第6話
第6話 花嫁衣装
創生起源歴1006年。年明け早々、暴虐の都はルーズに戦闘を仕掛けた。戦い慣れた残忍性に、何処から仕入れたか不明の槍。平穏育ちのルーズの民は一方的に蹂躙され、多くの死者を献上する羽目になった。しかし、ルーズを目前にした廃墟地帯で事態は急変。数多仕掛けられた罠と伏兵が効果を発揮し、暴虐の都を敗走に追い込んだ。
ルーズ、市長室。
負傷者のリストを並べ、シロは頭を抱えていた。
「秘書、暴虐の都の動きは?」
右目に眼帯をはめた秘書が、左目を細め書類を読み上げる。
「シェルター内に籠り、次戦の準備をしているようです」
「自警団への参加者は?」
「未だゼロ。初戦が影響していると思われます。可能なら、魔王城に救援要請しては如何ですか?」
「………それは、最後の手段だ。ここは我々の町、自らの力で守りたい…」
罠も伏兵も、シロ一人で考えた策。誰の力も借りず、暴力に屈しなかった。ただ、暴虐の都は、本気で戦っていない。ルーズに圧を掛けるのが目的で、撤退は織り込み済み。戦力を消費させ、疲弊したところを攻め落とす算段。シロも気付いているから、必死に対策を練っている。
魔王城、里留の私室。
机に広げられた地形図には、ルーズと暴虐の都の勢力関係が記されている。実際の様子とは違い、暴虐の都が既にルーズを攻め落としている。これは、未来の地図。何もせずに放置した場合の状況。
里留とフロスは、策を手元に悩んでいた。
「先生。このままでは、ルーズが…」
暴力の世界では、本の普及は絶対に叶わない。何としても、ルーズに勝ってもらわないといけない。だが、こちらはこちらで頑な。
「シロの救援要請待ちだ。彼らの意思を挫きたくない…」
暴虐の都を倒すだけなら、フロスとビルを派遣すれば直ぐに終わる。何の策も必要ない。今必要としているのは、シロの頑なさを解く方法。
扉をノックし、リヴィアが入って来る。
「魔王様は?」
「今日も留守だ…」
急いで地図を隠すが、一歩遅く、リヴィアに取られる。
「これ…何?」
「そ、それは……」
シロ唯一の頼みで、リヴィアを預かっている。戦争に巻き込まない為、父との邂逅を避ける為。この地図が何を意味しているか伝えれば、リヴィアは全てを悟り心に傷を受ける。自分だけ何も知らず、守られるだけ、と。あの日、父の愚行を知った瞬間から、リヴィアは繊細になった。
「ボードゲームだ。一緒にやるか?」
「……やらない。それより、話を聞いて?」
原稿用紙を一枚取り、リヴィアは名前を書き始める。
フロスは、慌てて止める。
「何のつもりで?」
「私の本当の名前を教えるの。人間だった頃の…」
リヴィアは、フロスが止める理由を知っている。それが自分にとって必要な行動だという事も。
何も知らないのは、里留だけ。
「フロス。それを知ったら、俺はどうなる?」
「………覚悟を問われます」
地球を救う以上に覚悟を問われる? 想像できない。だが、覚悟しなければ、リヴィアを傷つける気がした。
「教えてくれ」
リヴィアは、原稿用紙に続きを書いていく。先に名前、
「私は、田里利羽。
里留の顔が青ざめる。呼吸が荒くなる。椅子から転げ落ち、這うようにリヴィアから離れる。
「………面白かったか? あの日、俺はどんな顔をしていた?」
「あの時、私は……人じゃなかったと思う。だから…」
「面白かったかと聞いている!」
答えられず、押し黙る。それがリヴィアの限界。
「学校に来るな? 村から出て行け? 靴を履くな? 飯を食うな?」
「ごめんなさい…」
「言われ続けた俺は、どんな顔をしていた? さぞ面白い顔していたんだろ?」
封印していた記憶が、復活していく。里留が小学生だった頃、事情を抱え身を寄せた小さな村の記憶。
「先生、落ち着いてください!」
フロスの制止を受けて、里留はベッドに退避。大門次郎を抱きかかえて、何とか平静を取り戻す努力をする。良い記憶を思い出す、父と母の顔を思い出す。だが、直ぐに塗りつぶされる。壊れた車体の中、炎に包まれる二人の姿。窓を必死に叩いて大声で叫ぶと、目を覚ました母が「ごめんね…」と最後の笑みを見せ、焼き尽くされていく。助けを求めて崖上を見上げる。そこには、見下す目。炎の明かりだけでは顔の全てを確認出来ない。
「リヴィア。誰だ? 誰が、殺した?」
「………お父さん」
あの時の目は、一人の物ではなかった。少なくとも、二人以上。
「リヴィアも、居たんだろ? 父親と一緒に」
「……ごめんなさい」
フロスは、強引にリヴィアを連れ出す。里留の憎悪を抑える為であり、リヴィアの身を守る為でもある。
部屋の外に出ると、勢いそのままにリヴィアを壁に叩きつける。
「余計な事をしたな! 先生の心を壊したいのか?」
「私は、ただ……」
「楽になりたかっただけだろ?」
「ちゃんと謝りたかった。過去の私の代わりに…」
「その謝罪は、何でも許されるのか?」
里留の母は、元夫の暴力に苦悩していた。再婚してからも、執拗に家に押しかけては強引に連れ去ろうとする。逃れる為には、家を捨て、故郷を捨て、何の由縁も無い地に逃げるしかなかった。そこが、比比山村だった。引っ越して直ぐは、村人皆優しかった。嫌な記憶を忘れられるくらいに。関係に異変が生じたきっかけは、隣近所の幼稚園通いの娘。田里利羽。俯いていた里留を見つけると、抱いていた
「子どもだったの! 何も知らない、馬鹿で、身勝手な…」
「今も然程変わらない…」
呆れてものも言えない。フロスは、無言でリヴィアを追い出す。
翌日。
リヴィアは、魔王城にやって来た。中に入らず、じっと待っている。しばらくすると、ビルが大きな荷物を抱えて歩いてくる。リヴィアは、急いで近づき、逃げないようにしがみ付く。
「ビル、話があるの」
「どの面下げて…帰れ、それが最善策だ」
「嫌、帰れない。お願い、里留の為に……力を貸して」
ビルの迷いは、リヴィアの性格。身勝手、自己中心的。言葉通りに受け取れない。だが、敬愛する先生の為と言われれば弱い。
リヴィアは、覚悟を反芻しながら里留の部屋前でウロウロ。
何を話すべきか、何を伝えるべきか、可能な限り思考を整理し緊張しつつ入る。
「…里留」
机に向かっていた里留は、普段の様子で振り返る。
「今日は聞かないのか?」
「………魔王様は?」
「はは、留守だぞ」
昨日の事を忘れているのか、笑顔まで見せる。
「怒っていないの?」
「サニーに言われたんだ。「辛い思いをしているのは、田狩先生だけではない」って。確かにそうだよな。辛い思いをしても、前を向いて生きている人が沢山居る。怒りに身を任せるのは、格好悪い。見習わないと」
あまりにも物分かりが良過ぎる。別人と錯覚するほど。だが、今更計画を変更するつもりはない。
「里留、預かって欲しい物があるの」
リヴィアが差し出したのは、大きめの箱。開けてみると、中には純白のドレス。
「……ウエディングドレス?」
「これは、私の夢そのもの。幼い頃からずっと変わらない…」
差し出された箱を、そっと返す。
「預かれない。こんな大事な物」
「私は、里留の大切な物を奪った。だから、私も…」
「必要無い。君は、ただ無邪気だった。それだけ。気にせず、思う存分幸せになれば良い」
本心が見えない。不気味な仮面を被り、隠している。
「ずっと預けるつもりはないよ。里留がいつか、大切な物を取り戻すまで…」
仮面にヒビが入る。
「…そんな日は来ない」
「来る! 絶対!」
箱を押し返し、部屋から追い出す。
だがそれでも、リヴィアは諦めない。無理やり部屋に戻る。
「サニーは間違っている! 同じ人は一人も居ない。感性も、感覚も、感情も。嘘で自分を偽らないで! 抱えている全部吐き出してよ!」
償う相手は、偽物の心では意味が無い。隣のお兄ちゃんに戻ってくれないと、償う段階にさえ至れない。
「………俺には、大門次郎しか残らなかった。母が作ってくれた大切なぬいぐるみ。絶対誰にも渡せない。だから、自分を偽る事を覚えた。偽っていれば、諦めがついた。偽っていれば、誰も相手にしなかった。俺は、これ以上…何も失いたくない」
里留は、両親の死後、孤児院に預けられた。孤児院では、常に嘘吐きのレッテルを貼られた。取材を受けた村の巡査が「嘘吐きで有名だった」とコメントする様がテレビで流れた所為。子どもは、無邪気な分、残酷だ。傷つく事を一切考えず、「嘘吐き、嘘吐き」と心を抉る。里留が「違う」と抵抗すると、本格的に虐められるようになった。それでも、諦められなかった。両親は殺された、その真実を誰かに信じてもらいたかった。しかし、虐めがエスカレートし、その手が大門次郎に伸びる。大門次郎は、幸せだった唯一の証人。これまで失ったら、里留は壊れてしまう。仕方なく、偽った。本心を隠し、相手が好むような姿を演じた。どんな汚名も甘んじて受けた。屈辱の連続だったが、お陰で大門次郎だけは守れた。
「もう何も失わない。これからは増える一方。私が約束する」
「出来ない約束はしない方が良い。俺は期待できない」
リヴィアはもう一度、箱を渡す。
「これが、その証。とっても大切だから、何が何でも約束を守る!」
ドレスを出してみる。糸が飛び出し、生地がズレ、とても出来が良いとは言えない。しかし、一生懸命作った痕跡は所々に見える。
「……一度だけ、信じる」
「それで十分」
簡単に笑顔は取り戻せない。だが、小さな一歩は踏み出せた。
リヴィアは、扉の外に向かって叫ぶ。
「入って来て!」
腑に落ちない表情のフロスが、地図を持って入って来る。ルーズを勝利に導く作戦が、多岐に渡り書き込まれている。
「先ずは、お爺ちゃんを助けよう」
リヴィアの力があれば、シロの頑なさは和らぐ。
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