのか疑問が残る。直接会う以外に知る術がない筈だが…。


「近づくな。後悔する」


 忠告は無視され、武器を手に近づいてくる。

 神鋼は、黒く大きな盾を頭上に掲げる。すると、盾の中心に二人を覆う透明の膜が展開。あまりにも薄く、風に靡き揺れる。手下達は突破出来る侮り、一斉に襲い掛かる。刃が膜に触れた瞬間、空間が捻じれ自身の方へ反転。自らの刃で、自らを切り裂いてしまう。

 手下は全員沈黙した。だが、里留は止まらない。ルーズの中央に歩いていく。目線の先には、避難の際、サニーが持ち込んだ星を象ったオブジェ。辿り着くと、両手で押し始める。グラグラ揺れるが、倒れない。どんなに強く推しても、反動で返って来るばかり。


「………小癪な」


 里留の声ではない。枯れてはいるが、若い女性のように聞こえる。

 里留の掌から、黒い球体が放たれる。

 オブジェに当たる寸前、神鋼が盾で受ける。


「産み出してやったのに、恩を仇で返すのか?」

「恩があるのは、お前じゃない。お前は、里留おとうさんの体を利用しているだけ」

「里留を維持しているのが私でも、そう言えるか?」

「無自覚の愛に守られていたのは? 1000年の間、お父さんは、お前を排除しなかった」


 里留(?)は、動きを止める。腕を組み考え、再び掌をオブジェに向ける。


「余計、楽にしてやらないと」


 新たに放たれた黒い球体は、盾に抑えられている物と融合し爆発。神鋼は、鎧が損傷し動けなくなる。

 その隙に、三発目。オブジェに命中し、粉々に砕け散る。


「フロス……早く…」


 神鋼の願い虚しく、フロスはまだ来ない。

 空気が淀み、毒の濃度が濃くなっていく。里留の体が毒に侵され、皮膚が紫に染まっていく。


「毒が体を犯し、命と記憶を奪う。もう二度と苦しむ事はない」


 体が死に近づくほど、潜んでいた何かが強くなる。

 髪が長く伸び、顔立ちが女性に。

 胸が膨らみ、華奢な体つきに。


「ようやく、復讐が果たせる。早く来い、裏切り者!」


 里留は、大人びた少女に変わる。美しく靡く長い黒髪、透き通った蒼い瞳、額より伸びる純白の角。里留の要素は完全に消えている。美しい容姿に漂う禍々しい雰囲気が特に。

 リヴィアの遺体を抱え、角虫が走って来る。神鋼の状態、里留の変化、全てを悟るには十分だった。


「ヴェノス、お父さんを返せ」

「断る。それに、もう手遅れ。今更何をしても無駄。だったら、復讐の為に費やしても良いのでは?」

「お父さんを維持していたのは、お前だ。その気になれば…」

「断る! 恩着せがましいにも程がある」

「忘れたのか? お父さんの温もりに癒された日々を」

「………意志は介在していない」


 ヴェノスと呼ばれる少女。彼女には、消し去れない憎しみがある。だが、里留に施された愛も忘れる事は出来ない。両方を天秤にかける。どちらにも傾かない。

 迷っている間に、角虫は視覚を偽装し、槍を腹辺りにゆっくり合わせる。気付かれないように、間違えないように。


「ヴェノス、お父さんと対話しろ」


 角虫の槍が、ヴェノスを腹を貫く。


「…油断した。まぁ、良い。望み通り、里留と対話しよう。事実を知った彼がどんな結論に至るか、興味がある…」


 ヴェノスから里留に戻る。しかし、瞼は閉じ、意識は戻っていない。




 しばらくすると、遠くから足音が近づいてくる。


「先生!」


 汗まみれのフロス到着。呼吸を整えず、里留の様子を窺う。血色が良くなり、心音に乱れは無い。

 遅れてきたビルが、町に新しいオブジェを配置する。毒の濃度が安全圏内に落ち着く。


「フロス様、事態は収拾しました」

「何を言っている。まだ、何も解決していない」


 角虫と神鋼、突如現れた二人にフロスは尋ねる。


「お前達は、何者だ?」

「角虫」

「神鋼」


 名を聞いて、真っ先に里留が育てた虫の存在が浮かぶ。しかし、今の姿と直結しない。

 察した神鋼が、疑問を晴らす。


「…ヴェノスの細胞から生まれた『記憶変種メモリーキメラ』、と、言えば?」


 フロスの表情が強張る。


「ど、どうして…ヴェノスが?」

「テラフォーミングには1000年が必要だったが、お父さんの体はどんな補強策も通じず、冷凍睡眠が使えない。そこで、一か八かで未知の物質に希望を託した。奇跡が起き、肉体補強に成功。テラフォーミングを終えるまでの間、冷凍睡眠を実行する事が出来た。しかし、奇跡はヴェノスの計略。未知の物質は……ヴェノスの細胞」


 里留から離れ、冷や汗を垂らしながら俯く。


「角虫、神鋼。メモリーキメラは、どちらに属している?」

「お父さん」


 角虫の無邪気な声に、反意は無い。それでも、フロスは警戒を解けない。


「…ヴェノスはまだ、裏切りを許していないのか?」

「浄化装置を破壊し、母星にお父さんの危機を晒す。それが答え」

「では、なぜ解毒をした?」

「ヴェノスは、お父さんに感謝している。拒絶せず、守り続けた事に。だから、最後まで裏切れなかった」


 里留の瞼が開く。


「フロス、教えてくれ。何があったのか、その口から聞きたい」

「先生……」

「安心しろ。俺は、何を聞いても逃げない」


 フロスの重い心の扉は、軋みながらも開く。


「汚染された星を捨てた日、僕達は……一人の女性を見捨てた。誰よりも未来を憂い、希望を捨てなかった最大の功労者を…」


 里留の体は、ブレメルの罪が記憶されている。

 償うべき罪人の手でインプラントされた。

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